2011年03月21日
震災の記録2011.3.12の続き
AM2:30頃酒田市に到着、47号線から7号線に入る。道中のガソリンスタンドはすべて閉まっていて、コンビニでは乾電池と弁当、パン類が売り切れている。7号線に入ってすぐのガソリンスタンドが営業していたので行ってみた。すると、レギュラーガソリンは1人3000円までに制限されている。そこで、ハイオクについてたずねるとハイオクは在庫があり無制限に販売できるとのこと。スプラッシュにレギュラー3000円分と携行缶にハイオク20リッターを給油することができた。
給油が終わったら酒田市のスーパー駐車場に移動してそこで仮眠。9時の開店にあわせて入り口で行列して果物類やロウソクを入手。10時には仙台を目指して出発した。47号線沿いのガソリンスタンドは閉まったままで、13号線沿いのガソリンスタンドには長蛇の列ができている。給油待ちの列を避けつつ48号線に入ると関山峠から先が大渋滞している。作並で道路が陥没して片側交互通行になっているためだ。
大渋滞を抜け自宅に帰ったのがPM2:30。電気、電話は相変わらず不通で、さらには携帯電話基地局や電話局の非常用電源が切れて携帯が圏外に、公衆電話も使えなくなってしまった。自宅近くのホームセンターが部分的に営業を開始していて家族が行列して飲料水を入手してきた。地域の避難所を見に行ったが避難している人はいないようだ。
電話が使えないので状況がわからないが、月曜日には通常通り職場に向かおうと妻と打ち合わせた。
以下は教訓
1、非常用食料で過ごすのは3日が限界である。缶詰やレトルト食品、おにぎり、パンなどを1日3食食べ続けていると、栄養の偏りで体の抵抗力がみるみる低下してくる。口内炎ができたり、歯茎が腫れたり、風邪をひいて扁桃腺が腫れたりする。3日を超えて非常食が続くようであれば、ビタミン剤の投与等の対策が必要である。
2、たとえ自宅が無事で食料と水が豊富にあったとしても、被災地にとどまり続けることはリスクが大きい。たとえば、電気が復旧したときに壊れた家電製品から出火することがよくあるが、通信がすべてダウンしていては消防に通報することもできない。また、抵抗力が下がった人が高熱を出して病院に搬送しなければならなくなっても救急車を呼べないし、そもそも病院はほとんど閉まっていて、開いている病院は救急患者で溢れている。
3、したがって、ライフラインの途絶状態が3日を超えるようであれば、避難できる人は避難したほうがよい。避難する際にはガスの元栓(メーターのところ)を締め、電気のメインブレーカーを落しておく。
震災の記録2011.3.14に続く
Posted at 2011/03/21 20:47:06 | |
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