
先日イギリス人と話していたら、彼が「ベトナムに来てから価値観が変わった。もっと物を持ちたい、豊かになりたい、お金をたくさん得て富を得たいというよりも、限られた人生の時間をいかに有意義に過ごすかに関心を持つようになった。働くこと、金を得ることにすべての時間を費やそうとは思わない」と言っていた。
これには私も同感である。ベトナムの労働者の月給が300ドル、日本の労働者の月給が3000ドルであっても、日本の労働者が10倍幸福かと言われればそんなこともない。日本のほうが良いことといえば、自動車を所有していたり、最新のiphoneがぽんと買えたり、海外旅行に気軽に行けるということくらいで、自動車やiphone、海外旅行などは実は無くても全然不幸ではない。一方、ベトナムの労働者は賃金は低いが労働時間が短く、残業の際の手当の割増率が高く、病欠に有給休暇を使わなくても済むから、家族と一緒に過ごす時間が多くとれるし、女性が正社員として男性に遜色ない給料をもらっているから、子育て世帯でも仕事と育児がうまく両立できている。それに、転職が当たり前で、転職期間を利用して学校で勉強したり、あちこち旅行する人も多い。何より、過重労働でうつになったとか、自殺したなどという話は聞いたことがない。ベトナムで日本のブラック企業のようなことがあったら、労働者はみな退職するか、暴動が起こるだろう。
ベトナムでは残業時間の上限が月間30時間、年間200時間なのだが、日本人駐在員と思われる人が「なんで月30時間の制限なんだよ。俺らなんか月100時間近いけど死にはしないよ。」と言っているのを聞いたことがある。「死ななきゃいい」という発想はおよそ文明国のものとは思えない。それは、人間ではなくブロイラーや豚のような家畜の「飼い方」のレベルだろう。また、月100時間近く残業していたら、人間として当たり前な家族や友人と交流したり、自分の興味に応じて遊んだり探求したりといったことはできないのではないか。私が土曜日に出勤しているということを聞いただけで「それでいつ遊ぶんだ?友達とはいつ会うの?」と真顔で質問してくる人が多いことからしても、この「残業感覚」は異常なものだと思う。
このように言うと「日本で残業を規制して割増率も上げ、病欠(シックリーブ)の制度を導入したら生産性が下がって経営が成り立たない」などという声も聞こえてくる。しかし、これらの制度は日本以外の多くの国で存在していて、日本から多くの支援を行っている新興国でさえも採用されているものである。なぜ他の国でできることが日本ではできないのか、納得できる説明はない。それよりも、残業規制など労働条件を変えるだけで、日本人の幸福感が大きく向上するかもしれないという可能性のほうに興味がある。個々人の賃金の絶対額は減るかもしれないが、社会全体が残業なし、賃金減少を前提とした構造に移行すれば、さほど問題は生じないと思うのだ。「モノより思い出」というのは自動車メーカーのキャッチコピーだったと思うが、これはなかなか真理をついていると思う。それが自動車という高額な「モノ」を売るためのキャチコピーであるのは皮肉だけれど。
Posted at 2016/12/04 22:40:50 | |
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