
ジムニーが欲しい、「いつかはジムニー」って30年言い続けてきたけど、今度こそ・・・
そんなことを記事にしたばかりなのだが、でも、どうしても「踏ん切り」がつかない。自動車にお金を使う気になれないのである。それは、「将来が不安だから」というほかない。ここでいう「将来」とは、自動車の将来と社会の将来の二つである。
自動車の将来が不安なのは、自動運転車の出現が予測されるからである。完全自動運転の自動車が普及すれば、自家用車を保有する人は極めて少数になる、と私は考えている。その頃には、自動車は地下鉄や路線バスのように、「所有するもの」でなくて「利用するもの」に変わるだろう。安価で便利な自動運転車がいつでも呼べるのに、敢えて自家用車を所有するのは一部のマニアだけになるだろう。新車を買っても数年後に無価値になるかもしれないのだから、今は中古車で十分、と思ってしまう。
社会の将来が不安なのは、AIの進歩などにより、雇用機会が失われて大失業時代が来る心配があること、残ったわずかな仕事をシェアしあうために実質賃金が低下して生活水準が低下することが予想されるからである。実質賃金が低下すると、費用のかかる自動車は真っ先に切り捨てられることになる。自動車を手放したことと家賃相場が下がったことで、賃金の目減りをどうにかカバーしている、そんな様子が目に浮かぶ。経済的な困窮が予想されるのに、高価な消費財である自動車にお金を使う気にはなれない。かつては「現金を信用しないから現金はバイクに変えておく」などと言われたベトナム人でも、今はそんなことはしない。
なんとも夢が無い、いや覇気が無い、そもそも心配性すぎる、これは齢とったせいなのか、と一瞬考えたが、そうではないと思う。時代が変わった、ということだろう。
Posted at 2018/08/19 02:34:12 | |
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