自動車保険の更新の時期が来て、保険料がけっこう上がっていることに気がついた。保険代理店の説明によると、「事故が多くて支払い金額が膨らんでいるのでやむをえず」ということらしい。確かに、ニュース等で暴走事故やバスの事故等が繰り返し報道されていることから、事故が多いような印象を受ける。そして、事故による社会的損失(コスト)は保険料アップというような形で自動車利用者に跳ね返ってきていることは理解できる。このままでは保険料アップが続き、保険料の負担が重くて自動車が利用できなくなるかもしれない。事故を減らすために本気になる必要がありそうである。
最近、無免許運転、飲酒運転、暴走運転による重大事故を起こした加害者に厳罰を科すべきだという意見が多く見られる。法令を意図的に無視して重大事故を起こすような「悪人」は厳罰で威嚇(一般予防)して交通の現場から排除し、もって安全を確保しようという考え方である。もちろん、その考えを否定するつもりはないし、「悪人」を擁護するつもりもないのだが、はたしてそれだけで事故を減らすことができるのだろうか。ニュースで騒がれるような悪質な運転者による事故は事故全体の「ごく一部」であり、厳罰化による事故防止の効果は限定的なものにとどまるのではないだろうか。交通事故の多くは免許を持っていて、酒も飲んでいなくて、暴走運転をしているわけでもない「普通の」ドライバーによって引き起こされている。普通のドライバーにも「悪人」のレッテル貼りと厳罰と社会的バッシングの威嚇をもって事故防止を図ることが有効だろうか。
よく事業所の交通安全の取り組みで「私は事故を起こしません」宣言というのが行われる。私はこの取り組みに違和感を感じる。というのも、自動車の運転というのはその性質上事故の確率が相当高く、「事故を起こしません」などと宣言するのは「希望」とか「お祈り」の範囲を出ないものだと感じるからだ。これはなにも「自分が事故を起こさないという自信が無いから」というわけではなくて、(精神論でなくて)科学的に考えれば事故の確率を0にはできないと思うからだ。人間はミスをする生き物である。そして、道路や自動車に人間のミスを誘発する構造がたくさんあって、しかも人間がミスをするとただちに事故につながる結果になる。自動車運転という環境は「フールプルーフ」にも「フェイルセーフ」にもなっていない。だから、事故が起こるのは「当然のこと」であり、事故を起こした人を「悪人」「下手糞」などと非難するのは事故対策の上では効果がない。事故を減らすには道路構造と自動車の改善が有効であり、道路管理者と自動車メーカーの果たす役割が大部分を占めるのである。
事故の社会的コストを保険料アップや「厳罰」という形でドライバーに全部押し付けていると、最後には「自動車ばなれ」という不利益を自動車メーカーにもたらすことになるのではなかろうか。そのことを見越して「超小型車」なるカテゴリーを早速準備している自動車メーカーに隙はないということか。
運転日報(スプラッシュ)
天候:くもり 時々 雨
積算走行距離:22255キロ
走行条件:市街地
乗員1名

Posted at 2012/06/16 17:30:15 | |
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