20年以上仕事で通ってきた熊本。
ホテルと顧客の往復で、ほとんど何処にも行ったことがなかったです。
市内に泊まっていても熊本城にも行ったことがありませんでした。
2016年の熊本地震の被害も、2021年には天守閣は復興しました。
すべての復興は2052年になるそうです。
熊本中心街の電車通り。
熊本の随一の繁華街、上通りと下通り、熊本唯一の百貨店鶴屋、熊本市役所、中央郵便局、ホテル日航、熊本城がある熊本の中心街。
そんな街の中心で信号待ちで目にする、緑と城と路面電車のある風景。
街の中心でこんな緑と歴史的建物が垣間見える風景は癒されます。
熊本に通い始めた最初の10年近くは、熊本市内のホテルに泊まっていました。
郊外にある顧客の近くにはホテルがそれほどなく、予約も取り辛かったので、当時は比較的リーズナブルな価格で宿泊できた市内中心部から少し離れた航空会社系ホテルを定宿にしていました。
お酒を飲まない私は、出張先で飲み歩くこともなく、会食も年に数回しかしないので、中心部から少し離れた川沿いの航空会社系の高層ホテルが落ち着いて好きだったのです。
当時から欧州顧客もメインで担当していたので、日本時間の昼間は国内顧客、夕方から深夜までは欧州顧客の対応をしていました。
ですから夕方から夜になってもホテルで仕事をするため、繁華街へ繰り出すようなこともありませんでした。
そんなホテルでの仕事の最中に、コリをほぐすためにマッサージを頼むことも多く、当時指名していたフジコさんというマッサージのおばさん、当時40歳前半の私より20歳くらい上の年齢の方に、「長男で独身だったらお母さんが心配するから熊本城にある縁結びの神社に行ったほうが良いよ」、といつも言われていたのを思い出しました。
でも私は多忙にてその神社に行く暇もなく、そのせいかどうかはわかりませんが、それからもずっと独身なのでした(^^;;
ちなみに47都道府県のうち、30代後半までに46都道府県を訪問したことがあったのですが、縁結びの神様、出雲大社がある島根県だけ、それ以来数十年、いまだに訪問したことがありません(^^;;
仕事が忙しくホテルの部屋から出ない私でも、年に数回通っていた市内のお寿司屋さんがありました。熊本には毎月通っていたのですが、そのお店に行くのは年に数回。
ある日、1人でふらっと入ってみたお店の大将が、1980年代初めまでフランスのパリで寿司屋を経営していたことが分かり、1人で外国(欧州)に住むことの大変さや、1人で外国でビジネスすることの大変さなどで意気投合し、年に数回だけ何年も通っていました。
そのマスターは当時60代でしたが、独身で、外国(欧州)暮らし経験のある独身おやじ同士の妙な連帯感を感じていました(^^;;
その後、顧客の周辺にもホテルができ、また前勤務先が経営の失敗と1ドル70円の民主党円高で倒産寸前になり、熊本市内のホテルには宿泊できなくなりました。
そして、ついに前勤務先の倒産廃業が決定し、私も解雇予定で残務整理のために顧客に出張していた際に、「会社が倒産して解雇されるのでもう来れなくなるから」と挨拶に立ち寄りました。
その時はお会計もなしにして頂いて、早々に店を閉め、ステーキをご馳走に連れて行って頂きました。
新勤務先でビジネスを復活させるのに3年以上掛かり、宿も市内ではなく郊外のより安いホテルに宿泊するようになり、大将のお店にもなかなか訪問する機会がなくなりました。それでも新勤務先になって1,2回は訪問していましたが、、
コロナの数年前、久しぶりに訪問しようとしたら、大将のお店は閉店しており、仕方なく大将の弟子だった人のお店に立ち寄ってみたら、偶然にも引退した大将がその元お弟子さんの店に来店していました。
数年振りに再会した大将によると、寄る年波(70代)と顧客の高齢化により閉店し、故郷の八代に帰っているとのこと。
あれから6年以上経ち、八代の連絡先も聞きましたが、まだ訪問する機会もないままになっています。
大将がお元気な間に、八代を訪問して、1970年代にフランスで1人で寿司屋を立ち上げて経営していた時代の話、私が英国で仕事を探して現地で働いて居た頃の話なんかを語り合う機会が持てたらと考えています。
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世界の車窓まで | 日記
Posted at
2024/02/09 00:04:50