皆さんは「マーチ」と言えば、何を思い出すだろうか?
初代の「マッチのマーチ」とか、ガンダム世代を意識したデザインと言われていた「マーチ・ターボ」、そうそう、初代マーチをベースにしたパイクカーと呼ばれる「Be-1」とか「パオ」、英国で恐ろしく高額車になって人気のあった「フィガロ」とか・・・
二代目のK11は、そうそう「アサシオ」なんていうキャラクターも人気だったけ。
三代目と言うと、「花咲かマーチ」とか「しましマーチ」、「みずたマーチ」などなどエクステリアの面白さを生かした、おもしろいカラーリングの姿が眼に浮かびますねぇ。。。
そのマーチが、欧州では「マイクラ」の生産が、英国の「サンダーランド工場」から撤退する事になった。
日産、サンダーランド工場において新型車を生産
http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2008/_STORY/080603-01-j.html
マイクラのサンダーランド工場での生産は、記憶が正しければ「2002年」位からだから、約6年に渡って続けられた事になる。
このマーチというクルマは、初代がスカイラインの主管で有名な「伊藤修令」氏のプロデュースであった事は日産ファンであれば周知の事実であり、基本的なデザインが、かのジウジアローであった事も有名である。
さらにモータースポーツでも日本では、あまり宣伝されていなかったが、
1989年 サファリラリー総合12位、クラス優勝。
アクロポリスラリー総合10位
と意外な俊足を披露して見せたものだ。
二代目のK11になると、バブルということもあっただろうが、そのコンパクトな外観に似合わず、価格以上の質感・・とくに乗ってみての走行性や操縦性など高いレヴェルで作られており、さらにまぁ色々と問題はあったが、スバルからの技術提供されたCVTが搭載された事も大きなトピックだろう。
顧みれば、K11が無ければ良質な、欧州コンパクトカーに匹敵する国産コンパクトカーの登場は無かったかもしれないのだ。
それを証明するのが、日本車初の快挙となった「1992年11月の
欧州・カー・オブ・ザ・イヤー受賞」であろう。
どうせ大した賞ではないだろう・・なんて思う無かれ、当時でも30年以上の歴史を誇り、前年の受賞が「ゴルフ」だった事からも如何に価値のある賞であったかが窺い知る事ができると思うのだ。
K12の現行型マーチになると、ルノーとのプラットホームの共通化が図られた最初のクルマとして印象に残っている。
(現行型マーチのサイドシルから底面を手でなぞって欲しい。サイドシルから底面まで段差が無く、スムーズにできているのが分かるだろう。欧州車によく見られるプラットホームの造り方なのだ。。閑話休題)
このマーチがサンダーランド工場での生産を2010年に終え、次期型は日産が言う「LCC」諸国、まぁ平たく言えば東南アジアの工場で生産をする事になるんだそうだ。
欧州では意外にマイクラの人気が高く、欧州で作られた映画やTV番組を見ていると、何気なくマーチが欧州の町並みに溶け込んで写っているのをよく目にする。
そのマーチの欧州での生産を終え、経済発展の著しい東南アジア諸国に軸足を置くという事は、マーチの目指す方向が変わった事を端的に表していると思うのだ。
キャッシュカイ(デュアリス)の記録的な売れ行きなどを見れば、より利益の大きな車種を欧州で生産したほうが・・・と思うのは致し方ないだろう。
日本のコンパクトカーのレヴェルを底上げし、欧州に良質なコンパクトカーあり!とその存在感を光らせてきた「マイクラ」の生産が、その欧州から無くなる事に一抹の寂しさを覚えてしまう。
最近は、どうも国内で元気の無いマーチだが、これまでマーチが残してきてくれた足跡を思い出し、それと共に歩んだ日産の数奇な歴史を見てみると、現在の日産、コレまでの日産の色々な姿を思い出し、感慨深いものだと・・・このニュースを見るに付け僕は感じたのだ。
マーチ、マイクラの国内での、そして欧州での役割は終わったのか?
そう思わせるニュースでもあった。。。
Posted at 2008/06/29 09:34:42 | |
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輸出仕様 | クルマ