秋に行われていた小学校の運動会が、ことしから春になった。
六年生の子供にとって最初で最後の 「春の運動会」 に行って来た。
昨日までの雨が、夜半には止んで朝から五月とは思えない暑い日差しが降り注いでいた。グランドの状態もぬかるみも無く良い感じだ。
僕のブログを長く見ていてくれている人はご存知なんだが、ウチの子は身体が不自由で、最近は病気も進行して、長く歩けないし、ましてや走る事もままならない。そんな我が子が、どんなふうに運動会に関われるのか心配もあったのだが。
子供のゆく小学校は、都市部の小学校の典型で、グランドが狭く毎年のように朝の四時近くから親が学校の周りで関取の為に並ぶ光景が繰り返されていた。
2年前まで朝の4時近くから、場所取りの為に親が並んでいた・・・・
さらにグランド近くに早く場所取りをした家族が居るものだから、グランド近くに場所を取った家族以外が近づけず、応援や写真が撮れないという問題もあった。
それが去年から、グランド周りはすべて立見として、身体が不自由な方や高齢者には専用の観覧席を設けることにした。
そうすると、自分の子供の競技を見終わると、自然にグランド前面から立見の後ろに下がって、という流れが出来て、さらに、観覧者同士で 「写真を撮られますか?」 などコミニケーションを取りながら自分の子供のベストショットが撮れるようになって最初は非難ごうごうだったが、今では、この方が良いという声が多数を占める様になった。
秋から春へ運動会が変わった事によって、練習時間が短くなって子供たちの動きが心配だったが、そこは子供ならではの適応力の速さで集団競技もスムーズに進行していた。
学年別の徒競走は、いつの時代も、子供たちよりも親たちが燃える競技だ!!
走る事が出来ないウチの子は、例年の通り、スタートラインを普通の子供たちがゴールして少し遅れてゴールできる絶妙な場所に設けてもらっていた。
走るというより、正直歩くくらいの速さしか前に進めないが、それでも同じクラスの子供たちに「ガンバレ」、「ガンバレ」の応援を受けて今年も無事にゴールする事が出来た。
時間が経過するにしたがって気温がどんどん上昇した。そらには雲ひとつない絶好の運動会日和になったが・・・
運動会が始まって時間の経過と共に気温はどんどん上昇して行って、程なく30℃を超えた!!!迂闊にも僕は日焼け対策なってしていなかったので、2時間を経過したところで露出した腕や首回りがヒリヒリするようになった。
そうこうするうちに午前の部が無事に終わって、グランドを立見にする代わりに、教室や体育館を開放しているので、そこで家族で昼食を取る事になった。
午後の部からは、よいよ6年生のハイライトの組体操などがあるのだが、身体が自由に動かない子供はどうなるのか心配だったのだが。。。
まずは 「騎馬戦」 なんだが、流石に直接は参加できず、こんな感じに
身体の不自由なウチの子と、不幸にして直前のサッカーの試合で骨折した子供は、騎馬戦の進行を進める「太鼓」を打つ係に。
騎馬戦の進行を合図する 「太鼓」 を叩く係に、不幸にして運動会の直前にサッカーの試合で骨折した子供とする事になった。
確かに直接は参加できないが、ただ見るだけでは無く、こうした形で参加できたことが本当に嬉しかったそうだ。
そして組体操では、ピラミッドの後ろで手を添えるフォローに回ったり、
他の子のフォローをしたり、身体を起こしたりする場面では、他の子がウチの子をフォローして参加できないと思われた組体操にも参加できた。これには涙が出た感謝だ、
一人で上体を起こしたりする場面では、一人で身体を起こせないので、他の子が逆にウチの子をフォローしたりして、曲がりなりにも組体操に参加できた姿を見れたのは、親として正直涙なしには見れなかった。
そして、最後で最初の 「春の運動会」 のフィナーレは・・・・得点で、例年と違って、最初に 「百の位」 が発表され、何と次には 「一の位」 がアナウンスされ、そして運命の 「十の位」 が発表されると
何と言う貧差でウチの子の居る「紅組」が優勝した!!
一斉にどよめきが起こって、それはすぐに拍手に変わった!
子供にとって最後の運動会。
人生の途中で病魔に侵されて徐々に身体の自由が効かなくなっている中、多くの仲間と先生たちの創意工夫で、出来る事はやろう!というみんなの声に押されて参加する事が出来た。
もちろん、子供たちの屈託のない笑顔も、何物にも替え難かったが、そうした多くの人の善意に感謝したいと思った運動会だった。
ありがとう。
Posted at 2015/05/31 11:04:25 | |
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