天皇陛下が大のクルマ好きであることは、色々なメディアで報じられているのでご存知だともうのだが、その源流となる貴重なクルマがココにあるのだ。
そこへ行く前に、僕を迎えてくれたのが、戦前の日本の自動車産業の出発点となった DATSUN 達だ。
← 皇太子時代の天皇陛下と清宮貴子内親王。その後ろには・・・・
現代の目から見るといかにも小さなサイズ。当時の日本人の体格がどうだったかもも彼らは表しているのだ。
こうして現代に目で見ると、クルマのコンパクトさが新鮮だ。それは取りも直さず、当時の日本人の体格が如何に小柄だったかをも、このクルマたちは証言してくれているのだ。
輸入車が幅をというか、絶対的な存在だった時代に日産はすでに海外に目を向けていた。
僕が持っている画像の一つに、OLD DATSUN のポスターがある。当時国産車の存在は、絶対的に品質と性能で勝る輸入車に風前の灯だった。しかし、日産は、その逆境の中、海外へと目を向けていたのだ。
「NISSAN JIDOUSHA KAISHA」
と言う綴りに時代を感じる。
そうした偉大な先人たちを横目で見ながら、今回の僕の目的である、あるクルマへと足を運んだ。
そのクルマは、現代にも生き残っているあのブランドのクルマの横に静かに置かれていた。
左:初代スカイラインと 右:プリンス・セダン。このプリンスセダンはただものじゃあないのだ!!
少し時代は現代に近くなるが、僕が今回注目したのが、プリンスの2台。
1台は、現代までブランドが続いている スカイラン の初代 (ALSIS-1) で、もう 1台 は プリンス・セダン (AISH) だ。
スカイラインの歴史は、もはや語りつくされている感があるが、その横にある プリンス・セダン については、どうも日の目を見る事が無い。
僕は以前から、この プリンス・セダン に大いに注目しているのだが、それは何故か?
それは、このプリンス・セダンのオーナーだったお方は、皇太子時代の天皇陛下だからなのだ。
昭和29年か30年だろう、まさに当時の皇太子に献上されたのがこの プリンス・セダン なのだ。
献上されたプリンス・セダンは、皇太子の日常の足ととして大いに活躍した。軽井沢の恋ももちろん
皇太子殿下は、この後、プリンスのクルマをいたく気に入られて、この後の初代グロリア、二代目と続けてご愛用になられたという事だ。
こうして、さり気なく実に貴重な歴史を語るクルマが展示されているというのも、日産座間事業所、ヘリテージコレクションの醍醐味だろう。
ところで、ココだけの話なんだが、タクシーにも実に多くの納入実績がある プリンス・セダン なんだが、実は多くの課題が山積していた。
タクシーにも数多く使われていたプリンス・セダンなんだが問題も多く・・・・
シフトレヴァーが折れる、サスペンションのゴムブッシュが破断する・・などなどで、実際に皇太子殿下が運転される時には、プリンスの技術者が直ぐに対応できるように同行していたというハナシは実に有名である。
こうした歴史的な視線で、このプリンス・セダンを眺めてみると、こうして生き残ってくれたことに大いに感謝の念が湧く次第なのだ。
しばし、プリンス・セダンを眺めて、次のクルマたちを眺めに歩き始めた。
Posted at 2017/07/31 02:26:08 | |
トラックバック(0) |
クルマ | クルマ