最近の某IT企業やマンション会社による騒動は色々と考えさせられる。
特にこれらの企業だけに限った問題ではないが、上司と部下との関係が、どうもココに来ておかしくなって来たのではないかと思うのだ。
これは部下がやった事だ、私は言っていない・・・
まぁ真実もあるだろうが、どうも「うさん臭い」感じがしているのは私だけではないだろう。
そんな時、会社における人間関係を考える時に、よく引き合いに出す、櫻井眞一郎というエンジニアについて考えた時、実は個人の才覚だけでなく、上司というものによっても、個人の能力は形成されるのではないかと思うようになったのだ。
そう思ったのは、実はこんなエピソードを思い出したからだ・・・
1969年日産は打倒ポルシェを目指して、新たなるマシンを開発していた。
当時のGPマシンの開発は、市販車・・・つまりスカイラインの開発と共に櫻井氏が行っていた事は有名なハナシである。
前年の'68年のGPでは、R381がエンジンの開発が間に合わず、シヴォレーエンジンで薄氷を踏む勝利を得たが、GP後にはその勝利のひとつの要因であった可変リヤウイング「エアロスタビライザー」が禁止された事もあって、ポテンシャルの大幅なダウンは避けられない状況であった。
そこで日産は
櫻井に、R381に続くマシンR382の開発を急がせたのだった。
エンジンは当時F1チームからオファーが来た、世界最強の「GRX-3」を搭載。
総排気量5,954ccで、最高出力は本番仕様でも580PS/7200min-1を誇り、カーブレイターはルーカス製機械式低圧定時燃料噴射を採用していた。
エクステリアは、R381から風洞実験を繰り返し、さらにウエッヂの効いた精悍なモノとなっていた。
総アルミのフレームを支えるサスペンションは、フロントWウィッシュボーンで、リアは上がIアームでアンダーがリヴァースAアームを組み合わせた変則Wウィッシュボーンで構成されていた。
当時世界最強のエンジンと言われた「GRX-3」を搭載し、シャーシレイアウトも、基本的にR380からリファインを続けて開発されてきたモノだったので、マシンの開発はスムーズに進むと思われていた。。
しかし・・・FISCOに持ち込んでテストをすると、三周目辺りから急激にマシンの挙動が不安定になり、最後には真っ直ぐも走らない・・・という予想だにしていなかった現象に見舞われたのだ。
改良に次ぐ改良を続けてみたが、一向にマシンの挙動は定まらなかった・・・
レースの日は目前となった。
さすがの櫻井も、「もう、これは年貢の納め時」と、当時のレース担当であった、取締役の田中孝一郎へ泣きついてしまった。
「もうダメです・・・俺が考えられる方法でイジってみたんですが、真っ直ぐに走らないのです。。。」
「どうしても、直らないので今年のGPは諦めて下さい・・・」と。
普段見ることの無い、苦渋に満ちた櫻井の顔を見て田中は、しばらく沈黙したが、おもむろに口を開き「そうか・・・しかし、R382を開発したのは櫻井、お前だろ、直進性が無いと言っても他に誰が直せるんだ。諦めると言わず、レースのその日までやってみてくれ。もし、それでも直らないようだったら、それは会社の実力なんだから。。。」
これには、さすがの櫻井も胸が熱くなった。
「そこまで俺を信頼しているのか・・」
その日から、またサーキットに通い、改良をして走らせる毎日が続いた。
しかし、R382は一向に三周目から真っ直ぐに走ろうとはしなかった。マシンの開発に携わっていた黒澤ら日産の侍達は、三周を過ぎるとそそくさとピットに戻り、首を横に振るばかりであった。
櫻井を始め開発チームの全員がR382の前に立ち、誰一人として言葉を発しようとはしなかった。
「もうダメだ・・・」
言葉にはならなかったが、誰しもがそう思っていた瞬間に櫻井が思い口を開いた。
「エアレーション・・・・・・・」
聞き慣れない言葉に周囲は櫻井に説明を求めた。
「ショックが周回を重ねると、内部のオイルが高温になり、気泡が発生してダンピングが不足するのかもしれない・・・」
たしかに、それが正しければ三周目から急に挙動がおかしくなるという現象の説明が付く。
櫻井はメカニックたちを集め、「マシンの熟成とドライヴァーの為に、走れるところまでショックを持たせて、ダメになったら代えろ。それを繰返すんだ。」と言って、急いでクルマに飛び乗ると、ショックを開発した「トキコ」まで飛ばした。
「トキコ」につくなり櫻井は、「明日までに新しいショックが要るんだ。何とか明日までにショックを作れるだけ作ってくれ!」と言って、ショックの油室の中に、高温による泡立ちを防ぐ為に、無数のバッフルプレートを仕込んだショックを急遽トキコに作らせたのだ。
午前四時、新しいショックが数本出来上がると、櫻井はクルマに飛び乗って東名へと乗り込んだ。
前日はサーキットで、さらに不眠不休で「トキコ」で新しいショックを作るのを手伝っていた事もあって、睡魔が櫻井を襲った。
途中の高速のバス停で、停車して遂には眠ってしまったが、パトカーに起こされて、また走る。。。休むを繰返しながら、櫻井は何とか富士まで辿り着いた。
早速、新しいショックを入れてR382を走らせると。。まるで、それまでの事が嘘のように安定してラップを重ねる事ができるようになったという。。。
後に櫻井は、このことをこう回想したという・・・
「上手くいった後、ふと考えてしまった。ダメだと言った時に田中さんが、じゃあ諦めようとか、じゃあ他の人に代わらせよう・・・と言ってしまったなら、今の自分は無かっただろう・・と」
さらに続けて、「確かに、あそこで諦めたり、代打を告げられたら、どんなに楽だったかもしれない。しかし、お前しかできない・・と諭されたから、それまで頭の奥底に眠っていた知識とか経験が呼び覚まされて、自分の能力以上、それを引き出す力を導いてくれたんだ・・・」と。
「上に立つ人間は、そういった部下のポテンシャルを如何に引き出すかと言った能力も必要なんだと教えられた」と語った。
これは後日談だが・・・
そうは言った田中も実は心配で、何度も櫻井の姿を見にサーキットに通ったのだが、邪魔をしてはいけない、余計なプレッシャーを与えてはいけない・・・と、常に櫻井からずっと離れた場所で見守っていたというのだった。。。
そして、日本GP開幕・・・・
シュッツトガルトの巨人と言われた「ワークス・ポルシェ」までも打倒して、R382は日本GPを勝利した。
撃破 ポルシェを撃破!ワークスを破った日産R382
勿論、個人の能力も大事なファクターだろう、しかし、それを的確に、必要な時に発揮できるように導く上司の才覚と姿とは、どんなに大事なのだろうか?
自分の保身や、都合の良い使い走りで部下を使う様では、その個人も不幸だし、会社にとっても大きなマイナスである事は疑うべくも無い。
振り返ってみて、自分が接してきた上司と言われる人たちはどうだったか?また、自分がどう部下と接しているか?この辺りで見直してはどうだろうか。。。
もちろん十人十色、色々な手法がある事は重々承知だ。
しかし、如何に人を育てるかという最終目的は同じハズだ。。
そんな事を思いながら、TVなどに出てくる偉い人たちを眺めていたら、この先、日本という社会はどうなるのかと・・・感じてしまったのだった。。。