ふと昔の広告や、CMが頭を過ぎる事がるのだが、そこから広がって、さてさて、どうだったかなぁと思い出せないモノもたくさんあるものだ。
ここだけのハナシなんだが、僕が密かに人生初めて、自分で買ったレコード(!!)が 岩崎宏美 の 「思秋期」 で、当時、周りにあんなにサラサラのロングヘアーの女性が居なかったから、彼女に凄く憧れたモノだ。
まだまだ純真だった僕は、ロングヘアーのカノジョの雰囲気にスゴク憧れていたモノだ・・
そんな昔のほろ苦い思い出に浸っていると、そう言えば、岩崎宏美って三代目のレオーネのCMに出ていたなぁ~って思い出したのだが、そこからがまたイケない。
初代レオーネも、そういえば有名な俳優や女優が出ていたけど誰だっけな!?となってしまい、またまた屋根裏部屋のライブラリーにこもる羽目になってしまった。
そして見つけたのが TOP 画像の雑誌の広告と言う事で、「西郷輝彦」と、伝説の女優「太地 喜和子」と言う事で、実に濃い人たちだったのだが。
初代レオーネ自体は、ご先祖様に当たるFF1000の合理的で、ちょっと小洒落た仏蘭西車の様なルックスから、どこをどうしたら、こうなるんだ!!と言うくらいオーヴァーデコレートな、良く言えば、その時代の流行であった、コークボトルラインをまとったデザインで、正直お世辞にも美しいとか、カッコいいというデザインでは無く、人気があるクルマでは無かった。
しかし、その独特のボクサーフィーリングや、クセのある操縦性を乗りこなす魔力にハマった一部の「マニア」と呼ばれる連中には絶大なる人気があった。
そういった、クセの強さ、一般受けしない独特の世界観を理解してレオーネを選ぶ人たちは、考えてみれば、今のデザインヨシ、クセも無く誰が乗っても上手く操れる操縦性で選んでいる「スバリスト」たちより何百倍も本気度の高い元祖「スバリスト」と呼べるものだったのだかもしれない。
スバル1000、ff-1が、どうやったらレオーネになるんだ!?と当時も話題になっていた。
そのある意味、個性あふれる初代レオーネのCMや広告に出ていた人たちも実に個性豊かだったという事なんだが、この人たちを以てしても初代レオーネの人気は浮上しなかった。
今のスバルを思い浮かべると、この時代の苦悩があったからこそ、次のレガシィが生まれ、インプレッサが生まれたのでは、との思いを新たにする次第なのだ。
Posted at 2015/06/22 04:00:52 | |
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