クルマネタでは無いので何卒ご容赦願いたい。
よいよ、宇宙戦艦ヤマト2199も佳境に入った。正直、ファースト・ヤマトでは、駆け足で、行き当たりばったりの感があった、ガミラス星⇒イスカンダル星の攻防と帰還の姿が実に精細に、そして人間模様が複雑に奥深く描かれている。
そこには、かつてのハリウッド映画に有りがちだった、単純な「敵」、「味方」の描写のみでなく、スクリーンに出てくる一人ひとりの人間には、星が有り、国が有り、親愛なる家族がいるという人間模様をベースに物語は展開して行く。
それぞれの星を国を家族を守るという事は、それぞれにとっては大きな「大義名分」になるが、省みると、相手にとっては相反する事になる・・という事を、2199はいみじくも語っている。
七色星団の戦いの後、停戦を呼びかける沖田にドメルはこう言った。
「あなたが軍人ならそれが分かるはずだ。ここでヤマトを見逃せば、共に戦った部下たちの死は無駄死だったことになる。」
ヤマトの筋を通せば、ガミラスの筋は通らない。お互いの筋を通すことは相反する事になるんだと。
そして、19話での沖田と ユリーシァ・イスカンダル の会話から。
「波動エネルギーは武器ではない、武器にしてはいけない。あれは星を渡るためのもの、一年前、あなたたちに渡した設計図はイスカンダルへ来るためのもの。」
とユリーシアは沖田に突き付けた。それに対して沖田は
「16万8千光年を旅する我々には、ガミラスから身を守る武器が必要だった」
と答えるが、ユリーシァは
「それではガミラスと同じ、波動砲は本当に身を守るためだけのもの?」
と問い返した。
兵器を使うという事は、最終的には相手を傷つける事、最悪はそれ以上の事態になってしまう・・・という、単純な敵味方では図れない現実がある事を物語っていると思うのだ。
実は第七章の冒頭に、それを象徴的に表す、デスラーとスターシァの会話がある。
よいよ来週からは、ヤマトという物語の芯の部分に触れる後半戦が始まる。いきなり三つの星の、わだかまりのない微笑ましいシーンがあったりして少し息抜きがあるが、ガミラス本星の戦い、ガミラスという星の運命、イスカンダルとガミラス、いや、デスラーとスターシァのかかわりは・・・・
ファースト・ヤマトを見た年代でも、思いもよらない展開と人間模様は見応えのあるものだろう。
色々な意見があるが、僕は 2199 を、やっと巡り会えた本当のヤマトだと思って止まないのだ。
Posted at 2013/08/25 20:47:32 | |
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