すでに多くを語られた感があるので、細かい事は言わないが、今回の一連のトヨタの問題は、日本のメーカーとして、いやクルマという人の生命を預かる工業製品の色々を考えさせられた。
まぁ日本車叩きだの、バッシングだの、選挙へのパフォーマンスという声も多くあるが、事の大小はあれど、トヨタ車に問題があった事、対応が後手後手に回った事などは間違いの無い事実だろう。
そこから、何を学ぶか、何を今後に生かすか、それが一番大切な「財産」だろう。
事の是非に付いては述べないが、公聴会での豊田章男氏のコメントには幾つか僕の琴線にふれる部分があった。もちろん北米の人達の心情や国民性を加味した「対策」のセリフかもしれないが、それを考えても、歴史と伝統が無ければ言えない言葉が多く見られた事は、僕の中で大いに考えさせられた。
その言葉たちのひとつが、
「ご存知のように私は創業者の孫であり、すべてのトヨタ車に私の名前がついています。私にとって車が傷つくことは私自身が傷つくことです。」
先例のあったフォードに見習ったモノかもしれないが、一人の男がひとつの理想を掲げて創生した企業だから、その血を引いた身の者であるが故の、重い一言では無いだろうか。
企業人として、経営者として愛社精神があるのは当然であるが、その精神を超越したこのひと言は僕の気持ちの中で大きく語り掛けてきた。
男としての「生き様」のようなモノも感じた。
先日、某番組にゴルバチョフ前ソヴィエト前大統領が出て言い放ったひと言「人間である前に男であること」という意思にも通じるものがある。
現代の企業において、また、これほどグローバルに大きくなった企業に、社長という立場であっても、「一人の男の言葉が生き様が」どのくらい影響力があるかは、甚だ疑問であるが、こうした意気込み、心情をトップが表明する事によって、企業が多少なりとも変わってゆく可能性は無きにしも非ずである。
如何にトップの意思の強さ、表現の大切さを改めて感じさせる部分であった。
そして、現代の企業が避けて通れない事が、企業が巨大になった時に、如何に企業としての意思の疎通を良くするか、統一させるかという、古くて新しい奥深い問題についても明らかになったと言えよう。
ここ数年トヨタが数に拘った戦略を推し進めてきた事は承知の事実だろう。
戦略 トヨタIMV構想って知ってますか?
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/1198728/
その中で、大いに危惧していた、企業の中での意思の疎通や品質問題が、今回の問題でもクローズアップされた。
トヨタはここ数年の間、急速にビジネスを拡大しました。率直に言って、私自身、速すぎたと思うほどのペースでした。ここでトヨタの優先要件は、第一に安全、次に品質、そして量であることを改めて明確にしたいと思います。これらの要件が混乱し、以前のように立ち止まり考え改善するということが出来なくなっていました。お客様の声を聞くという私たちの基本姿勢がおろそかになっていました。
確かにココのところのトヨタのニュースは、世界一になるとかシェアーが何パーセント以上を目指すと言う「量」を中心とした話題ばかりが目立っていた。
ところが、それに比例しないように顧客満足度や購入後の不良率では、正直、「品質」のトヨタと言われていた割にはTOPにはなれなかった事に注目すべきだろう。
急追 北米では「ヒュンダイ」の評価が上がっているぞ!!
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2108829/
北米 品質で日本の小型車が良い伝説に陰りアリ!
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/9442270/
企業が大きくなり、技術的にも高度になってくると、どうも顧客の声が遠くになりがちである。
誤差の範囲だの、過剰な反応だとか・・・確かに、その嫌いは大いに認めるが、その中に潜んだ真実もあることを忘れてはならない。
「火の無いところに煙は」という事を、製造業の我々も肝に銘じなくてはいけない事を、今回の騒ぎは指し示している。
色々な思惑が絡んでしまった今回の問題だが、技術者の一人として思い起こしたのは
「技術で叩かれた事は技術で返す」
「品質で問題が出れば品質で返す」
という事だ。
トヨタもそうだが、日本の、いや世界のクルマのメーカーが、製造業に関わる者たちが、単純に対岸の火事とは捉えず、真摯に受け止めて「安全」、「品質」の向上に努めなければならないと感じた次第だ。
ある意味、製造業の明日、明後日を占う貴重な問題と捉えて欲しいと思って止まないのだ。
Posted at 2010/02/28 11:36:17 | |
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