たまには徳小寺 無恒らしい!?ブログもどうだ!という声に押され、それじゃあ。。。という事で、久々に国産車の歴史を紐解く事にした。
スバル360
このクルマは、もう押しも押されぬ「名車」と言って良いだろう。僕らの世代も実際に乗っていたクルマで、実はウチの親父も、子供ができて家族が増えた・・・という事で、フェアレデーSP310(この頃はフェアレディとは言わなかった。。)を売って、スバル360をマイカーにした事もあった。
三座 フェアレデーSP310の初期型の謎に迫る!?:
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http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=233502
皆さんが知っている「スバル360」って実は後期型しか知らないのではないだろうか?
スバル360は、細かいマイナーチェンジを行いながら約12年にも長きに渡って作り続けられたのあった。
そんなスバル360の初期型を知らない・・というのも無理からぬ事だろう。
1958年、大学卒の初任給が「¥15,000-」の頃、ハナシによれば東京でのラーメン一杯が平均「¥30-」だった時代にスバル360は生を受けた。
軽量無比の航空機技術を駆使した「富士重工」らしい「モノコック・ボディ」をまとい、トーションバーだけ・・という恐ろしくシンプルなサスペンションで、僕も良く覚えているが、つねに「フワンフワン」と上下動を繰返しながらも、不思議とロードホールディングが良く、どんな悪路も乗り心地良く走っていた事を昨日の様に思い出す。
常にユラユラと上下動して白煙を吐いていた。(画像はマイナー後モデル)
エンジンは
強制空冷2サイクル2気筒、最高馬力16PS、最大トルク3Kg/mという今からみればささやかなスペックでしか無いが、驚く無かれこれで83Km/hは出ていたのだから、いかに軽量なボディは有効かという事が良く分かるだろう。
しかも初期は価格を安く上げる為に、色々なモノが省かれていた。
だいたい「空冷」だったので、ヒーターなんて無かった!!オプションで、「暖」を取る為の「石油焚の釜」が用意されていたくらいだ。。。
室内も鉄板むき出しで、シートも骨組みが見える薄っぺらいモノだったが、前記の「フワフワ」サスのお陰で、これが結構快適だったモンだ。
さらにTOPの画像をみて欲しい・・・・
これが、本当に本当のスバル360の初期型の顔なのだ。
さらに価格を下げる為に「ワイパーも一本」だ。機能的にこれで十分・・と「富士重工」の技術者達の声が聞えてきそうないでたちである。
ちなみに当時の販売価格は「42万5000円」
安い・・安い・・と言いながら、大卒初任給「¥15,000-」の時代に「42万円」は如何にクルマが高価だったかがうかがい知れるだろう。
それでも、スバル360は瞬く間に全国の家庭に行き渡り、マイカーブームの先鞭を付けたのだあった。
まさにクルマは、夢の乗り物であり家族の一員であった。
まったく、中古だろうが、免許を取ったばかりの若葉ドライヴァーでも、クラウンだ、フェアレディだと・・・湯水の様に新車でさえ簡単にクルマが買える現代を、この頃の人は想像できただろうか?
この頃の日本人は、本当にクルマを大事にしたし、憧れをもって接していた。まさにクルマを買う事は、一家にとって一大事で子供にとっても大きな夢だった。
今の日本人は、クルマを本当の意味で大事にしているだろうか?「憧れ」を持って接しているだろうか?
単純な「消費財」として捉えていないだろうか?
クルマが文化として育まれない、日本という国の現状を見直すには、もっとこういった先人たちのクルマや努力を知らないといけないのではないだろうか?
「カワイイ顔をして、中身は・・・」
スバル360を見るに付け、僕はこのクルマの意味合いや、偉大さに尊敬の念を抱かずには居られないのだ。
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Posted at
2006/02/27 02:23:07