
毎月の様に開催されている「日産車フェア」。
今シーズン最後の開催が「追浜工場」だ。追浜工場と言えばブルーバードの故郷、かつての日産のパイロット工場だった場所だ。
実は以前、仕事でライン稼働中にここに来たことがあった。あの時は仕事での訪問だったが今回は、仕事抜きで楽しもうと思う。
1月26日、期せずして僕の誕生日に行われたのだが、明け方からあいにくの雨模様。それも結構な降り方だったので、どのくらいの人が行くのか心配だったのだが、駐車場に行くとほぼ満車状態。
駐車場に着いて、クルマ椅子を降ろしたいと警備の方に言うと、会場に近いところまで案内するので…という事で、待つこと10分。
<#EAH>メローゴールドのC11ティーダが、わざわざ駐車場まで迎えに来てくれた。C11に先導されて、本当に会場の真横に駐車する事になった。
クルマイスを降ろし、最初に 組み立てライン見学 の整理券を申し込むと、クルマ椅子でも見学できるか事前に調整をして頂いて、エントランスから工場までの見学ルートを外れるだけで、あとは通常通り見学できるように手配してもらえた。
追浜工場と言えば、ブルーバードの故郷で、310からU14までここで多くのブルーバードが生まれて来た。
ここで生まれた日産の名車たちが、年代別にディスプレーされていた。(クリックで拡大)
追浜工場と言えば、昭和34年5月にデミング賞を受賞し、近代自動車量産ラインの先鞭をつけた工場でもあり、労働争議に明け暮れ、それが終焉した後の新時代の工場のイメージリーダーでもあった。
1960年代初頭の追浜のライン。奥にブルーバード、手前にはセドリックのラインが見える。
その追浜工場の組み立てラインを、ラインは日曜で止まってたが、間近で見れる事は多くの人にとって貴重な体験になった筈だ。
1965~66年頃の510ブルーバードの検査ライン。
現代の自動車工場では当たり前になった多車種混流ラインなど追浜工場が果たした功績は大きいだろう。ラインは稼働していなかったが、ラインの要所要所でビデオを使った説明は、なかなか分かりやすかった。
確か通常は40分位のツァーだったような気がするが、今回は30分のちょっと短い時間の見学であったが、本当にラインの間近で止まっているとはいえ、クルマが作られる様子を見る事が出来て、多くの参加者が熱心に見入っていたのが印象的であった。
見学が終わるとゲストホールに戻るのだが、再び歴代の生産車のディスプレーを眺めてみたのだが、僕的に琴線に触れたのが、まず
610のノーズを伸ばして無理やりL20を突っ込んだ610ブル2000GT。今見てもデザインは悪くない。スティアリングは絶望的に重かったが・・・
610ブルU だ。世の中の単細胞自称カーマニアは、単純に 610 は不人気車だと言うが、何度も繰り返すが、決してそんな事は無かった。510より遥かに空調や音振に関しては近代的な良いクルマだった。
そして、次におおぉと思ったのが、
初代の前期プレヂデントなんだが、なぜかミニカーは個タク仕様!!
初代プレヂデントなんだが、どうしたものか 東個協(でんでん虫)カラーの個タクなのには参った。!!!
610や150など以外の車種も、実にカタログを使ってうまい具合に案内されていた。
さてさて、このゲストホールには色々なディスプレーがあるのだが、なかでもこれは!と思ったのだが、クルマができるまでのジオラマだ。
ディーラーでオーダーが出て、納車されるまでのジオラマなんだが、ディーラーでオーダーが出て、
ディーラーでオーダーが出て、クルマが作られ始める・・・
組み立てられ、検査をして、
組み立て、検査、輸送されてユーザーの手元にクルマが届く。
ユーザーの手元へクルマが届くまでが実に生き生きとしたジオラマで表現されていた。
横浜工場にもジオラマがあったが、
横浜工場の 旧日産本社ビル をメインにした情景のジオラマも秀逸だ。
こちらは、ヴィジュアルでクルマの誕生からオーナーに届くまでの様子が実に細かく、場面場面の様子がまるで今にも動き出しそうな雰囲気で再現されており、押しつけがましくない良い表現の仕方だなぁと感心した次第なのだ。
この他にも興味深いディスプレイがあったが、折角の日産車フェアならではのモノが、
なんとナンバー付きのリーフのフルオープンカーが置かれていた!!
リーフのフルオープンが置かれており、さらに自由にドアが開けられて、リヤシートに座ることができるのだ。
リアドアははめ殺しで、パレード用オープンのセオリー通りリヤシートが高く設えれていた。
実際にドアの開け閉めをしてみたが、リヤドアははめ殺しされていたのだが、屋根をバッサリ落としているので、ドアを開け閉めすると、ブルブルとボディが揺れるのが分かり、ノーマルのリーフのガチリとしたボディとの差を垣間見れて実に面白かった。
本年度最後の日産車フェアという事だったが、座間やNTCとは違った追浜ならではの歴史を感じるイヴェントにも触れて実に良かった。
しかし、こうしてしっかりと歴史を感じる工場を見るにつけ、クルマが好きでもない経営者に運命を託す今の日産の姿は悲しみと、ある意味怒りを感じて仕方ないのだ。
そうは言っても、そんな連中になんとか日産の歴史と財産を本当に未来へ繋げ、発展させてくれる事を願って止まないのだ。
そんなもやもやとした複雑な気持ちで、追浜工場の中をC26で移動して後にしようとした時、出入り口の真横の駐車場に目の覚めるような、かつての元気印だった日産の長男坊が里帰りしているのを見つけてしまった。
売れに売れた910ブルのツゥートン。「スポーティレッド」と名付けられブルーバードが憧れのクルマとなった。
かつてブルーバードは、日産社内で「長男坊」と言われ、失敗の許されない日産の最量産車でありながら、常に新しい技術を取り入れ、本当にその時の日産の技術力や姿勢を表現し続けていた。
その最たるモデルが「510」と「910」で、その910の美しい個体が追浜にたたずんでいた。
TURBO SSS-S のスポーティレッドが欲しくて欲しくて、友人が買った時は、他人のクルマなのに、純正とは思えないスポーティなスティアリングを愛おしく操り続けたものだった。
まぁ、その頃は裏では熾烈な権力争いが行われていたが、それとは無縁に、こんな素晴らしいクルマが生まれたことに思いをはせた。
頑張れ 日産 !
ブログ一覧 |
クルマ | クルマ
Posted at
2020/01/30 21:10:21