1970年3月。
その年のサファリラリーは、間違いなくDATSUNの為にあったラリーと言って過言は無かっただろう。
総合優勝 DATSUN1600SSS
二位 DATSUN1600SSS
三位 DATSUN1600SSS
七位 DATSUN1600SSS
と総合10位の中に、ブルーバード510が4台もひしめき合っていたのである。そして、「総合」、「クラス」、「メーカー」の完全優勝も手中に収めたのであった。
無論、このような結果を残すには数々の工夫や作戦があった事も間違いの無い事実で、
鉄鎖 チェーンを巻いて優勝した日本車とは。。
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2228510/
三色 ヤンキーホーンの原型!?DATSUNの大発明!
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その他にも、空前の心理作戦として、後世まで語り継がれている一度しか使えない必殺技があった事をご存知だろうか?その名は
「丸首シャツ作戦」
と呼ばれ、大いに話題になった。
この年、日産・・・いやDATSUNチームを率いていたのは、後にNISMOの社長等で名を馳せた「難波靖治」であった。
サファリラリーに監督として赴く際に、彼は数十枚の DATSUN のマークの入った「丸首シャツ」、今で言う「Tシャツ」を用意していた。
難波はラリー後半戦、ラリー車に先行しコースを先回りして、コースの回りに立っている原住民に、彼らが必要とするモノを与えて替わりに、その「丸首シャツ」を着せて歩いたのだ。
そしてラリー車が通過すると、「丸首シャツ」を回収し、また先回りして・・と繰返したのだ。
結果。
途中ライヴァルのプジョー・チームに難波は捕まって問いかけられた。
「DATSUNチームは一体何人のサーヴィス隊で来ているのだ!」
まさにしてやったりである。
単純に現地人に DATSUN のマークの入ったTシャツを着せてコースに立たせて居るだけなのに、極限状態のドライヴァーや他のメーカーのサーヴィス隊には、あたかも DATSUN のサーヴィス隊がコースに大挙して待ち構えているように見えたのだった!!
近年のラリーと言えば、高度なメカや、メカニック、スタッフの数で勝負が決る様に言われているが、ちょっとした知恵と工夫で、ライヴァルにプレッシャーを与え、自らのチームを勝利に導く効果的な作戦が出来るという好例だろう。
予想外だったのは、それを知っているDATSUNのドラーヴァーでさえ、DATSUNのマークの入ったシャツを見つける度に、勇気付けられたというのだから恐れ入る。
この他にも、難波の経験とアイディアによって奇想天外の作戦が編み出されDATSUN、ブルーバードのサファリでの勝利へと導かれたのだった。。。
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Posted at
2009/05/29 02:15:04