僕はプリメーラというクルマは好きなクルマの一台だ。
初代は、鳴かず飛べずの
オースター の後を受けて生を受けた起死回生のクルマだったが、そのFWDとは思えないハンドリングで一世を風靡した。
実際にも、そのコンパクトな外観とは裏腹な室内空間の創生は、何が何でも全てを大きくして(無論、安全基準の問題もあろうが・・・)室内も広くしようという単調な風潮に風穴を開けた秀逸のクルマだった。
ただ、フリクションを感じるサスペンションや、ダブルリンクヒンジの採用までは良かったが、やたらと重いトランクフッドの開閉など「洗練度」という点では、まだまだツメが甘かったと言わざる得ないだろう。
二代目のP11は、そんなP10のネガティブな点を、しらみつぶしに潰したのだが、それが逆に災いして、個性と言う点では陰の薄いクルマになってしまった。
しかし、フロントのマルチリンクは熟成され、リアのサスも、それまでのストラットから、スコット・ラッセル・リンクを応用したトーションバーサス、まぁ日産ではマルチリンク・ビームと称したが、より対地キャンバーの変化の少ないサスペンションを採用するに至って全体の操縦性はP10に比べてもトップレヴェルのモノとなった。
そしてより個性的で、さらに操縦性、快適性、居住性を向上させたP12と進化するのだが・・・・
そんなプリメーラたちは、日本でもヒットするが、日産が目指した欧州でも日本車らしからぬ日本車として好評を持って迎えられた。さらに、その好評さに支えられるように、欧州では至極当然の5ドア形状も歴代造られたのだが、「5ドア車」は売れないという日本独自のジンクスもあって、それら5ドアは本格的に日本ではデリヴァリーされる事は無かった。
そんなプリメーラたちだ、日本とは違った進化を欧州では遂げる事になった。
特にP11では、途中からエクステリアからも日本とは異なった出で立ちで売られていた事は意外に知られていない事実なのだ。
P11の2000年モデルからは、
「144」 と呼ばれる、それまでの日本的な直線を基調にしたフロントとリヤ周りのデザインが一新され、一見するとまったく違った姿で売られていた。
フロントの造詣は正にプリメーラ、つまり後に日本で「カミノ」と呼ばれるフェースに統一されたのとは異なった、まさにプリメーラのフェースに、より曲面を多用した独特な顔を形作った。
サイドのプロテクターの形状が見直され、2000年から欧州で売られる事となった二代目の「アルメーラ」と共通した、フロントとサイドのデザインとなった。
三代目のP12のデザインは、そんな欧州での好評もあってデザインを
NDE 「日産デザインヨーロッパ スタヂオ」のデザイナー、ピニンファリナから日産へと舞い降りてきた
「スティファン・シュヴァルツ」 の案を中心に取りまとめられた。
それまでのデザインとは打って変わって、塊感の強い、より個性的なデザインを採用したが、残念ながら日本では理解される事もなく、プリメーラそのものの脈略を経ってしまったのは残念で仕方ない。
どうも日本では、クルマ然としたデザインしか受け入れられない様で、このような個性溢れる独自性の高いデザインは苦手らしい。
そのP12も欧州では5ドアが、ちゃ~んと用意され、そこそこの販売台数を稼いでいた。
僕も、P12シリーズの中でも、この5ドアのデザインは、かなり秀逸だと感じている。
合理性とクルマそのものの楽しみを追求した歴代のプリメーラ。
特に欧州では、その清いコンセプトが受けて独特の進化を遂げていったのは非常に興味深い気がする。
そして、それが日本と欧州ではクルマに対する感性、文化の違いを大きく表していると僕は思うのだが、如何だろうか。
プリメーラ。良いクルマだった。
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輸出仕様 | クルマ
Posted at
2010/06/05 07:55:13