神業 240Zを華麗に操った男
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=201397
それでは、当の
ラウノ・アルトーネン は240Zをどう思っていただろうか?
やはり、企画室ネコに ラウノ・アルトーネン が寄稿した文章があったので引用してみたいと思う。。。
(途中要約して掲載)
240Z讃
THOUGHTS OF THE DATSUN 240Z
1970年、日産自動車は、国際ラリーのために240Zを準備しつつあった。この1月私は始めて240Zと出会う事になった。
日産モンテカルロ・ラリー・テストチームは、今フレンチ・シー・アルプスにあり、我々はこれから240Zで、ラリーが終わったほんの数時間後の実際のコースをフル・スピードで走行するテストを行おうとしていた。
240Zは見るからにスピード感があり、ノーズが長く伸び、フロントアクスルより前のオーヴァーハングの長いものであったが、それがサーキットでは有効でも、片側は岩壁で、もう一方には1000フィートの深さがあろう崖の曲がりくねった急で狭い、デコボコなアルプスの道を走るにはどうであろうか??と
私の様な職業のモノは誰しも疑いたくなる。果して、このクルマにどのくらい期待が持てるのか、格好だけよいのではどうしようもない・・・という思いが心を過ぎった。
私はシートに腰を降ろし、イグニッショションキーを回した。わずかにブルーの煙を出して6気筒エンヂンから確かな、力強いエグゾーストノートが響いた。
240Zが動き出した最初は大柄で重い・・という印象だったが、数時間の後には、私はその赤いクルマに
すっかり惚れ込んでしまっていた。
一年後、私は12月から練習に入った。ラリーは1月開催なのだが、その頃には240Zは、私の身体の一部になっていて、右に曲がる時は、ただそう考えるだけでもう右に曲がっていた。
71年は結果として我々は5位に入賞した。
翌72年のモンテは更に順調に進んだ。大きな問題は何も無く、クルマは前の年よりも改良されていたが、パワーウエィトレシオが我々の競争相手と戦うには十分ではなかった。
それでも3位という栄誉を勝ち得たのは、日本人メカニックとドライヴァー達の万全な準備とチームワーク良さ、そして
信頼のおけるクルマのおかげであった。
これらの全てが揃っていれば、クルマは無駄な停止をしなくてすむのだ!
ラウノ・アルトーネンは、73年になるとモンテでサファリで、実は我々DATSUNフリークに最高のショウもやってくれている。
モンテでは、トレーニング中に、ワークスポルシェと遭遇して、スタンディング競争をして何と勝ってしまった。
その時のポルシェの落胆は相当のものだったという。
さらにサファリでは、ポルシェと一騎打ちを演じ、最高速近くでポルシェを追い抜き、一端はタイヤのダメージを避けるために、ポルシェとも185Km/hまでに速度を落として走っていたが、コントロール手前でポルシェが、240Zを抜き返そうと猛然と加速すると、ラウノもさらに加速して、とうとうポルシェを突き放してしまったのだ!!
それはそうだろう・・・
当時としては、大きく重いと言われ続けていた240Zラリーだったが、73年からはさらに改良が進み、現代のマツダ・ロードスター並みのボディサイズで250PSを搾り出すようになり、重量だって1000Kgちょっと・・・と熟成がすすみ、最高のパフォーマンスを発揮する様になっていた。
実は240Zは当時最強のラリーマシンだったのかもしれないのだ。
ラウノとDATSUN、とりわけこの両者を巡りあわせた240Zとは如何に偉大であったか、僕はこのことをこれからも伝えてゆきたい。。。そう思うのだ。
ブログ一覧 |
フェアレディ | クルマ
Posted at
2006/07/05 02:38:02