
'70年の日本グランプリ以降も、ロータリー対GT-Rの仁義無き戦いは続いたが、クルマとしてのトータルヴァランスでは、やはりGT-Rが勝っており、もはやファミリア・ロータリー・クーペではGT-Rを駆逐できない事は誰の眼で見ても明白な事実であった。
しかも、この年のJAFの技術委員会で、「マツダ」にとって衝撃的なルールの変更がなされてしまったのだ。。
つまり、構造が市販車より大幅に逸脱してはならない。。。という理由から、これまで許容されていた「ペリフェラルポート」が禁止され、市販車と同じサイドポートの吸気方式で戦わなくてはならなくなったのだ。。
ローターリーエンジンの構造上、高速型つまりレース向きにはペリフェラルポートが最適で、皮肉にも世界で唯一ロータリーの市販化開発に成功する「礎」となったマツダ方式、「サイドポート方式」では中低速には適しているが、高速域では吸排気のオーヴァーラップが広く取れなくなり、大幅な馬力の向上が難しくなってしまったのだ。。。
これはレシプロで言えば、「カムシャフト」の変更が許されない・・事と同じで、「マツダ」はサイドポートでレースを戦ってゆく技術の開発に心血を注がなくてはならなくなり、レースでのロータリー勢の停滞はどうしようもなくなっていた。。。
実は'70年のファミリア・ロータリー・クーペがGT-Rと激戦を繰り広げた5月、マツダは新たに新開発「12A」ロータリーを搭載した「カペラ」を発売していた。
この「12A」ロータリーは、レース用として社内ではペリフェラルポートで開発が進んでおり、軽く250PSを超え打倒GT-Rは時間の問題と目されていたが、サイドポート方式ではどう頑張ってみても220~240PSしか確保できず、GT-Rより馬力で劣る事にになり「マツダ」はサイドポートでGT-Rを上回るチューニングを考え無くてはならなかったのだ。
「マツダ」はサイドポート方式での馬力向上という技術的トライと同時に、ワークスカーを、この新鋭の「カペラ」へとスイッチさせた。
これはよりサイドポートであっても、「10A」に比べて、馬力の向上代の大きい「12A」を搭載するという観点もあるが、なにより足回りの充実を狙った事も事実である。
なんと言っても、クルマの基本的な構造から、ファミリア・ロータリー・クーペのフロントのロールセンターの改善は困難であったが、カペラは当初からその点でも大幅に改善されていたのである。
具体的に言えば、ロータリー・クーペのコーナリングは、リヤを沈めながらロールするのに対して、カペラのフロントのロールセンターは、ファミリア・ロータリー・クーペに比べて約50mm低められており、フロントノーズが沈むような自然な感じでロールが発生するようになっていた。
しかもリヤのサスが、それまでの板バネからコイルスプリングを用いた「5リンク」になっており、そのこともレースにおいてチューニングの度合いを高める事となったのであった。
新鋭「カペラ」のレースでの登場は'71年6月の「富士GCレースシリーズ」であり、「マツダ」は二台の「カペラ」を送り込んだ。。。
マシントラブルで決勝には一台しか出場できなかったが、日産勢を敵にまわし孤軍奮闘ながら3位に入賞する事ができた。
しかし9月のシリーズ第四戦でも、「カペラ」はGT-Rに勝てることが出来ず、サイドポート方式でのカペラではGT-Rに勝てない事は如何ともし難い事実であった。。
戦力の上がらないロータリー勢に助けられているかの如くのGT-Rだったが、実際には勝利の為に人知れず、「マツダ」と同じ様に血の滲む様な努力をしていた事には、あまり触れられていない・・
レシプロエンジンの雄GT-Rは、いったいどんな秘儀を持ってロターリー勢を駆逐していったのだろうか・・・
そこには、現代では当たり前と言われる技術の開発が行われていた事を、次に告白せねばならないだろう。。。。
ブログ一覧 |
ロータリー VS GT-R | クルマ
Posted at
2005/05/30 00:31:26