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2005年06月25日

有終 幸福と不幸 何がこの二車の運命を変えたのか?

有終 幸福と不幸 何がこの二車の運命を変えたのか? 次々と襲い掛かる「ロータリー」の挑戦にも、持てる力を振り絞って闘ってきた KPGC10 GT-R にも、よいよ終焉の時がやって来ようとしていた。

1972年9月、スカイラインは4代目となる「ケンメリ」スカイラインをリリースした。

もはやそこには、力強さとか究極の早さ・・といった言葉はどこにも見当たらなかった。。。
なにより、一回り大きくなったボディが、レースカーにとって決定的に不利であることは、誰の目からみても明らかだった。。



それでも6月の北野操るGT-Rの気迫のこもった走りに、多くのファンが、「次」を期待したのは無理からぬ事であった。。。

しかしその事が、逆にマツダの闘争心に火をつけてしまった事は、なんとも皮肉な事では無かったのだろうか。。。

10月10日

ついに、その日がやって来た。

北野GT-Rとの敗北を受けて、再編成された「マツダ ロータリー」勢が、GT-Rのホームグランドである、富士6キロのフルコースに集結した!!

「マツダ」は二台のワークスGT-Rに対して、なんと「武智」、「従野」、「増田」、「岡本」の五台と、マツダオート東京から「寺田陽二郎」の六台がエントリーしたのだ。

そんな「マツダ ロータリー」に対して、「日産」はもはや戦力の向上は見込めない・・・と誰もが思ったGT-Rに対して、S20エンジンのヘッド周りの改造で数馬力・・・そして、この日の為にブリヂストンに特製の「スーパースリックタイヤ」を開発させてGT-Rに搭載させた!

さらに、「スーパースリックタイヤ」になり、幅が広がったのをフォローする為に、「オーヴァーフェンダー」の見直しがされたが、単純に幅を広げるのではなく、短時間に実験を繰返し、「空気抵抗の少ない形状を見つけ、GT-Rに取り付けた。


左が従来型、右が新型。滑らかに大きく幅広くなっているのが分かる

フロントは従来と違って、フロントスポイラーと滑らかに繋がる形状とし、フロント&リヤとも、上下方向には滑らかにボディに繋げ、先端と後端はできるだけ長く伸ばす事により、空気の流れをスムーズにし、エンジンの馬力アップと共に、空気の流れまでも味方に付け、「ロータリー」の挑戦を受けて立つ事になったのだった。。。


リヤも同様である。滑らかに大きくなっている事が良く分かるアングルだ。

最後となろうGT-Rなのに、こうまで日産が・・・

いや実は「日産」という会社が、GT-Rの開発に邁進したというより、もうこの頃はレースに携わっていた関係者の手でGT-Rの「ポテンシャルアップ」が図られていたのだ。。。

それは「公害対策」により、それまでレースカーの開発に携わっていた部門の全てが、「公害対策」に注力されたので「レース」部門の開発まで手が回らなくなっていたからだ。

「レース」に関わっていた技術者達は、「公害対策」という名の下でGT-Rが遅くなった・・・と言われる事だけは、プライドが許せない・・許せなかったのである。

やれる事は自分達でしよう・・と、半ば手弁当で、ある時は旋盤を回し、ある時は慣れない手つきではあったが、S20エンジンのヴァルブ・シムの調整を夜通し続けたのであった。

彼らにとってGT-Rは、「誇り」でもあったし、「彼らの分身」以外の他ならなかったからだ。。。

そんな技術者達の姿を見ていた黒澤は、最後のレースで再びGT-Rを蘇らせようと静かに闘志を燃やしたのは当然の成り行きであっただろう。。。

予選・・・・・

黒澤に託されたGT-Rは、ロータリー勢と激しくヴァトルを繰り返した。

馬力が上がったとはいえ、パワーウェイトレシオの劣るGT-Rを、ストレートでは、時には周回遅れの「ロータリー」勢の後ろに回り、可能な限りのスリップストリームを駆使してR380でも達成に時間の掛かった「2分」の壁を破り 「1分59秒70」 を記録!

これは、あの富士のコースを平均180Km/h以上で駆け抜けた事になるのだ。
いかに驚異的なタイムかが伺えるだろう。

しかし、レースの世界は非情である。

「ロータリー」勢もチームプレーを駆使して、やはりロータリー勢同士でスリップストリームを使い、従野サヴァンナが黒澤をさらに上回る 「1分59秒35」 をマークしてポールポジションを奪取したのであった。。


もはやGT-Rがフロントを取る事は難しくなってしまった・・

予選の結果を見て、だれもが、決勝は「ロータリー・オンパレード」のレースになるだろうと予測した。

決勝・・・

ざわめきにも似た、異常な雰囲気の中、シグナルが「青」に変わった。
「ロータリー」勢の加速は、GT-Rをはるかに凌いでいた。スタートから黒澤は数台のロータリーに先行を許し、バンクに突入して行った!

まさにGT-Rというマシンと、黒澤の執念にも似た気迫でロータリーに対して一向にひるむ事無く、戦いに挑んだのだった。

裏富士と呼ばれる、テクニカルなコーナーの続くコースで、黒澤は何と、次々とロータリー勢をパスして、集団のトップを行く二台のロータリー勢の背後に迫ってきていたのだ。

「マツダ」はこの二台を使って、お互いにスリップストリームを使い、ストレートでGT-Rを引き離す作戦であったが、最終コーナーでGT-Rはさらに一台抜き去り、なんと2位までに上り詰めていたのだ。

これでは「マツダ」が当初描いていた、二台のロータリーが併走して・・・という作戦は使えなくなってしまった。

黒澤の激走に「ロータリー」勢も歩調を狂わされ、一周目でトップに立っていた「武智」がスピン!さらに後続車に激突され大きく順位を下げたが、素早くピットに入り、修理を施し・・・

しかし、直にはピットアウトしなかったのだ。

彼は先頭集団が来るのを待ち、絶妙なタイミングで黒澤の前に立ちはだかったのだ。

「武智」に代わって先頭を走るのは「片山サヴァンナ」。

しかし大方の予想を覆し、その背後には黒沢のGT-Rがぴったり貼り付き、機を狙っていたのだ。

「武智」は「片山」を援護する為に、順位よりチームプレーに徹する事にしたのであった。

「ロータリー」勢は、全戦力を集結し、たった一台のGT-Rに対抗する作戦に打って出てきたのだ。

しかし、異常なまでの執念で追い回されるロータリー勢に、あせりと緊張が積み重なっていった。
そして、次々とトラブルが起こって行くのであったのだった。

最初に、先頭の「片山サヴァンナ」がエンジントラブルで、コース上にストップ!
序盤戦から「ロータリー」勢の一角が崩れ去ってしまった。

ピリピリとした緊張と、激しくぶつかり合うバトルで、黒澤もまた「武智」と接触!コースのグリーンベルトまで押し出されてしまったが、最小限のロスタイムで黒澤はGT-Rをコースに蘇らせたのだ。

黒澤がコースアウトの隙に、先行した「従野」、「増田」の「ロータリー」勢を、黒澤は激しく追い始めた。

一瞬のスキも無い、激しい戦いが繰り広げられたいたのだった。

たった一台のGT-Rの為に、数台の「ロータリー」勢が非情にも襲い掛かっていたのに、まったくそれ動じる事無く黒澤GT-Rは激しくヴァトルを続けた。

4周目、ついに黒澤はトップに躍り出た!

ヘアピンで黒澤は全ての「ロータリー」勢を抜き去り、トップに立ったのだ!

ストレート!

黒澤は再び「従野」に抜かされてしまったが、ストレートに舞う全てのクルマを使い、背後に喰らい付きスリップストリームを駆使し、それ以上順位を下げる事なく、「従野」の背後に不気味に貼りついた。

6周目、その「従野」のリヤタイヤがバーストし、勢いでクラッシュしてしまった!

10周に至る前に「マツダ」ワークスは、たった一台のGT-Rの為に壊滅的なダメージを被ってしまった。

もはや、戦力的に黒澤GT-Rに対極できるのは「増田」、「武智」の二台となってしまったのだ!

ストレートに入ると、黒沢GT-Rの必要なスリップストリームを嫌がって「増田」が「武智」がコース幅いっぱいに使って右に左に逃げまわっていた。

それでもGT-Rは、裏富士に入ると「ロータリー」を抜き去り先頭を奪い、再びストレートでは・・・という、これまで何回も繰り返されてきたヴァトルを繰り広げていた。

しかし・・・・・・

それは、残り6周という所で起こってしまった。。。

激しい競り合いを繰り返してきた「武智」と「黒澤GT-R」がコーナーで激突。。。

ついにGT-Rはコースに戻る事は無かったのであった。。。

これが、俗に言う72年GT-R最終レースでの。。。

「勝負には負けてレースには勝った」
 
といわれる戦いの一部始終である。

このレースの後、急遽襲ってきた「オイルショック」が、またGT-Rに重くのしかかって来た。

モデルチェンジ前のモデル・・・そして翌73年1月、「ケンメリ」にもGT-Rが追加されたが、それは「余ったS20エンジンを処分する為と、GT-Rのファンに向けた日産の鎮魂歌」だったとも言われている。

「ケンメリGT-R」総生産台数197台・・・

実際には、もっと多く造られたのだが、一般的にはこの200余しか最後のGT-Rは存在していないと言われている。。。

一方の「マツダ」は、「ロータリー」の特性を生かし、公害対策には生き残ったが、この「オイルショック」の「燃費」の問題で苦境に立たされたが、レース活動は続けた。

「サヴァンナ」は100勝をマークした。

しかし、そこに「賞賛」の声は聞かれる事は無かった。。。

なぜなら「サヴァンナ」には、もはやGT-Rの様な強力なライヴァルが存在せず、一人で勝ち続けた様なモノだったからだ。

「GT-R」は「ロータリー」に苦しんだ。

そして、「50勝」・・・生涯記録はワークスが去った後も、プライヴェート達が頑張り「58勝」を上げ、後世まで、語り続けられる事になった。

「サヴァンナ」は、「GT-R」より多くの勝ち数を上げながら、人々の記憶から忘れ去られてしまった。。。

これを歴史の悲劇としか、言い様が無いのではなかろうか。。。

そういった意味では「GT-R」は「幸福」であったと言えよう。
「サヴァンナ」は強すぎるが故に「不幸」であったに違いない。

長々と続いた、この「ロータリーとGT-R」のブログだが、そこに日本の自動車産業の縮図と、人の運命にも似た「幸運」と「不幸」の狭間を垣間見た・・・と私は思うのだが、皆さんは如何感じただろうか?

少なくとも、今の日本でも有り得ない様な、劇的で刺激的なレースが30年も前にすでに繰り返されていた事だけは、ここを訪れた皆さんだけには胸に刻んで欲しいのだ。。。

最後に、本当に長い間、このシリーズを応援して、時には励ましてくれた皆さんに心からお礼を述べたい。。。

「ありがとう」・・・と。。。

2005年6月26日 徳小寺 無恒
ブログ一覧 | ロータリー VS GT-R | クルマ
Posted at 2005/06/26 03:59:53

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この記事へのコメント

2005年6月26日 11:56
私には「GT-R」とは、車でありながら それで終わらないドラマを持ち続けている、尊敬出来る生涯を送った 先人の様な不思議な存在です。
第二回日本GPで S54Bが一瞬、ポルシェ904の前に出た所からドラマは始まりましたよね。
終戦を経て、右肩上がりの高度成長期の入口にいた 当時の日本の車好きには痛快な出来事だったと思います。
そしてPGC10での快進撃 ~ KPGC10での満身創痍の戦い・・・
生き様が「侍」そのものです、それも戦国時代の。
このブログを拝読し終わった時に、何故か 大相撲の平成三年夏場所初日に 横綱 千代の富士が 当時関脇の 貴花田に破れ、二日後に
「体力の限界!」 と云う言葉を残して引退した時の事が頭に浮かびました。
「GT-R」という響きには、琴線に訴えかける何かがあるんですよねぇ。
実家には 当時 親父がプリンス店で貰って来ても貼る事の無かった、「R383」と「KPGC110 ゼッケン73」のポスターが今でも残っているかもしれません。
丸められたポスターの内側で鮮やかな姿を保ちながら・・・
「GT-R」は私の中での理想の車の原点です。

徳小寺さん 有難うございます。そして、お疲れ様でした!
コメントへの返答
2005年6月28日 12:53
全ては第二回日本GPの、ポルシェを抜いた・・からスカイラインのハナシは始まりましたよね。。。
おっしゃるとおり、終戦、敗戦によって、日本人はかつて無いくらい自信を喪失していましたね。
特に外国への劣等感は如何ともしがたいモノがあったと思います。
そんな中、はるか彼方の存在だったポルシェを一時ですが抜いた訳ですから、その熱狂たるは想像以上のモノでした。。。
かつて、スカイラインのエンジニアとして有名な「櫻井眞一郎」氏は、スカイラインの事を「浪花節」と評された事に付いて、「それはそれで良いことだ、日本の風土、使い勝手に基づいてクルマ造りをしているので、他の事(外国車)は眼中に無い。だからそう言われる事も悪くない・・」と言いました。
日本人の為に日本のクルマを造る・・・まさに日本人の心情に何か訴えかけるモノがスカイラインには存在するのだと思うのです。
外国のマネではない、日本人が日本の技術で作り上げたクルマ、スカイライン。
その頂点に立つGT-Rが、活躍するという事は、まさに日本人の技術力や想像力の具現化以外の何者でも無い訳ですから、熱狂する訳ですよね。
そして、ハコスカの戦い方は、まさにある意味で古い日本の「心意気」とか「努力」という形そのものだと思うのです。
特に、そのスカイラインも国際化という波に呑まれてしまい、昔のたたずまいが無くなった今、さらに当時の様子が我々の心を打つのかもしれませんね。
one&onlyさんには、いつも真摯なコメントを頂いて、本当に励みになりました。
正直、このシリーズを超えるモノを、書き連ねるのは困難・・かと思うのですが、単発モノでこう言った歴史をブログする事もあろうかと思いますので、また、叱咤激励のほどお願い致します。
ありがとうございました。
2005年6月26日 21:40
スカイラインもサバンナも伝説ですよね。
 こういう歴史のあるクルマ、私も好きです。それだけに直6でないスカイラインや「サバンナ」の名前が消えたRX-7など、どこかさみしさを感じます。

大変読み応えのある記事、ありがとうございました。特小寺さん。

コメントへの返答
2005年6月28日 12:59
まさに「伝説」でしょうね。
僕は「歴史」に囚われる事は良くないと思うのですが、「歴史」に基づいた新しい価値観の創生は良い事だと思うのです。

振り返って、今の日本のメーカーのやり方は、「過去を断ち切って」とか「リセット」して。。。の様な、ブランドの再構築や切捨てが横行しています。

「歴史」は一朝一夕にできる者ではありません。

もっと、メーカーには、それぞれのクルマの「歴史」にそった、新しい文化を造る努力を忘れて欲しくは無いと思います。
2005年6月26日 22:17
大作のブログお疲れ様でした。知ってることも知らないことも、貴重な画像や皆様のコメントなど含めてとても興味深く拝見させていただきました。
「幸福と不幸」
そうですよね、生産終了後半ば神格化され今もオーナーの方たちによって手厚く維持されているGT-Rに比べて、RX-3は100勝も挙げて当時「V100」の限定車まで出ているのにかかわらず、(GT-Rに比べて)車両の安さと手軽にチューンできることから「違法改造車」が多かったためにディーラーが下取り車を廃車にすることが多かったことので現存数も少ないとか。。
今の旧車の本の取り上げ方なんかでも如実に出てますよね。

 ケンメリGT-Rは通っていた中学校の近くの大工さんの家にありました。一度だけ動いている姿を見ましたがエンジン音が他の車とはまったく違う「フォーン・・」という感じの乾いた綺麗な音だったのを記憶しています。(字であらわすのは難しい)
何年か後無くなっていたのですがうわさによると近所の人が買ったR30のRSかRSターボと「交換」したとかしないとか・・


コメントへの返答
2005年6月28日 13:13
「スカイライン」と「サヴァンナ」というクルマは、まったく双極を為すクルマだと思うのです。
どうも「サヴァンナ」は、「悪者」的な表現やイメージで紹介される事が多いのですが、僕は決してそうだとは思わないのです。
GT-R的な究極を突き詰めたやり方とは違って、それまでに無い新しい価値観(ロータリー)で挑んできただけなのですが、どうもそれが日本人の感性には合っていなかった様ですね。
単純な「価格差」の為に、「サヴァンナ」がどんどん姿を消してしまい、今となっては正当な評価さえ難しくなっている。。
これって、本当に悲しい事ですよね。
ひとつの時代を作った歴史的なクルマとして「サヴァンナ」も、誰かがちゃんと今しないと大変な事になってしまいそうな気がします。。
もうひとつ、心配なのは当時のマツダ車のクオリティも正直問題があったのは事実です。
ここは、メーカー主体でもっと過去のクルマ達を後世に残る努力を切望してやみません。

ケンメリGT-Rは、一時期、その生態数の少なさから、投機的な扱いを受けてしまいましたが、実際には排気系の取り回しとか、ハコスカより大柄なボディが幸いして、エンジンの吹き上がりが良かったりします。

レースカーとしては残念なクルマですが、グランドトゥーリングカーとしては、ある意味で面白いクルマだと思います。

神業が要求される整備とか・・こちらも、別の意味で大変なクルマですが、「サヴァンナ」同様に後々まで残って欲しいですね。

そろそろ、クルマも文化的遺産として、メーカーには「自覚」を、ユーザーには「意識」を、行政には「実行」を望んでやみません。
2005年6月27日 10:06
徳小寺さん、お疲れ様でした。
このシリーズ、まるで本を読むように見てました。
ずっと読んでて面白かったです。

私の乗ってる「ロータリー」とその強烈なライバル「GT-R」(←皆さんとは見ている方向が違うかもしれませんが・・・)、それらの成長過程を垣間見ることができました。

機会があればまた、バトルネタ(REとGT-Rじゃなくても)紹介してもらえたら嬉しいです。

コメントへの返答
2005年6月28日 13:25
ehudeeさんからも、本当にたくさんのコメントを頂きました。
私も最初は「ロータリー」も「GT-R」も公平に・・と思いましたが、なかなか難しかったですねぇ。。
「ロータリー」も色々な苦難や「努力」があってこそ、「GT-R」というクルマに挑めなかった訳ですから、もっと正当に評価されて然るべきだと思います。
しかし残念なのは、「ロータリー」のこう言った事を、冷静に厳密に書き記した文献や資料が少ないんですねぇ。。。
ですから、少しでもそういったアンバランスを解消できれば・・・と思い、ひとつのブログで、その全部をロータリーに費やしたモノをいくつか書き記したつもりではいるのですが・・・

「ハコスカGT-R」と「ロータリー」の戦いは、掘り下げれば掘り下げるほど、もっと色々な技術的な事や、人間的な事がたくさん出てくると思うのです。

いつか、それらを公正に書き表してくれる文献が出て来ることを願って止みません。

私としては、ロータリーに乗られている方にも、このブログを読んで頂いて、こうしてコメントを寄せて頂いた事に本当に感謝しています。

メーカーを超えて、エンジンの違いを超えて、一人のクルマが好きなオーナー同士として、これからもコメントや話題の共有が続ける事ができれば最高の喜びです。

ありがとうございました。

プロフィール

「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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