
まだまだ未舗装路が多く、速く走れることよりも、どんな悪路でも壊れない堅牢無比な事が要求されていた国産車が初めて海外へ運ばれ、ハイウェイを走ると、クルマが壊れるのではないかと言うくらいの振動に悩まされ、その原因が 「タイアが丸くなかった」 という、今から見れば想像もできない工作精度であった国産車。
それでも、原因を突き止め、日本車を海外に輸出しようとする熱意に変わりは無かった。
件の DATSUN 1000 も、80Km/h を超える高速走行に如何に耐え、自動車先進国であるアメリカの市場に何とかして乗り込もうと努力したが・・・・
昭和33年4月、日産は亜米利加の生きた交通事情を知るために4人の社員をロスに派遣した。ロスには事前に2台の DATSUN 210 が運び込まれ、現地でデザインの勉強に来ていた 四本和己 に
「お前はロスに慣れている筈だから 210 を運転して見ろ」 と鍵を預けたが・・・走り始めて直ぐに 四本 は怖がって運転しなくなってしまった!!
「これじゃ怖くて運転できません」
まずはフリーウェイに入ろうとすると、進入路がダラダラの上りになっているのだが、ギヤをセカンドに入れると、あっという間にエンヂンが吹け切り速度が出ず、サードにシフトアップすると、トルクが全然ないモノだから速度が出ない・・・・
ビュンビュン 80Km/h 以上の速度で走る本道に、たらたらと 40Km/h しか出ない DATSUN 210 では速度差が大きくて入れないのだ。進入路で止まってタイミングを見ていると、白バイがやって来て 「何やってんだ!」と怒鳴られるのだが、速度が出ないので如何ともし難い。
とうとう、白バイも見かねて、本道のクルマを止めてくれてやっと合流できたのだが、平坦路なら、何とか他のクルマの流れに付いて行くが、少しでも坂に差し掛かると、あっという間に速度が落ちて、後ろには長蛇の列が出来てしまった。
その経験から、排気量を 200 CC アップさせて、ギヤを四段にした ブルーバード 310 が開発されたのだ。
ようやく高速走行にも耐える事が出来る国産車の登場は、ブルーバード310まで待たなければならなかった。
実は、そんな高速走行の苦難は日産だけでは無く、一年早くアメリカに トヨペット・クラウン RS で進出したトヨタも辛酸を嘗(な)めていたのだった。
DATSUN210 より排気量が大きく馬力も大きい トヨペット・クラウンだったが、高速走行に耐えれずに・・・
DATSUN 210 に比べて、排気量1453cc、出力48ps と高速走行に耐えれそうなスペックだったのだが、長時間にわたる高速走行では、エンヂンの焼き付き、ベアリングの損傷、サスペンションのリンクの折損、プロペラシャフトのアンバランスによる、振動などなどで、こちらもはかばかしくはなかった。
インフィニティだレクサスだの、欧州の高級車のレヴェルを驚愕し始めている国産車も、この頃北米では、単純な高速の邪魔者でしかなかったのだった。
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輸出仕様 | クルマ
Posted at
2014/11/15 17:53:18