
松岡修造、小田裕二、三浦和良が生まれ、ツィギーが来日してミニスカートが流行、大卒の初任給が二万五千だった昭和42年にリリースされた LC10型フロンテ360。
それまでの軽自動車の概念を超えたデザインと、エンヂン性能で一躍人気車種となった。
当初は「スタンダード」と「デラックス」のツゥグレードでスタートし、それらのノーマルエンヂンでも25PSを誇り最高速は110Km/h に達した。
その人気に後押しされる様にグレードも増えて行き、半年後には、もっと豪華なモデルをの声に「スーパーデラックス」が追加になり、豪華モデルが追加されると、もっとハイパワーなモデルを・・の声が高まり、一年後の晩秋に、ついにリッター100馬力のハイパーモッデル が登場した。
モータバイクのノウハウが惜しみなく注ぎ込まれたSSが遂に登場した。
その名は
「フロンテSS」 。(スポーツセダンでは無くストリート・スポーツの略)
エンヂンのヘッドは冷却性能を上げるために、アルミ合金製に換装され、カブレーションの口径も大幅にアップ。
遂に馬力は 36馬力 に達し、最高速も 125 Km/h となった。但しハイパー・ツゥサイクルの定めで、最高出力は 7,000 rpm で発揮され、最大トルクも 6,500 rpm までブン回さなければ、このマシンの性能を引き出す事が出来なかった・・・。
それでも当時はマニュアルが当たり前だったので、ちょい半クラ長めの、回転上げ気味でスパッと決まるとロケットスタートで軽らしからぬ加速を味わえた。しかし、これが坂道発進となると一人乗りだと何とかなるが二人乗り以上になると結構キツかったのも事実だった。(閑話休題)
2スト3気筒は4サイクル6気筒に相当する・・と盛んに宣伝していた。2ストなのに「生ガソリン」という表現も懐かしいモノだ。(クリックで拡大)
このSSは、発売前にモトライダーの伊藤光男とレーシングドライバーのスターリング・モスによって、伊太利のハイウェイ「アウトストラーダ・デル・ソーレ」で高速耐久走行を行い、ミラノ・ローマ・ナポリ間、約750Kmを6時間6分、平均時速122.4Km/hで走破した。
そしてフロンテには、他のメーカーでは考えられないようなオプションを数多くそろえた事でも有名になった。
例によってオプションパーツは豊富に用意され、バネ、マフラー、バケットシート・・・と現代でも考えられないくらい豊富なオプショナルパーツがあった。(クリックで拡大)
バケットシート、強化サス、スポーツマフラー、ロールゲージなどなど、本格的なオプションが用意されて、モータースポーツにも積極的に関わる姿勢を見せたのだ。
さらに、ユーザーのニーズを汲み取る形で、どんどんとヴァリエーションを増やし、モータースポーツを意識した、スタンダード仕様にSSのエンヂンを登載した 「SSスタンダード」、逆に雰囲気重視で、SSのボディにノーマルエンヂンを搭載した 「S」や、アートマッチックモデルの追加に、SSに装備をさらに充実させ、さらにスポーティな雰囲気を持たせた 「SSS」 が登場するに至った。
SSにさらに装備を充実させ、スポーティな雰囲気を醸し出した SSS が追加された。
どんどんとエスカレートする軽自動車のハイパー競争は、この後も続いたが、その中でもスズキは、パーソナルユースを考慮した フロンテクウペ をリリースして、さらに脱軽自動車 を目指したのは前記した通りなのだ。
小粒でもピリリと・・・そんなクルマが「フロンテ」のLC10型だったと思う次第なのだ。
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Posted at
2015/04/07 22:54:13