1960年代は国産車にとって飛躍の世紀であった。
それまでは国策として自動車産業は守られていたが、1965年には輸入の自由化が図られ、国産車のメーカーは多過ぎるのではないかと言う声さえも囁かれる様になった、日産、トヨタという二つのメーカーに集約してはと言う、いささか早急な声もあった。
そうした中、三菱、東洋工業、本田と言った二位以下のメーカーは生き残りをかけて個性と技術をより磨く必要があった。
1966年、プリンスが日産に実質的に吸収合併されると、国産車メーカーの集約と言う声が現実をもって感じられるようになった。
輸入自由化の中、逆に国産車の輸出も重要な課題となり、国際的にデザインも洗練されたものにならなくてはと言う思いから、各社、海外の特に欧州のカロッチェリアの扉をたたくこととなった。
日産は主力車種であるブルーバードとセドリックを ピニンファリーナ に託し、
ルーフ後端まで回り込んだドリットプモールや、フロントからリヤへ弧を描くように下がってゆくプレスラインが当時の欧州のデザイントレンドだった。
マツダはベルトーネに、新型車である 「ルーチェ」 のデザインを委託した。
曲線基調と思われているが、直線的なピラーやプレスラインが効果的にデザインされており曲線曲面基調のクルマにありがちな「ゆるさ」は微塵もない。
そして、カロッチェリアとの協業で最高の傑作と言われる いすゞ117 クウペ が ギア から生まれた。
永遠のクウペとも言われる完璧なデザイン。ウェーブを描くダイナミックなショルダーラインと、クウペらしからぬルーミーな視界を確保した、広大なウィンドゥと細いピラー。
ここで、ピニンファリーナのセドリックとブルーバードはともかく、実は初代 ルーチェ と 117クウペ はある意味で兄弟と言えるクルマなのだ。キーワードはズバリ 「ジョルジェット・ジュジャーロ」。
こういうと賢明な諸氏から、「何を言ってるんだい、ルーチェはベルトーネ、117クウペはギヤ、イタルデザインではないか」と。
それでは「ジョルジェット・ジュジャーロ」 の足跡をたどってみよう。
1938年8月、 「ジョルジェット・ジュジャーロ」 は伊太利のクーネオ で生を受けた。画家志望であった彼が高校時代に描いた フィアット500 のデッサン画が、フィアットの技術部長だった ダンテ・ジアコーサ 目に留まり、
ダンテ・ジアコーサ がデザインまで行った 初代フィアット500 トポリーノ。
1955年フィアットのデザイン部門にスカウトされた。4年後彼はベルトーネのチーフデザイナーにヘッドハンティングされ、1963年にデヴューした ゴードンGT が彼の最初の量産車と言われている。
1963年から4年間しか存在しなかった英国の「ゴードン」。その最初で最後のモデルが「ゴードンGT」だ。
BMW3200CS や ジュリア・スプリントGT などのヒット作を手掛け、ベルトーネの黄金時代を作り上げ、1965年にはギアのチーフ・デザイナーに転身した。
ここまで彼の経歴をたどると、ルーチェと117クウペがデザイン的に兄弟車と言う事が分かるだろう。
三菱も、そうした彼の先進のデザインに目をつけ 「ジョルジェット・ジュジャーロ」 に新型車のデザインのアイディアを仰ぐことになった。
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Posted at
2016/06/05 20:15:00