
日産は3度の危機を乗り越えて来た筈なのに、どうしてまた危険な水準まで落ちていったのだろうか。
本当かどうか知らないが、またゴーンが言い放った言葉がマスコミを賑わした。
「日産はおそらく2〜3年以内に倒産するだろう」
これに、多くの人たちや、当事者たる日産の連中は、「またゴーン節」かといぶかったが、今の日産の財務状況はあながちゴーンの恨み節では済まない状況なのは間違いのない事実だろう。
またまた、ここで当事者の日産の社員に「危機感」の欠片も無いのも、相変わらず能天気な集団と言わざる得ないだろう。
かつてゴーンはこう言った。日産の問題は、
機能間、地域間の連携の欠如
危機感の欠如
ビジョン、中期計画共有の欠如
の三点だと。
こうしてみると、これまでの奇跡的な復活も相まって日産の社風は、
「どんな事があってもウチは倒産しない」
という根拠の無い自信に満ち溢れているみたいだ。
一度目の「労働争議」は新組合の結成で乗り越え、二度目の危機は、救世主であった組合が力を持ちすぎた結果、労使との対立が激化、さらに輪をかけて1965年のプラザ合意に端を発した「円高」で日産は「赤字」に。
青息吐息の日産は、ここでまた奇跡を起こす。そう、バブル経済によって復活して、息を吹き返したのだ。
バブル期には日産は次々と人気車が出て凄いなぁと思ったのだが実は・・・
ここで体力を取り戻そうと地道にやれば良かったのに、バブルに踊らされ、生産能力の増強、開発費の増大で、確かに売り上げは伸びていったが、実はその利益の幅は大きくはなく、逆に設備投資や開発費の捻出のために「有利子負債」がどんどん増えていたのだ。
売り上げが伸びて、開発費や設備投資も盛んに。バブルは日産にとんでもない「借金」を背負わせていたのだ。
そしてバブルが弾けると一気に景気は冷え込んで、クルマが売れなくなって、日産もハタと気づくと 200億円を超える赤字と、有利子負債が 2兆円をこえる今すぐにも潰れてもおかしくない瀬戸際に立たされていたのだ。
バブルの崩壊でクルマが売れなくなっていたが、さらに日産は、どうも市場にマッチしないクルマを出し続けてしまった故にさらに病状を悪化させてしまっていた。
つまり、市場調査を行っても、それを十分に分析理解しないで、上辺だけで解釈して、ブランドのコンセプトが明確にならず、モデルチェンジの度に、まるで前のモデルは無かった事にみたいなモノや、えっ!と思わざる得ない自己満足的な市場の方向性とは違ったモデルが乱発された。
カッコよくて売れていたモデルも、一握りの中が狭いの声に過剰に反応して居住性重視の外観がエッというモデルも出て来た・・・
本当に市場やユーザーが望む声が届かない
↓
変な解釈でニーズとずれたクルマを発売
↓
販売数が激減
↓
売り上げが落ちる
↓
儲けが少ないから開発費が広告費が削られる
↓
さらに開発・広告費が削られて商品力が低下
という「負のスパイラル」に陥り、借金は膨らむし、クルマは売れないしという危機的な状況に陥ったのだ。
後の無い日産は、クライスラーとの提携を模索し断られ、次にダイムラーとの提携も進められたが、これも実現できず、フォードとも・・となったのだが、さすがに倒産寸前の会社への提携は無理な話であった。
そこに手を差し伸べたのが「ルノー」であり、送り込まれたのがゴーンであった。
まるで幕末の「黒船」の様なゴーンは、衝撃を持って受け入れられ、日産の高コスト体質を見抜き徹底的なコスト削減を推し進めた。そう、リバイバル・プランの実行であった。
ゴーンは日産の高コスト体質を見抜き、系列や組合などのしがらみがない立場を利用して容赦なくリストラを断行した。
これまで系列や組合との関係で大ナタがふれなかった経営陣だったが、ゴーンは、まったく、そうしたしがらみがなく、日産の無駄と思われる、日産とプリンスの二重構造の無駄な工場の閉鎖、それに伴う人員整理。
販売店も250店舗余り閉鎖、販売会社自体も18社削減。
販売ブランドも、開発費や生産効率の名の下に続々と切捨てていった。
歴史があろうが、固定した顧客があろうが、Sクラス、Mクラス、Lクラスとその他で車種を絞るために容赦なく日産の文化ともいえるブランドを捨てていった。
人もモノも、クルマも搾れるだけ絞って無駄を削ぎ落すことによって、日産は奇跡の「V字回復」を果たした。
しかし冷静に考えて見れば、過去のしがらみを捨て、無駄を容赦なく無くしたという基本的単純な「リストラ」を行っただけであり、たしかに、それは日産の体質を変え、利益を生む俎上づくりという点では間違っていなかったが、それが日産の姿を変質してしまい、かつてはトヨタの良きコンペティターであった日産が、いつしか国内で存在感や販売台数で市場を引っ張っていた姿を無くさせてしまった。
ここに、今のゴーンが言う、
「日産はおそらく2〜3年以内に倒産するだろう」
の根拠があるのだ。
つまり、ゴーンがやって来た当初は、有り余る無駄と改善点があったが、今の日産には絞りに絞った姿しかなく、改善の余地が少ないという現実と、確信犯なのか、ゴーンはゴーンに代わる経営者、技術者を育てていなく、ルノー三菱日産アライランスをまとめるどころか日産一社もまとめられる人材が居ない事を指して「倒産」という言葉を言い放ったのだ。
何度も言うが、マスコミに登場する、今の日産の経営者にゴーンの様なカリスマ性とまでは言わないが、日産を変えようという意気込みや、クルマが好きでという雰囲気を感じる人物が、どう見ても見当たらないのだ。
それなのに、日産の社員たちに、何とかしようとか、日産を変えてやろういう雰囲気を微塵も感じられないのも、僕個人的に、本当に今の日産は、かつてないほどに危機的な状態と感じてならないのだ。
何かの雑誌かWEBで読んだのだが、ゴーン改革を野球に例えてこう評していた。
(記憶なので内容や表現は正確性に欠けるがご容赦を)
万年Bクラスのチームに、満を持して新しい監督が外国からやって来た。
新しい監督は、どんな手段を講じても「優勝」をする事をコミットし、それに対して選手もコーチももろ手を挙げて賛成した。
新監督の意向で、戦力向上のために、どんどん新しいコーチや選手がやって来て、戦力が上がるにつれて、最初に「優勝」を誓い合った選手もコーチも、だれ一人いなくなり、監督だけが代わらずに「優勝」してしまった。
果して今の日産の姿形は正しい形なんだろうか。
ゴーンが全ての権力と決定権を握り、それに従う人材のみを集め、自分に代わる人材を育成してこなかった。ゴーンのサラリーだけ上がり、クルマが売れる海外向けのクルマばかりになり、振り向けば国内向けの魅力的な車種なんてひとつもなく、何時まで経ってもモデルチェンジなんてせず、ゴーン以降に生まれたブランドも育てる努力もしないから売れない、だから止めようなんていう単細胞的なコスト削減を行ってしまっている。
売れているクルマも e-Power だのみ。ちゃ~んとすれば売れるブランドも放置プレーし過ぎで手の施しようもなくなって・・・
ここまで悪化してようやく新型車を出そうなんて、よほど気合が入っていなければ上手く行くはずがない。
ようやく新しいクルマを出す気になったみたいだが、どれだけ魅力的なクルマ作りがされているか・・・今の腑抜けの日産マンに期待していいのだろうかねぇ。
なんだかかつての、面白いクルマを作ろう、こんなクルマはどうだと提案していた日産の姿を、正直、今のトヨタの社長の姿に見てしまうのは僕だけだろうか?
日産は、儲けを出すために、日本人のためのクルマを捨ててしまい、いつの間にか日本人と日本を顧みないメーカーになってしまった。
いつの間にか日本のメーカーである「日産」が、日本市場を軽視した クルマ作り、モノづくり をするようになっていった。(日産公表資料より クリックで拡大)
昔からの日産ファンとして、日産はもう一度今の姿を直視して
「日本の日産」
に戻って欲しいと熱望して止まないのだが如何なものか。
もう一度、本気で日産は日本のメーカーである事を社員自体が、経営陣が自覚して、今度は歴史の偶然に頼らずに
技術の日産 を
復活 して欲しいと、昔からの
いちファン の願いとして思う次第なのだ。
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Posted at
2020/03/15 00:37:52