
1969年に登場した初代 S30系 Z も終焉に向かって時間の針が容赦なく進んでゆく。
公害対策や、安全や快適性についてのユーザーの嗜好の変化、そして省エネルギーと言った社会の変化が、スポーツカー「フェアレディZ」の姿も変質させ続けた。
中期型に駒を進めた S30Z であるが、最大の市場である北米や、ツゥシーターを売ることが困難である国内市場の声に押されて、+2 の「2by2」 が 1974年1月 に登場した。
リヤタイアを300mm後方へ移動してリヤに居住空間を造り出した。ドアも100mm長くなっている。
リヤタイアを300mm後方へ誘い、ツゥシータの S30Z に新たに 2座 のシートを造り出した。
2by2 化によって、ドアが100mm長くなりルーフもリヤフェンダーも新たに作り直された。しかし、後付けの様な 2by2 の登場だが、実は当初から、「フルオープン」、「タルガトップ」、「2by2」 のデザインができており、決して 急造り なデザインと構造では無かったのだ。
内装でのツゥーシータとの違いは、シート中央部が ファブリック化 されている。
決して快適な空間では無かったが、リヤの2座追加で売り上げが向上した。そして環境に対する要求には、エンヂンマネジメントの電子化、燃料噴射化によって乗り切った。
1975年9月。それまで SUツィンカブレーション だった L20 に、ボッシュ L-ジェトロニック式電子制御燃料噴射装置 こと 「ニッサンEGI」が搭載され 50年排ガス規制をクリアした。
それまでの日産高性能車の証だった SUツゥンカブレーション も公害対策で遂に電子制御化され SUカブ の時代が終わった。
125PS/6000min-1 から 130ps/6000min-1、トルクも 17.0Kg・m 変わらずと馬力は向上したが、エンヂンマネジメントの為に補器類が増えたためにレスポンスは大幅に低下して、さらに約60Kg 増加したウェイトもますます S30Z の動力性能を奪い取っていってしまった。
それでなくとも踏んでも踏んでも回らない、まわっても上まで回らなかった L20 は、さらに、いくら踏んでも踏んでも回転が上がらないし、回転が上がっても、一度回転がドロップすると絶望的に回転が素早く元に戻る事が無いエンヂンになってしまった。
L20 の凋落ぶりは酷かったが、その頃の国産車のエンヂンは、どれも似たようなモノで、
「僕たちは、もう速いクルマに乗れないんだなぁ」
と大いに落胆したモノであった。
そんな状況であったので、当時は
「排ガス未対策車」という看板がついた中古車が高値で取引されていた。それくらい、「排気ガス対策車」特に「50年式」の動力性能は惨憺たるものになってしまっていたのだ。
そして、よいよ S30系 Z の最後の大きなマイナーチェンジが行われ、最終形 である S31型 へと 初代Z は変った。
「後期型」は、外観的には大きな変化が無いように思われるが実は劇的な変化を遂げていた。
1976年7月。「後期型」に進んだ、初代Z は、より厳しくなった排気ガス規制の「51年排ガス規制」をクリアーする為に、それまで AT車 のみであった 「EGR(排気ガス還流装置)」を全車に、さらに MT車 には 「TSC(トランスミッション・コントロールド・スパーク)」と呼ばれる、ギアの位置を感知して点火時期を調整する装置も付加された。
外観的にはリヤハッチに、
リヤハッチに日産の公害対策システムを表す「NAPS」と、電子制御燃料噴射を表す「E」のエンブレムが付いた。
日産の公害対策のシステムを表す「NAPS(ニッサン・アンチ・ポリューションシステム)」を表す「NAPS」と、電子制御燃料噴射「EGI」を表す「E」のエンブレムが増設された。
合わせてマフラーも3度目の変更によって形状が変わっている。
一方フロント周りは、
目立つのは、それまでの「砲弾型ミラー」から角型の「タルボ型ミラー」の変更だ。
大きく目立つのが、バックミラーが、丸形の「砲弾型」から角型のケースの中に「鏡面」がビルトインされた「タルボ型」ミラーへと変更された。
室内に目を向けると、センターコンソール周りのレイアウト変更と、僕的には一番落胆した、メーターの書体変更と、
速度表示が「180Km/h」までとなり、書体も他の日産車と同じになった・・・。
運輸省の「ご指導」で「180Km/h」までしか目盛る事が出来なくなってしまった。
まぁ、「240Km/h」と目盛っても、良くて「180Km/h 前後」しか最高速は出ない事は分かっているが、雰囲気的にエラク性能が落ちたように感じてしまっていた。
S30系は、大きく3度ほどメーターが変わっている。細かく言えば・・・面倒なので省略(笑)
さてさて、ここまで見た目の変化を中心に S30系 Z の最後の雄姿をご紹介したが、実は知られていないが中身はとんでもないくらい変化しているのだ。
EGI化によるレスポンスの低下と重量増加に対応して、最終減速比が 3.900 → 4.375 に引き下げられた。
一番大きな変化は、シャーシの剛性向上で、フロアを通貫するメンバーが前後の端部迄伸ばされ、形状も大きくなった。
ラヂエター下のコアサポート、フロアトンネル形状、リヤストラットタワー形状も変更され、剛性が大幅に向上した。
(これは、後期以前と乗り比べると、フロアーの振動等が全然違う事に気付くだろう)
こうして、初代 S30系は、最後の最後までブラッシュアップを続け、1978年8月に 2代目 S130系へとスイッチした。
一見すると、あまり姿形が変わっていない様に感じる、初代 S30系 Z なんだが、実は細かい部分で、多くの声や、社会的な要因で、長く作られた事もあって、中身は初期型と後期型では全く違うクルマになったと言っても過言では無かった。
また、そうした不断の改良が、初代Zを最も量産されたスポーツカーとして遥か後世まで記憶に残るクルマにしたのかもしれないと僕は思うのだ。
初代フェアレディZ。まだまだ細かい変更点はあるのだが、ここまでに紹介したポイントを知っているだけでも、初代Zの見方はきっと違ってくると思う次第なのだ。
(追伸)
初代S30系Zの、スティアリング・コラムのレヴァーの配置は、
右はウインカーとパッシングボタン。左はライトとワイパー、ウオッシャーボタンというレイアウト。
右が「ウインカー」とレヴァー先端が「パッシングボタン」。こちらは、当時の日産車のデフォルトの形状。
対して左は、当時の常套手段であった、インパネ上にスイッチでは、肩からの距離が長くなる事と、基本的に「インパネ」に「所場」が無いので、コラムにスイッチを集中化した、「ライト」と「ウオッシャー」のコンビネーションスイッチレヴァーになっている。
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フェアレディ | クルマ
Posted at
2020/11/07 00:45:44