
AUTOMOBILE COUNCIL で懐かしい再会を果たしたのだが、ハナシはこれで終わりではない。
実は、もう一人ステキなレディにも逢う事が出来た。彼女の名前は
DATSUN 240Z こと
FAIRLADY 240Z
彼女の生きざまも、まさに、ミュージカル 「My Fair Lady」そのもので、戦前から続く、ラダーフレームに荒ぶる4気筒エンヂンのフルオープン・スポーツカーが、高性能で快適で、何より多くの男性の心を射止めてやまない流麗なボディをまとって生まれ変わった 淑女 であった。
とにかく高性能だが、荒ぶるエンヂンに乗り心地もハードな 下町の彼女だった SP/SR フェアレデー。
ここで再会した彼女は、1972年、雪と氷に閉ざされたモンテカルロの山々や街中を駆け抜けたアスリートであった。
それまで DATSUN は、FRでありながら総合9位という、FR車で現地の誰もが無しえなかった戦績を残していた。
しかし、DATSUNはさらなる高みを目指して、240Zとフィンランド・フィンである 名手 ラウノアルトーネンを送りこんだ。
神業 240Zを華麗に操った男
→ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2239184/
FR車では入賞はできないと言われたモンテでDATSUNは、総合9位まで昇りつめていたが・・
ラウノアルトーネンは、確実に着実にどんなマシンでも優れた戦績を残すが、非常にデリケートで大胆な男でもあった。
ある時は指が引っ掛かるからと、わずかな ほつれ のステアリングの縫い目を直さしたり、シートポジションも ミリ単位 でセッティングさせた。
恩人 ラウノ・アルトーネンからみた240Z
→ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2239190/
しかし、彼のドライヴィングは豪快の一言。ノーズの長い 240Z を彼が提唱したレフトフット・ブレーキングと、常にハンドブレーキを駆使して、240Zを真横にぶっ飛ばしながら、ノーズで雪、氷の壁を削りながらモンテの峠を駆け抜けた。
240Zの全長とほぼ同じ道幅のモンテの山岳ステージを、ほぼ、真横にぶっ飛ばしながら雪の壁を削り異次元の走りで総合3位に導いた。
そんな荒々しい走りが嘘のように、彼女は 1600SSS と静かに僕たちに微笑みかけてくれたいた。
長いノーズを嫌いノーマルノーズにし、そこにS30Zの弱点であったヘッドライトの暗さをサポートさせる補助灯を忍ばせた。
さらに彼女は優しく僕たちに語り掛ける。「ほら見て、私の後ろ姿もステキでしょ」
S30Z初期型のワンテールなんだが、ゲートにはエアアウトレットは無い。
当時は重くて大きくて低すぎるという評判であった DATSUN 240Z RALLY であったが、72年モンテ仕様の240Zのパフォーマンスは、どのようなモノだったのだろうか。
ノーマル 240Z L24
150PS/5600min-1、21.0m-kg/4800min-1、日立Φ46SUツィンカブ
最高速205Km(カタログ値)
1972年モンテカルロ仕様 240Z L24
220PS/6500~6800min-1、24.5m-kg/6000min-1、ソレックスΦ44
最高速210Km
極端な言いかたなんだが、1600SSS の L16 に2気筒追加したのが L24 という成り立ちもあって、それまで 510 で積み上げたノウハウによって L24 のポテンシャルは大幅に向上していた。
実は 1600SSS があればこそ、240Z の輝かしい戦績も可能であったという事を知ってか知らずか、神々しいスポットライトの光に照らされながら多くの人を魅了している 240Z を見ていると、クルマとは言え、その成り立ちなどを思うと運命の不思議さを感じざる得なかった。
もう、数えきれないほど、実際に彼女たちと濃密な時間を過ごして来た筈なのだが、会えば会うほど、彼女たちの魅力と、尽きない秘密に、僕は捉えられてしまうのであった。
トロフィを持つのがラウノアルトーネンだ。
ブログ一覧 |
フェアレディ | クルマ
Posted at
2021/04/20 03:30:27