再び東京にオリムピックを誘致しよう・・という運動が盛んになって来ているが、日本が戦争と言う痛手からよいよ立ち直ったという象徴として1964年、東京でオリムピックが開催された。
その時にも現在と同じ様に、聖火がリレーされたのだが、実は初代セドリックも、その聖火リレーに参加していたのだった。
1960年4月に初代セドリックとしてデヴューした「30型」は、その縦目4灯の個性的なマスクと、通常とは逆にラウンドしたフロントスクリーンで、大いに当時の人々の羨望を浴びることとなった。
数年前・・ウチの亡くなったお袋の写真を整理していたら・・この画像の女の子と同じ格好をしていて・・それはもう驚きました(閑話休題)
当初1500ccでデヴューし、10月には1900cc車がリリースされ、1962年11月にマイナーチェンジが行われ、31型へと変わり、外観も縦目4灯から横目4灯へとリデザインされた。
そして1963年4月、ホイルベースを2690から2835mmに延長し、エンヂンも排気量2825ccのK型ストレイトシックスを搭載した 「セドリック・スペシャル」が登場した。
よく、この「セドリック・スペシャル」を、30型(論外)、31型(惜しい!)という型式で記述している書籍などを見るが、正式には
50型 が正しい事を皆さんには伝えておこう。。。閑話休題
この座間記念庫の50セドリック・スペシャルが、聖火を運んだ証拠は・・・
リヤシートに設置された「岡持ち」である。
この「岡持ち」に種火とした聖火トーチを搭載して、振動などの外乱に対処していたと言う按配だ。
そうそう・・・実は、この聖火リレーには、モチロン他社も参加していて、僕が持っている資料では、
三菱の「デボネア」や「コルト」が伴走車として使用されていた事が伺われるのだ。
さてさて、ここで徳小寺 無恒らしい「薀蓄」を披露したのだが、座間記念庫とは言え、残念ながら保存されていない、聖火絡みの第一級の資料性の高いブルーバードの存在をご存知だろうか??
実は・・・
オリムピックの前年、東京オリムピックの前年度祭として 「国土美国民大行進」が行われ、聖火リレーのコースを、この聖火台を模したモニュメントを載せた4台の410ブルーバードが全国を走破した・・・・
この410ブルが、揃えば、50セドリック・スペシャルと共に、実に貴重な資料となったハズ・・・と僕は思っているのだが。。。
(実は、今の日産の連中では、こんな410ブルがあった事も知らない・・かもしれない・・・哀!)
当時の文献や新聞の写しを眺めながら、如何に日産車が活躍したか、日産党の僕は笑みを浮かべながら悦に浸っているのであった。。。
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Posted at
2008/01/29 00:49:03