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徳小寺 無恒のブログ一覧

2008年04月24日 イイね!

追悼 シェカー・メッタを偲ぶ。

追悼 シェカー・メッタを偲ぶ。私とした事が、10日も経ってこんな大切な日を忘れていた事を思い出した。

2006年4月13日パリの病院へ前日緊急入院した「シェカー・メッタ氏」が亡くなった。
若い人たちには、馴染みの無い名前かもしれないが、僕達、日産・・・いやDATSUNのラリーの黄金期を知っている者達には忘れる事の出来ない名前なのだ。

1971年初めてサファリラリーで、DATSUNチームに加入し、240Zラリーでいきなり二位に入賞した兵であった。


(画像中央がメタ氏である。)

TOP画像の様なジャンピングスポットで、ラリーカーとして大きく重い重戦車の「フェアレディ240Zラリー」を飛ばしても、確実にゴールまで導く名ドライヴァーであった。

僕には二人の尊敬するラリー・ドライヴァーが居る。

一人は「ラウノ・アルトーネン」

神業 240Zを華麗に操った男
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2239184/

恩人 ラウノ・アルトーネンからみた240Z
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2239190/

240Z、モンテと言えば、もう彼の存在無くして語れない偉大なドライヴァーで、DATSUNのラリーマシンの高速化に絶大なる影響を与えた恩人でもある。

一方の「シェカー・メッタ」と言えば、サファリでのDATSUNの黄金期を築いた恩人と言えるだろう。

1979年から1982年にかけてPA10バイオレットで4連勝し、サファリでの日産、いや日本車の名声を高めた恩人である。

後年彼は、WRC委員長となりラリージャパンの実現に尽力した事は意外に知られていない事実である。

そんな彼が2006年4月12日、パリで倒れ緊急入院したのだが、翌13日多くの願いも虚しく帰らぬ人となったのだ。。

舗装路の多いステージは正直、得意としていなかったが、サファリロードの様な悪路ではめっぽう強く、豪快でありながら繊細・・と言われた神業のドライヴィングは忘れることが出来ない。

日本では余り知られていないが、そんな彼も1973年のモロッコラリーで240Zを大破させリタイアしてしまった事があった。。。



そういえば、同じ1973年のサファリ・ラリーでも総合優勝しながら、パッセンジャーサイドのフロントフェンダーを飛ばしながらのゴールがあった。



1973年は、メタにとって鬼門の年だったのかもしれない。

そんな彼が亡くなって早くも2年と言う月日が過ぎたのだ。

ラリーの日産が斜陽になって何年が経ったのだろうか?

1971年に彗星の様に現われて日産の黄金期を築いた「シェカー・メッタ」に思いを馳せるに付け今の日産の姿に一抹の寂しさを覚えるのは僕だけだろうか・・・

今宵はPA10が活躍した4年間の資料を引っ張り出し、ラリーの日産とメタの活躍を偲びたいと思う。
Posted at 2008/04/26 21:21:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2008年04月09日 イイね!

実力 S30フェアレディの実力はどうだったのだろうか。。。

実力 S30フェアレディの実力はどうだったのだろうか。。。正直に言うと、僕の中でS30Zとは「240Z」以外は 鈍足鈍重 なクルマの印象しかない。

それは僕の世代では、排ガス規制が厳しくなって、SUツゥインカブレーションが使えなくなって、初期の電子制御燃料噴射になってからの動力性能は 悲惨 というしかなかった。

実際にL20EのS30Zに乗った事のある人なら分かるが(現代では希少な経験だろうが・・・)、いくら踏んずけても加速を始めない、ようやく元気に回り始めても、1回、回転がドロップすると、もういけない・・・
ギアをダウンしようが、エアコンを切ろうが、エンヂンの勢いが戻るまで本当に歯がゆい思いをする。

これがL24を積んだ「240Z」だったら


(画像はGノーズ無しの240Z-L)

本当にこれが同じ「L型」と思うくらい闊達で、まさにグランドツゥリングの面持ちになっていたから不思議だ。

古いカーグラをひっくり返すと、1970年2月号にちょうど「240ZG」のロードテストの結果が出ていた。

最高速192.52Km/h、0-400m 15.5sec

現代の目から見れば、ささやかな結果だが、当時はまったく凄いクルマが出たもんだ!と驚き憧れたモンだ。

ちなみにGノーズ付きと、ノーズ無しでは100Km/hを超えてからのクルマの挙動も違っていて、ノーズ無しだと、フロントがどんどん浮く様な感じがして安定感が損なわれるが、Gノーズがあると、どんどん路面に吸い付くような感じとなり飛ばした時の安定感が全然違った記憶がある。

ただGノーズが付くと市街地で夏で渋滞となると、水温がどんどん上がって今にもオーヴァーヒートしそうなくらい水温が上がってしまう。

L型のエンヂンは、インテークとエキゾーストが同じ側にあるので(まぁ俗に言う ターンフローですな)、エンヂンルームの温度が上がると、キャブの燃料が高温になって途端に機嫌が悪くなり、最悪止まってしまう事もあった。

僕は、チェーリーの電動ファンを移植して強制的に冷やすようにしていたので、大丈夫だったが、大方のGノーズつきZのオーナーは、ボンネットが後ろ開き


(画像はZ432 矢印はバッテリーの位置を示している)

である事を利用して、市街地で速度が遅い時には、オープナーを引いて、ボンっとボンネットを中途半端に開けて空気の出入りをよくしてオーヴァーヒートを防止していた。

さて240Zは、なかなか元気なクルマだったという事は分かったが、じゃぁL20搭載、特に悲惨だったと言われる「L20E」のZはというと、これも昔のカーグラを紐解くと。。。

1976年1月号
最高速175Km/h、0-400m 17.46sec

もはや末期の排気ガス対策で一番苦しかった
1976年11月号
最高速167.44Km/h、0-400m 18.14sec

と惨憺たる結果であった。。。

まぁ、この頃の国産車はどれも公害対策で、軒並み酷い動力性能であった事は事実だが、日産のL20Eは輪を掛けて酷いエンヂンであった。

それでも、どんなに遅くなろうがZは憧れのクルマで、スポーツカーと言えば「Z」と誰もが疑う事無く答えていた。

そんなZが、ようやくその流麗なエクステリアに見合う動力性能を取り戻すのは、1978年8月に登場したS130ZのL28Eを搭載した280Zの登場まで待たなくてはならなかった。

初代のF30レパードにしろ、このS30Zにしろ、L20Eしか持っていない日産には、まったく苦しい時代であったに違いない。

真紅 !初代レパードにあった真っ赤な内装・・・
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/153803/

そして、僕達日産ファンにとっても、たかが2ヴァルヴでしかないトヨタのツゥインキャムが憎くて恨めしいと思った時代でもあった。

S30Zは、持たざる日産のある意味象徴的なクルマだったのかもしれない・・と思い起こされるのだった。。


.
Posted at 2008/04/12 00:37:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2008年01月23日 イイね!

羨望 240ZG高速パト現る!

羨望 240ZG高速パト現る!新装開店となった「日産座間記念車庫」に行った時には・・・と心に決めていたクルマのひとつが、「神奈川県警高速道路交通警察隊」に配属されていた、フェアレディ240ZG(改)である。

昨年だか一昨年、日産に里帰りしたという事で、かなり話題になったのだが、ようやく実車に触れる事が出来た。

やはり実車を見ると新しい発見もあり、しばらくはこの240Zの前から足が進まなくなってしまった。

まず、今回新たに発見したのが「カラーリング」なんだが、



S30Zの最も特徴的なヘッドライトの部分、実は、この部分でも「白」と「黒」の色分けがピシリとしており、かなり凝った塗色がされていた事が分かった。

たしかにプラモデルや、多くのこのZに関する画像を改めて眺めると、なるほど・・と思うのだが、そこまで注視していなかったので、今まで気付かなかったというのがホンネだ。

さてさて、この240ZGについて、当時の資料を紐解いてみると。

型 式:HS30(改)
配 属:昭和47年3月31日
最高速:240Km/h以上
サイレン:90ホーン
計測器:ストップ装置付速度計
赤色灯:回転式50W 100rpm~140rpm


とあった。

最高速が異様に高いが、これは何かエンヂンに手が加わっているのかもしれない。

ちなみに、メーカー広報車の 240ZG のロードテストを1972年3月号のCGで行っており、その時の計測値が「192.52Km/h」となっていることからも、この「240Km/h以上」という数字の真偽は、ある意味で謎である。



内装だが、内部の湿度を調節する為にドライヴァーズサイドのウインドゥが開いていたので、ちゃっかりと撮影させて頂いたのだが、積算走行距離計は何と 37万キロ を超えていた!

万全の整備体制であった事は容易に想像付くが、パトカーとしては一般的だが、やはりこの距離は尋常なモノでは無いと僕は思う。

そういった観点から、同じ頃中央高速に配備された、Z432より、ある意味でメンテ性などで、この240Z-Gの方が勝っていたと想像できる。

一時代を築いた、フェアレディ240Z-G。

ようやく、このZに触れる事が出来、それだけでも今回の記念庫を巡るツァーは有意義だったと感じているのだった。



.
Posted at 2008/01/23 00:44:51 | コメント(5) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2007年12月22日 イイね!

迷路 S30Zがこんな風に!?

迷路 S30Zがこんな風に!?よいよ、年末年始の大移動を前にLIMITED号のオイル交換をYHでやって来た。

さてさて、問題はグレードである。。。。

こう寒い時期だと、上は「30」くらいが良いのだが、なんたって片道900Km前後の距離を全て高速で移動するのである。(しかも、そこそこの速度で・・・閑話休題)
確かに気温も低いので、それほど神経質にならなくても良いのかもしれないのだが、精神衛生上の事も考えて今回は「Mobil-1 DE 5W-40」 をチョイスした。

オイル交換の最中、一緒に行った子供と待合室で時間つぶしをしていたのだが、何やら面白い一枚の迷路を子供が持って来た!

おおぉぉ!!さすがYHだ。

なかなか S30Z のディテールを生かしながら、良くぞここまで「迷宮化」したもんだ!

幼稚園の我が子は残念ながら、迷路としてではなく「塗り絵」として楽しんでいたが、僕は指でなぞって楽しませてもらった。

しかし、世の中には、よくぞここまで特徴を生かしながら「迷路」なんて考えた人が居るもんだ・・・と感心しきりの徳小寺 無恒であった。

どうです?コレ。貴殿もぜひ気晴らしにやってみては?

Posted at 2007/12/23 03:49:06 | コメント(6) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2007年09月01日 イイね!

旧車 サティオ湘南巡りが旧車に出会う旅になっちゃった!??

旧車 サティオ湘南巡りが旧車に出会う旅になっちゃった!??サティオ湘南を出て、ウチへ帰った訳なんだが、夕刻近くになって急遽八王子方面へと出かけることになってしまった。。。

カミさんを病院へ送り届けて、子供と共に八王子方面へと向かったのだが、R16が渋滞でどうもいけない・・・
そこで裏道を駆使して、もうひとつのルートR129回りで向かったのだが、やはり渋滞のメッカ「橋本五差路」手前でクルマが流れなくなった。

ふと横を見ると、#AX6(バーニングレッド)の「Xトレイル」と、「デュアリス」が並んでいたので、これは比較に丁度イイ・・・・という事で、LIMITED号の鼻先を サティオ湘南橋本店 に向けた。しかし今日はエラク、サティオ湘南グループに がある日だ。。。

クルマを敷地に入れると同時に、C/Aが飛び出てきた!!これは気持ちがいい。

Xトレイルを見に来た・・事を告げると、朝摘みの野菜があるからついでに持って帰って下さい・・・という事で、立派な「茄子」や「胡瓜」、「トマト」を頂戴した。有難い・・・

とっかえひっかえ「Xトレイル」と「デュアリス」を眺めた後、フトあることを思い出した!!

宇宙戦艦ヤマトの真田技師長みたく・・・



こんなこともあろうかと 引換券 をもう一枚プリントしておいたのだ」

という事で、またまた「オールフェアレディ」の模型をGETした次第なのだ・・・

今度はZ32の目の覚めるようなイエローであった。

野菜を満載して、さらにZ32の模型と「Xトレイル」のカタログを二冊も積んで目的地に向かったのだが、こんな日は結構色々な珍しいモンにめぐり合うもんだ。。







まずは手始めは「テルスターTX5」だ!!!



これは例のマツダが傾いた張本人と言われている「クロノス」兄弟の一人?で、一応フォードブランドである。
実は、このTX5、僕的には嫌いなデザインでなく、結構気に入っていたクルマだった。。まさか、また再会するとは夢にも思わなかった一台だ。

そして八王子から帰って、カミさんを病院に迎えに行った帰り、トドメの一台にめぐり合った。初代ローレルだ。



ローレルに付いては

合併 初代ローレルはプリンスの流れを汲むことになった。
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/1691956/

史実 初代ローレルは「ブルーバード・ローレル」の筈だった。。
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/1687445/

などを見て頂きたいのだが、これは途中で追加された「ツゥードアハードトップ」だ。しかもオリジナルのカラーを纏った珍しい固体なのだが、ナンバーも「55」で長く大切に乗っているに違いない一台であった。。

残念なのは、本来流れるテールが「流れないテール」になって居た事なのだが、年式を考えるとそれも致し方ないだろう。。。

本来は「Xトレイル」を眺めて終わる一日だったハズが、なぜか「フェアレディ」の模型と旧車三昧になってしまった訳だが、正直、久々に痛快な一日であった事も事実。。。なのだった。

さて明日は・・・

サティオ湘南 (フェアの案内はココに。。。)
Posted at 2007/09/01 22:13:07 | コメント(4) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ

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「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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