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徳小寺 無恒のブログ一覧

2007年09月01日 イイね!

景品 サティオ湘南巡りが景品に出会う旅になっちゃった!??

景品 サティオ湘南巡りが景品に出会う旅になっちゃった!??Xトレイルのフェアが色々な所でやっている・・・という事で、本当に久々「カレスト座間」、ホームグランドの「神奈川日産旭店」以外のディーラーへと足を運んでみた。

お昼過ぎ、近所の「サティオ湘南」へと家族でLIMITED号と雪崩れ込んだ!!

なんと店頭には 「#C51」 (デザートアンバー)な~んていう展示車に有るまじき珍しいカラーのXトレイルが展示されていた!!



駐車場にクルマを入れるが、一向に誰も出てくる様子が無い・・・クルマが地味なのか???

クルマを停めて本当にしばらくしてC/Aの登場と相成った。

一通りXトレイルのハナシを聞き、家族で色々なポジションに乗ってみたのだが、カミさんから、リヤシートにお褒めの言葉が出た。
完全に足を下に落とし込むポジションなので、快適だというのだ。なるほどなるほどである。

ついでとは言ってはなんだが、隣には「デュアリス」もあったのでのり込んだのだが、今度はシートの印象について言葉が出た。Xトレイルに較べて柔らかい・・というのだ。。確かに「デュアリス」のシートは当たりが柔らかい。
この柔らかさが「吉」と出るか?「凶」と出るかは、いつかレンタカーでもかりて確かめて見て見たいもんだ。。。

店内に入ると・・・なんと「サティオ湘南のインフォメーションGirls」が居るではないか!!一番喜んだのは、ウチの子供だったりして・・・という事で、事前に サティオ湘南のHPのキャンペーン をコピペした引換券を渡すと。。。



オールフェアレディの模型をGET!!

もらった時は中身は分からなかったが、家へ帰って中身を見るとS130Zの初期型マンハッタンカラーのツゥーシータが入っていた!!これが貰い物(失礼)とは思えない精巧な出来栄えに徳小寺 無恒感動の涙に浸ったのであった。。。



実車をなまじっか知っているモンだったから、良くぞここまで・・という造り込みには驚いた・・という次第なのだ。。

フェアは明日もあるぞ!!子供が居る方は、ぜひ近くの「サティオ湘南」へ 引換券 を持って行くことをお勧めしますぞ!!

(ただ・・・どの型式のZが来るかは運次第・・という事はお忘れなく!)

サティオ湘南HP
Posted at 2007/09/01 21:25:52 | コメント(6) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2007年03月02日 イイね!

有終 S130Zの有終の美を飾ったモノとは!?

有終 S130Zの有終の美を飾ったモノとは!?北米とは違って、オーヴァー2Lが売れ辛い国内では、相変らず重く、レスポンシブルとは言えない「L20E」が主力になっていたが、ツィンキャムだのターボを搭載したクルマが次々にリリースされると、モワパワーの声は日増しに強くなる一方だった。

そんな声に日産は、魅力的な装備の充実や マンハッタンカラー と呼ばれる刺激的なツゥートンの導入や、SP、SR以来の、完全とまでは行かないがセミ・オープンとも言える「Tバールーフ」の追加、2Lモデルではギヤリングの見直し、エンヂン制御の見直しと矢継ぎ早に手を打ち、S130Zの人気を維持してきた。

81年の10月には、最大のマイナーチェンジが行われてエクステリアが大幅に見直された。

この時のトピックには、目立たないが「スペースセイバータイア」の採用もあった。

実は、それまでのS130Zは、「テンパータイア」や「スペースセイバータイア」の装備が認められなくて、カーゴルームには巨大な標準サイズのタイヤがカヴァーを被って載せられていた。
このために、せっかくのユティリティスペースも、台無しでこれがS130Zのウィークポイントとして上げられる事も少なくは無かった。

それがようやくマイナーを期に認可が下りて、カーゴルームのサイドスペースに輸出仕様と同様に「スペースセイバータイア」が置かれるようになり、ユティリティスペースの使い勝手も向上したし、重量的にもほぼ4Kgの軽量化も図られた。

ここで、2シーターと2by2の色分けが強くなされ、2シーターはさらにスポーティに、2by2はますますラグジュアリーの路線を色濃く出されるようになった。



しかし、2by2の内装を見ると、まるでローレルかセドリック張りの厚手のサポートなんていう言葉を微塵も感じないシートが採用され、一見するとこれが「Z」??と思わせるような雰囲気を醸し出すようになった。

もちろん日産お得意の、真っ赤な内装色にも磨きがかかり、ドライヴァーの目の疲労度の向上に貢献した・・・(かもしれない??閑話休題)

このマイナーによってS130Zは、わずかであるが息を吹き返したように見えたが、風雲急をつげるである。国内ではターボ化の嵐が吹き荒れ、それはとうとう軽自動車まで波及されたのであったが、当時の運輸省は「Z」はスポーツカーだから・・・という単純明快な理由で、S130Zにターボの認可を認めようとはしなかった。

そんな八方塞のS130Zにもようやく光明が射す時がやって来たのだ!

82年10月。ついにその時はやって来た。



セドリックに始まり日産車に続々と搭載されていた「L20ET」ターボチャージドエンヂンがようやくZにも搭載される事になったのだ。

最大出力145PS/5600min-1、最大トルク21Kg-m/3200min-1という今からみればささやかなモンだが、当時はそれでもS130Zを夢のオーヴァー200Km/hの世界へと導いてくれたのだ。



これは意外に知られていない事実なのだが、この「L20ET」搭載車でオーヴァー200Km/hを為し得たのはS130Zのみであった。
かのC210スカイラインターボでさえ、195Km/h前後が精一杯で、いかにS130Zが空力的に優れていたかを物語る逸話でもある。

さらに、国産車初となるロープロフィールタイアの装着、「215/60-15」のポテンザRE86(M)が採用されL20ETのポテンシャルに見合うコーナリングパワーも手に入れる事になった。



当時のTVCMでは、「Z ターボ!Z ターボ!Z ターボ!・・・」という大歓声中を、このS130Zが疾走し歓喜の嵐が巻き起こる・・・というのが流れたが、これは如何に日産が、そして多くのZのファンがスポーツカーたる動力性能をS130Zに求めていたかを物語るモノではなかったかと思うのだ。

しかし時の流れとは非情で、翌年の10月には新しいZが登場する事が分かっており、正直に言って遅きに失した・・・という感は拭われなくは無かった。

この時、ある評論家は、「S130Zへのターボ搭載は、日産のS130Zへのはなむけだった・・」というコメントを残していた。

名車と言われたS30Zの後を継ぎ、北米でさらなる飛翔を達成し、Zcarの名声を不動のもとしたS130Zであったが、国内では法外な税金の為に非力な2Lで闘わなくてはならず、正直苦戦の歴史であったと言わざる得なかった。

そんなS130Zではあったが、スポーツカーにラグジュアリーな要素を加味させて、新時代のスポーツカーの姿形を照らし出した功績は大きいといえる。

9年で52万台の初代か、いや5年で42万台つくられたS130Z かと言われる、実は S30系 に負けないくらいの台数が出た筈なんだが、現存数が壊滅的に少なく、なかなかお目にかかれる機会が少ないS130Zについて、私は日本のクルマの一ページを築いた一台に違いない・・と断言してはばからないと思うのだ。

もう一度、S130Zの存在価値を大いに見直すべきだと僕は願って止まない。

ターボが追加された翌年、ちょうど一年目にV型エンヂンを搭載したZ31がリリースされた。
しかし、高性能だがエクステリアも合わせて大味になってしまったZ31よりS130Zの方が・・・という声がZ31が出てしばらく続いた事をコメントしてS130Zのブログを締めたい、そう思うのだ。




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Posted at 2007/03/03 12:18:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2007年02月24日 イイね!

苦闘 5年で42万台も売れた S130Z だが・・・・

苦闘 5年で42万台も売れた S130Z だが・・・・




モデルチェンジはできない・・・と言われたZだが、その難関を突破して誕生したのがセカンドジェネレーションS130Zだ。
苦戦が予想されていたが、フタを開ければ爆発的な売れ行きを示し、日本でも79年には年間「18,000台」も売れたのだ!!

そんな売れ行きを示していたS130Zだが、そのオーナーやライヴァル達から異口同音言われ続けていたのが「アンダーパワー」、「走らない」という言葉だった。。。

当時の2Lのパワーソースは、長らく日産の主力機関として君臨していた「L20E」であった。
最高出力130PS、最大トルク17Kg-mという今から見れば1.6Lや1.8Lのエンヂンでも十分に達成されるささやかなものだった。

タイアでさえ、扁平率の低いモノが使えず、280Z-Tでさえ「195/70SR-14」という今の軽自動車並みのサイズのタイアが履かされていた。



ただブランドには拘っていて、当時の日産車のスポーツモデルが好んで履いていた「ミシュランXVS」がS130Zにも奢られていた。このタイアは当時としては画期的な非対称パターンを採用していて、ミシュランの独壇場だった真円度の高さも相まって70%プロフィールでありながらそこそこの性能を発揮していた。

カタログの説明文に「放送禁止用語」が入っている事は、今からみると面白いものだ。(閑話休題)

ツィンキャムや新しいパワーソースを持っていない日産にとって、Zを輝き続けさせるには、並大抵の努力では達する事ではなかった。
次々と現われるライヴァルに追われる様にS130Zは細かいマイナーを続けていた。

最初のマイナーチェンジは、登場から二年後の80年3月に行われた。

「マンハッタンカラー」と呼ばれるツゥートンをリリースし、2Lモデルは加速性能を中心としてギヤリングのローギヤ化、さらには細かいエンヂン制御をおこなう「ECCS」を採用した。


(画像は後期モデル)

さらにS130Zを印象付けた装備もこの時に追加されたのだ。それが「Tバールフ」だ!



オープンモデルは対候性や防犯性、快適性でなかなか受け入れられない時流であった。さらに一段と厳しさを増した北米の安全基準では、当時の技術ではオープン構造ではクリアーできなかった・・・という事情もあったが、しかしオープンエアーモータリングを楽しみたい・・という要請もあり、そこで登場したのがこの「Tバールーフ」だった。

最近のクルマであっても、サンルーフ如きを装着しただけで、ボディ剛性が落ちるのをハッキリと感じるものなのだが、このS130Zの「Tバールーフ」は、剛性を確保する為に、ダブリュボックス構造と呼ばれる独特なボディ構造を日産が編み出し、楽勝で北米の安全基準の「ロールオヴァーテスト(転倒試験)」をクリアーさせた。

「Tバールーフ」の登場は、当時の日産のZにかける、意気込みとか気迫を感じさせる逸話でもある。

このマイナーチェンジによって、S130Zの人気は再び蘇ったが、日産はS130Zへの情熱をさらに燃やし続けた。
翌年81年10月には、さらに大きなマイナーチェンジを敢行してライヴァルの突き放しを図った!!

外観的にはバンパーの形状の見直し、リヤテールランプのデザインの見直しなどの大掛かりなもを始め多枝に渡った。

その中で大いに注目されたのが、ボンネット上に燦然と刻まれた「NACAダクト」の存在だ。



もともと輸出仕様の280ZX-TURBOの、ターボチャージャーの冷却用に採用されていた「NACAダクト」を国内仕様全車に採用したのだが、当時の僕たちにとってこの「NACAダクト」の存在はまさに憧れの対象でもあった。

この「NACAダクト」だが、NASAの前身である、NACA (航空諮問委員会: National Advisory Committee for Aeronautics)が考案した空気抵抗を増やさずに効率よく空気を取り入れることの出来るダクト形状の事を指し示すものなのだが、従来のボディより出っ張りを儲け、その空気抵抗によって空気を取り入れるものと違って、ボディより出っ張る事無く、空気取り入れ口をボディと同一面に取り付けながら、入り口が狭く徐々に広がるような形状を形作る事によって、渦を発生させ、その負圧によって効率よく空気を引き込む仕組みになっているものだ。

それまで一部のスーパーカーなどに見られたダクト形状であったが、まさか国産車にそれが採用されるとは誰も想像できなかったのである。

その最先端の空力パーツをまとって登場したのだから、ますます注目度が上がって行ったのは言うまでも無い。

ギヤリングの見直しや、エンヂン制御の高度化、さらに装備の充実などで人気を維持していったS130Zも、さらなるライヴァル達の登場でモワパワーの要求が強まっていった。

そしてついに望みにのぞんだ、あのエンヂンがS130にも搭載されることになったのだが。。それはZ31にモデルチェンジする一年前という瀬戸際でもあった。


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Posted at 2007/02/24 22:33:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2007年02月13日 イイね!

苦心 フェアレディの進化の方向性とはS130国内登場。。

苦心 フェアレディの進化の方向性とはS130国内登場。。





1978年・・よいよZもセカンドジェネレーション「S130」へとスイッチした!

ちょうど国内ではマツダがRX-7をリリースして、ロータリー復活の狼煙をあげ、デビューから約9年というロングスパンで造られ続けてきたS30Z・・さらにL20エンヂンでは、そういった新しい世代のスポーツカーには太刀打ちできなくなってきていた最中での登場であった。

しかしながらエンヂンのヴァリエーションは、やはりL20Eの2Lが主力であり、その上級グレードとしてL28Eの2.8Lが据えられていた。


これは、当時の税制がボディサイズ、排気量(全長4700mm以上もしくは全幅1700mm以上または排気量2000cc以上)によって3ナンバーになると「¥65000」となり高額で、2.8L一本では売れない・・と判断したからであった。

そのL28Eとてグロスで145PSであり、さすがにトルクは23Kg-mと大きかったが、正直快速・・とまではいかずこれがスポーツカー?と思った事は事実であった。
しかし逆にその豊かなトルクにモノを言わせたクルージングは、まさに「安楽」という以外の何物でなく、Zをスポーツカーからツゥアラーへの道筋を立てたモデル・・であったとも言えた。

外観は完全なるキープコンセプトで、S30をリファインされた形でリリースされたのだが、それは内装まで及んでいた。



しかしエクステリアもそうだが、インテリアを見れば、如何に快適性の向上に腐心したかという事が分かるだろう。
エアコンの装着が可能となったエアーコンディショナーや、オーディオが充実したセンターパネル。それまでスポーツカーといえば、深く沈みこんで光の反射が少ないようにモノトーンの内装が多かったのが、比較的明るい色調でカラーリングされ、開放感さえ漂うドライヴァーシート周りには、もはやスポーツカーというより、高速を如何に早く快適に移動するか・・という雰囲気が漂っているではないか。

そうそう、当時僕もそうだったのだが、このメーターの照明には本当にビックリしたものだ!!

それまで、グリーンの間接照明しか多く見たことの無かった我々にとって、アンバーの針自身や文字が光るイルミネーションを見て、メーターってこんなに綺麗に光るんだ!と思ったものだ。しかし当時の自動車評論家内でも、この照明を見て「眩しいし、赤赤してて眼が疲れる」と言った御仁が居た事は内緒だ。

さらに・・・高級感とかツゥアラーとしての性格を垣間見る事ができる内装色があった事はあまり知られていないが・・・日産といえば「真っ赤な内装」が実はこのS130Zにも用意されていたのだ!!



日産の「真紅の内装」については過去にもブログしたが・・・

真紅 !初代レパードにあった真っ赤な内装・・・
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/153803/

このS130Zの「真紅の内装」もハンパではない!!

内装の目のつくところ全てが「真紅」の染め上げられ、それはシフトブーツはおろかノブやカーペットまで入念に「赤」にされている。

こうしたかつての「真紅の内装」の日産車たちを見るにつけ、いったい何が日産をこうした赤内装にはしらせたのか??と思ってしまうのは僕だけだろうか??(閑話休題)

ハナシを少し戻して、さらにツゥアラーとしての性格を如実に現していたのが「燃料計」であった。



日本初の「親子式指針燃料計」がそうだ。

これは燃料が20L以下になると、サブメーター(小メーター)で残量を正確に表示する物で、まぁ今で言う「燃料給油ランプ」のはしり・・かもしれないが、さらに残量を表示するという事から、かなり凝った装備であったと言えよう。

この事からも、如何にS130Zが高速、長距離を移動する事を重点的に考えられていた証・・ともいえる代表的な装備だったとも言えるだろう。

快適性や高速長距離移動としての装備を満載して登場したS130Zだが、やはり国内でも、相次ぐライヴァルの登場やモアパワーの声によって進化をつづけるのであった。

しかしそれは、ツィンキャムを持たない日産の、装備や当時の隠しダマによって苦心苦労によって為し得られた歴史でもあったのだ。


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Posted at 2007/02/18 08:17:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2007年02月04日 イイね!

重圧 登場S130Z 名車の後は・・北米編

重圧 登場S130Z 名車の後は・・北米編







1978年8月。

モデルチェンジは不可能とまで言われていた「Z」が、日産の名将「高木氏」の手によりS130にスイッチされた。
コードネーム 「ZX460」 、エクステリアはキープコンセプトながら、リヤサスペンションが「ストラット」から「セミトレ」に変更された事からも見て取れるように、スポーツカーというよりグランドツゥアラーとしての性格を持って誕生した。

エンヂンは国内仕様には、販売店からの強い要請と社会的な要素(当時は2L以上の税金が異常に高かった・・)で2Lは残され、上級グレードとして2.8Lが用意された。

北米ではもちろん2.8Lオンリーで、そのトルクフルなエンヂン特性が歓迎されて、販売台数も大幅に伸び、79年には年間生産台数が10万台!!を超えた。

本来なら国内の話しから進めるべきだろうが、「Z」といえばもはや北米での活躍、躍進を語らずして先には進めないので、ココではまず北米での「S130」についてコメントしよう。。。

ほぼ日本と同時に登場したS130は、大歓声を持って迎え入れられた。



名車と言われていたS30だが、もはや時代の趨勢には適わず「排気ガス対策」や「安全性」といった部分、そしてなにより「快適性」という観点から限界が見えて来ていたのだった・・・。
それらを踏まえて登場したのがS130だった。。。

限界操縦性などを考えれば、リヤ「ストラット」のサス形状の方が良いが、振動騒音の遮断性などから「セミトレ」が採用され、空調も大幅に刷新された。

L28の豊かなトルクで、まさに北米のフリーウェイなどを走るのには最適であったが、並み居るライヴァル・・・特にポルシェ!に対抗するために、1981年からは、究極の選択「ターボ」がボルトオンされ、ノーマルの135PSから大幅に馬力アップされ180PSを得るまでになった。



S30でも北米では、モータスポーツで大活躍していた「Z」だが、さらにS130になっても盛んにモータースポーツにチャレンジしていた。
俳優ポールニューマンがドライヴしてさらに有名になり、多くのZ専門のチューナーによってIMSAシリーズでモンスターなS130が続々と繰り出された。



一例を挙げるなら、エレクトラモーティブの550PSを誇る280ZX、そして忘れてならないのがボブシャープ・レーシングのZなど・・・鮮やかなカラーリングで多くの観衆を魅了した。



S30で開拓した新しいスポーツカーのジャンルを、S130はさらに推し進め、まさに日本の・・・というよりアメリカに根ざしたスポーティカーとしてますます輝きを増す事になったのだ。



ちなみに北米での活躍が目立つ S130 だが、実は先代のS30同様に、細々とだが欧州にも輸出されていた。
排気ガス対策の緩い欧州では「280ZX-TT」と呼ばれ200PS/5600min-1、31.8Kg-m/4400min-1というとんでもない高性能を発揮していた。

最後の「DATSUN」ブランドの「Z」。

名車と言われたS30の後を継ぐ事は、いかに困難だったかは容易に想像できる。

ある意味でスポーツ性は薄れてしまったS130だが、それが逆に時代の流れに乗りS30をも超える人気を博した事は興味深い。

それではこのS130Zの日本での評価はどうだったのか?次号以降で述べたい・・・


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Posted at 2007/02/04 18:42:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ

プロフィール

「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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