だんだんと2006年も終わりに近づいて、年末年始の「帰省」のことで頭がいっぱいになっている最中。
ふと、一息つくために久々に N-Link を覗いてみた。
ここは日産の会員制のwebなのだが、そこで 「Life is Drive」 とうコンテンツが立ち上がっていた。
会員が、年代別に自分のクルマの思い出を投稿するのだが、年代を遡って読んでいるうちに、ついついホロリとしてしまった。。。。
一番堪えたのは 「2000s」の「お守り」というエピソードだった。
殺伐とした親子や家族関係のニュースが毎日流れる中、ああぁあこんな親父・・・いやいや、ここではまさに「お父さん」という呼び方がふさわしいだろう、子供への愛情を感じられずにはいられないエピソードだった。
投稿者が広島の方だったという事や、父親が出張・・というシュチエーションになんだか自分を重ねてしまったのだ。。
そして今の自分を顧みて、ちゃんと自分は親父をしているだろうか?背中で何かを語れる親になっているだろうか・・とも自問自答してしまったのだ。
優しさ・・・少なくとも僕は忘れたくない・・そう思ったのだった。。
お守り
三年前に父が病気で亡くなりました。
父の死はもちろん悲しかったけれど、事務手続きや親戚の相手に追われて、私も母も泣く暇もなく走り回っていました。
父はどこへ行くにも車を使う人だったので、お墓には眼鏡と、免許証と、車のキーを入れることにしました。
母が「心配じゃけぇ、車のお守りも入れとこうか」と立ち上がったので、
母に少しでも休んでもらいたかった私は「ええよ、私が行くけぇ。母さん休んどいて」と、お守りを取りに車庫へ行きました。
運転席に入り、ミラーに下げてあった交通安全のお守りを外しました。
なんとなく気になって、お守りを開けてみると、中に古い小さな紙切れが入っていました。
開いてみると子供の字で「おとうさん はよ かえってきてね キャンディーも かってきてね みきより」と書いてあったのです。私の字でした。
それを見た途端、それまで忘れていた涙が一気に溢れてきました。
それは父が出張へ行く朝に手渡した、私のはじめての手紙だったのです。
前の夜、母に字を教えてもらいながら一生懸命書いた手紙。
それを父は毎日乗る車の中へずっと入れていたのです。
私は泣きながら部屋へ戻り、母を車庫へ引っ張り出しました。
手紙を見せると、母も崩れるように泣き出しました。
「お父さん、いつも早うに帰ってきてくれたねぇ」「お土産もたくさん買うてきてくれたねぇ」
ふたりで父の話をしながら、車の中でいつまでも泣きつづけました。
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Posted at 2006/12/15 15:02:07 | |
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