スカイラインのレースの歴史を紐解くには、「スカイライン・スポーツ」の存在を忘れる訳にはいかないだろう。
もちろん、その前に存在した初代スカイライン「ALSI-Ⅱ」のラリーでの活躍もあるが、
ラリーのスカイライン 誰も知らない海外でのチャレンジ!!
http://u14sss22ltd.fc2web.com/combat/alsi/alsi.html
レースに限れば、やはり1963年5月3日に行われた「第一回日本GP」での「スカイライン・スポーツ」のハナシをせねばなるまい。
鈴鹿サーキットのこけら落とし、そして国際自動車連盟も公認する日本初の本格的なレースが「第一回日本GP」であった。
プリンスは当時、日本の市販車の2Lクラスで最強のエンヂンを搭載していた「スカイライン・スポーツ」と「グロリア」を参加させた。
GPが始まる前に各メーカーが集まり
一切の改造はしてはいけない という日本自動車工業会の申し合わせに従い一切の改造をしていなかったが・・・
実際には、プリンスを除くライヴァル・メーカーは、レースのレギュレーションギリギリの改造を行ってレースに望んでいたのでった!!結果はまったく散々たるもので・・・当時の様子を1981年のモータファンで 櫻井眞一郎氏 はこう懐古していた。
当時の若い連中で東海道をトコトコ徹夜で走って、鈴鹿に入ったんですね。
それで、ヘアピンの上に陣取って、今度何番が来るかって「賭け」をしたんですが、私(櫻井氏)が一番勝ちましてね・・・私は日産のフェアレディに賭けてたんですが、周回ごとに「お金」が入って帰りに大盤振る舞いした記憶があります。
周回ごとに先に走って来るのは他社のクルマばかり・・・
しかも、抜かれるハズのない「三菱コルト1000」にまで抜かれて「ひでぇなぁ」なんて野次馬気分で結構レースを楽しんで帰ったんですね。。。
撮影:小柳写真事務所 小柳 琢磨(ueno tokyo japan)
結果プリンスは予選で全滅して、決勝には出られなかった。
レースはどのクラスも
トヨタ の圧勝で、レースの後のトヨタの新聞広告には「優勝」の文字が躍り、大いに販売台数を伸ばした。
反面、クラスで最強だと言っていたプリンスはレースで結果を残せなかった為に、販売でも大きく落ち込むことになってしまったのだ。
そこでプリンスは、その雪辱を晴らすために社内の総力をあげて翌年の「日本GP」を目指す事になった。
「来年はレースを本格的にやる。ついては車両の開発は君がやれ」
第一回日本GPが終わって2ヵ月後の真夏のある日、
櫻井眞一郎 は上司の 中川良一(旧中島飛行機の技師出身)から命令された。
生産車はあれもこれもやらないと大変だけど、レースならそれに集中して、勝ちゃいいんだ!単純でラクになるぞ・・・と考え櫻井は、ひとつ返事で「はい!」と答えてしまったが、今の仕事が心配になり・・・
「ところで私の今の仕事はだれに?」
「冗談じゃない、君の仕事はそのままで、そっちもやるんだ」
えらいことになってしまった・・・と櫻井は思ったが、まさに後の祭りであった。。。
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Posted at 2007/03/21 02:16:59 | |
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