
我が家の子供のことです。
六歳で、ある難病が奇跡的に見つかって、現在考えられるリハビリや薬を使って、何とか12歳の今日まで病状の進行を遅らせてきましたが、それも徐々に効果が薄くなり、最近は歩くのも本当に辛くなってきました。
病名を言えば、大体の皆さんがご存知の病気ですが、実は国からの補助などは全くない状態でした。
ただ、身体的に不自由な事は事実なので、そういった観点から 「障害者」としての補助は受けることができていましたが、病気そのものへの補助などは全く受けられないのが実情でした。
ある検査の時も、保険が効かず入院と手術、その後には複雑な検査が続く事があったのですが、保険が効かないと言う事で、その費用は百万単位となってしまいました。
その時、我が家を救ったのが 「研究目的での手術および検査」 という方法でした。
難病の被験者として、論文や学会に顔や名前を出してもいい、という「研究目的の被験者」という条件付きで大きな出費をせずに何とか乗り切ることができました。
しかし、毎月の2回前後の遠距離の病院への交通費や、薬の費用も意外に大きくて、正直、家族の負担は大きいモノがありました。
それが、ご存知の方も多い以下と思いますが、難病認定の垣根が広げられることになって、うちの子も、その中に入りそうなのです。
大きな補助は受けれれませんが、認定されれば、経済的にもデイサービスの活用にも随分と楽になる事になります。
認定を受けるために、行政に出向き説明を受けて、書類をもらったのですが、前出の検査入院の時もそうでしたが、もう何度も目にした「研究目的の・・・」という書類の存在です。
患者数が少ないという事は、重々理解しているのですが、正直、複雑な気持ちになる事は否めません。
そんな重い気持ちになっている時、12歳になった子供が
「僕の治療の記録が、ほかの病気の人に役立つのなら、名前を書いてね」
って言ってくれたのです。
その言葉を聞いたとき、僕は嬉しさとともに、子供の成長を大きく感じました。年齢を重ねる事によって、加速度的に病状が進行する、昨日で来たことが今日は・・という状態なのに、そんな言葉を聞くと、僕もしっかりしなければという思いと、そんな子供の気持ちを思うと悲しくもあり、嬉しくもある複雑な気持ちに涙が出そうになりました。
あと一日、あと一日。何とか身体が持ってくれ。何とか薬の開発が間に合ってくれと願ってきましたが、現実は厳しく、落ち込むことも多くありましたが、そんな子供の健気な言葉を聞くと、親として、しっかりしなければとも気持ちを奮い立たせてもいます。
難病の壁が、今回の認定の件でひとつ崩れました。(崩れそうです)
でも、まだまだ、もっと少数で重篤な病気の人たちもいます。
そうした人たちも含めて、行政が、周りの人たちが、そうした病気があることを理解して、そうした病気の人たちが安心して過ごせる社会になって欲しいと願ってやみません。
僕たち家族の、闘いはまだまだ続きます。
そうした姿を、少しづつですが、皆さんにお知らせすることで、難病に苦しむ人たちへの理解が深まる一助になってくれることを願ってやみません。
どうぞ、そうした人たちがいることを忘れないで、暖かく見守る気持ちを持っていただけるようにお願いします。
Posted at 2015/10/24 15:49:52 | |
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