
僕がよく読んでいる経済誌に、またまた興味深い記事が出ていた。
実はこの事は、僕も感じていたのだが、きっとクルマが好きな皆さんも同じ印象を持っていたに違いないと思うのだ。
ズバリその内容とは・・・
「トヨタ、車名を一代で捨てて需要喚起」
というものだった。
この記事の発端は、11月にトヨタからリリースされた「ベルタ」を指して書いてあったが、確かに最近のトヨタ以外もそうだが、特にトヨタのブランドの移り変わりの早さは異常とも思える。
そのことに付いて、当の「トヨタ」は・・
旧モデルが販売不振に陥っていたわけではないが、一度も全面改良せずに車名を捨てないとクルマが売れない・・・と言っているのだ。
つまりトヨタの言い分はこうだ。
「商品の特徴とターゲットを明確にして、それに合った新しいイメージを打ち出さなければ今の消費者は振り向いてくれない。名前を変えない方がリスクは大きい」と説明している。
その例として、昨年リリースした「ポルテ」を上げて、
「発売1カ月で月間の目標台数4000台の4倍となる1万6000台を受注するなど立ち上がり好調だったが、その後は販売が4000台を切る月も多く低迷している。」
「ここまで販売台数が極端に上下するのは世界中でも日本市場だけ」(トヨタの岡本一雄副社長)で、圧倒的な販売力を誇るトヨタでも常に新鮮さをアピールしなければ競争に勝てないとの危機感を抱いている。
とコメントをしていたが、果たしてそうなんだろうか???
僕は、どうもそのトヨタ首脳陣のコメントには、諸手を挙げて賛成しかねないのだ。
ホンダなんて「昔の名前で・・・」の様な戦略だが、そのどれもが好調に販売を推移している。
さらに言うなら、国産車以外はどうなんだい?と言いたい。
企業名と数字と排気量を巧みに組み合した車名のメーカーなんて、名前を変えろって言われても困るんじゃない!?と思うのだ。
僕はトヨタもそうだが、余りにもブランド名と、そのブランドに対する造り手の思い入れが無さ過ぎる・・事が大きな要因だと思うのだ。
まぁ、風前の灯火だが、ブルーバードなんて、かつてはファミリーカーでありながら、ちょいと頑張れば・・みたいなイメージが根付いて、ある意味で今のRX-8的な家族も大事にするスポーティカー・・・的なイメージがあり、かつ、たしかにデザインの浮き沈みはあったが、使い勝手やクルマとしてのポテンシャルが高くブランドとしての、確固たるイメージができていた。
それは、今回のの張本人でもあるトヨタだって、「カローラ」というブランドには、メーカーとしての信念によってそのポジションやイメージを大事に育て上げているではないかと思うのだ。
それを、ちょっと買い手の「ニーズ」なんていう、もっともらしい「言葉」に惑わされて、ブランドがもつイメージを逸脱したモデルを作ってしまい、結果売れないと、「ユーザーの年齢層が上がった」だの、「古臭いイメージ」などという身勝手な自己分析をおこなって、意図も簡単に「ブランドの切捨て」を行ってしまっているだけではないかと思うのだ。
そうそう、「昔の名前」作戦で上手くいっているホンダだって、世界基準だの訳の分からない妄想でモデルチェンジした「シビック」は、ご存知の通り惨憺たる販売を続けている事は皆さんご存知だろう。
さらにいえば、初代が余りにも確固たる信念で造り込まれた為に、次に買うクルマを見失って、いつまでも次のクルマを買えない「プリメーラ難民」なんて、その最たるモノではないだろうか?
そんな「ブランド・イメージ」を読み誤り、「ブランド」の切捨てを行うメーカーの製品に、だれが愛着なんぞ起きようものか。
正直、トヨタのブランドなんぞ、もはや、クルマそのもののイメージを表すモノではなく、単純な判別記号でしかないと思うのだ。
かつては、設計者自らが、そのクルマの使われる様やユーザーの姿を頭に思い描きながら、クルマの創生とともに、願いを込めて「名前」まで造り込んでいた。
単純に、語呂が良いとか、響き良い・・などといった、軽薄な思考回路で、クルマのイメージの本質とは離れた所で造られる「ブランド」に明日などあるわけが無いと思うのだ。
また、トヨタは
「車名変更で新車の短命化」 を防ぐ反対で、
「主力車種」 の製品寿命を延ばす販促手法「MLM(モデルライフマネジメント)」なるユーザーを小馬鹿にした方法を取っているというのだ。
じゃぁ、頻繁に名前を変える車種は「主力車種」でなくて「片手間」の車種だと言わんばかりの言い回しだが、そこは冷静になってハナシを聞くと。
「新車投入時に広告を集中させず、台数が落ちたら、販売テコ入れの特別仕様車を場当たり的に出すのではなく、そのモデルのライフの中で均一に広告や特別仕様車を出して安定させよう・・」
というものだった。
おいおい、こりゃ至極当たり前の事じゃないかと、思うのだが、どうも最近のトヨタはそうでないらしい。。。
確かに、悔しいほどの、使い勝手の良さや質感の高いクルマをたくさん造るトヨタだが、ただ、その時に売れるクルマを、周りの雰囲気に沿って造ればいいや。。。みたいな安直な思考回路が見え隠れして僕は、激しく嫌悪感を催したのだ。
トヨタ車に乗っている皆さんには、申し訳ないが、正直、その時は「良い!良い!良い!」「カッコいい!」なんて思っているトヨタ車も、そのモデルライフが終焉して、さらに何年かすると、なんでこんなクルマが売れたんだろう・・・と思うクルマが多いとは思いませんか?
確かに売れてナンボ、クルマは高価な嗜好品・・という向きもあろうが、何年経っても色あせない・・いや年季が入れば入るほど艶やかになるクルマというモノを造れない物だろうか?
そうしないと、いつまで経っても国産車は、単純な工業製品の域を抜け切らず、良いも悪いも含めてだが、欧州のクルマ達の様に「文化」として捉えられる様には、未来永劫有り得なくなってしまうと思うのだ。
それは、最近ユーザーの声なんぞ見向きもしない「儲け一辺倒」の日産にも言える事だ。
僕は憂う・・・
このままじゃ国産車が危ない・・・と。。。
Posted at 2005/12/16 14:05:27 | |
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