
1969年の日本GPでの日産PITでの画像。。。
ゼッケン20の北野に、櫻井が話しかけている画像だが、僕は最初にこの画像を見た時に身体中に電気が走るような衝撃を受けた。
ちょうど、僕も生産技術の仕事を始めて数年が経って、ある程度のやってゆける自信みたいなものが出来始めた頃だったのだが、この画像を見て考えが変わった。。。
皆さんはお気づきだろうか?
僕は櫻井氏の右手のオイル汚れに心囚われてしまったのだ。
現代の設計者は、豊富なセンサーや設計のツゥールによって、段々と現場から遠ざかってしまった様に思えるのだ。
確かに現代のレースなどで、これほど手を汚してピットなどにいる設計者は見た事が無い。。といっても良いだろう。
櫻井は、自分が設計したマシンには真っ先に自分で乗るという。
それはGT-Rでも、R380から幻になってしまったR383まで全てそうだったという。
たしか「プリンス誌」か雑誌での岡崎宏司氏との対談だったと思うが、そんな櫻井のポリシーが伺えるエピソードが紹介されていた。
それを記憶を辿りながら再現してみたいと思う。。
昭和40年プリンスの念願だった本格的なレーシングマシンR380が完成した。
ボディが完成して、真っ先に乗ったのは櫻井だったという。
普通、マッサラな新車の、それもレーシングカーともなると、どういった挙動を示すのか?などがハッキリしないので、最初はユルユル・・と走り始めて、徐々にペースを上げるものだが、櫻井は違っていた。
コースに出るなり櫻井は、エンジンを限界まで回し、コーナーに突っ込んで行った!!
これには周りの関係者や、プリンスの契約レーシングドライヴァーも目の玉が飛び出るくらい驚いた!
コースを何周かして、R380から降りてきた櫻井に、スタッフが駆け寄り「いくらなんでも慣らしもしていないマシンを、いきなり全開で走らせるなんて・・・」
すると櫻井は「馬鹿言え!飛行機だった落っこちてお仕舞いだが、こいつだったらせいぜいひっくり返るくらいだろう?」と至って涼しい顔だったという。
それから櫻井の部下たちは、
「親父にあんなことされちゃあ、たまったもんじゃない」
という事になって、誰言う事無く、マシンの開発に携わる全員が
「自分が設計した完成した部品のチェックだけでなく、その材料から加工の工程、そして組み立てまで入念にチェックするようになったという・・・・」
どうも、あの全開走行は、櫻井が身をもって、モノ造りのプロセスの大切さを教える為にパフォーマンスだった・・とも後になって櫻井学校の卒業生!?たちは言う様になったという。
確かに、そういった観点もあっただろうが、櫻井は雑誌の対談で、別の観点でこの時のハナシを語っていた。
「設計した人間として、「知っている恐怖」というのがあってね。バンクに入ってGが掛かってグググゥゥ~とくると、あそこのボルトだ、あそこの・・・、ああぁ、あそこのボルトに力が掛かっているなって思うんですよ。
そうすると、あそこのボルト充分計算したっけなぁとか、考えちゃうんですよ。
そんな時に、どこからか別の所からミシッとかいう音がすると、「イケネェ」なんて思うんですね。あぁ、あそこは溶接でよかったかなぁ?やっぱり別の補強がよかったかなぁ。。なんて考えちゃって・・・正直、怖かったですねぇ。。。
だから、最初に自分が造ったモノは、自分で乗って、そのフィーリングやらなにやらをチェックすることにしてるんです。
そんで、最初っていう恐怖を設計者として味あわせたくなかったんですね。。。」
それにしても、設計から最初のテスト走行までこなす設計者なんて、世界中探してもそうはいないだろう。
また、ある当時の関係者から直接聞いた話だが、櫻井はレース中、つばの無い帽子を被っていたという。。
それは、つばがあっては頭をマシンに突っ込む時に邪魔になるからという・・・
「現場重視」
古今東西、設計者の我々が言われ続けたきた「言葉」だが、本当に、我々はそうしているだろうか?
本当に手を汚して、爪の奥まで汚して現場を見ているだろうか?
ぼくは、最初の画像を見て考えてしまったのだった。。。
今の日産車に魅力が無くなってしまったという声をよく聞く。。。売れるクルマを造る為に、マーケッティングに汗水流し、計器を駆使して、理論尽くめでクルマを作っているに違いない。。
しかし、櫻井の様に身を張ってテストコースを走っている姿を想像できる設計者の姿を見る事が出来ないと思うのだ。
雑誌に出てくる現代の設計者達は、だれもインテリで理論派が多い。。。
果たして、そんな綺麗な手をした技術者に、心を捉えて離さない魅力的なクルマを造る事はできるのだろうか?
今でも、僕はたまにこの画像を見て、自問自答を忘れないようにしているのだった。。