
ずいぶん過熱気味だった報道も落ち着いてきて、単純に災害の悲惨さを連呼するモノから、災害によって生じた二次的な問題や、これからについての報道が増えて来たような気がする。
製造業の壊滅的なダメージによって、日本だけでなく世界にも影響が出ていることなどは、改めて我々がまさに世界とつながっている事を思い知らされた事だ。
そして、災害によって見えた色々な人間模様についても、大いに考えさせられる事がたくさん有る事が分かってきた。
今の状況も大事だが、未来を据えたヴィジョンを考えなくてはならない。
その中で、これからの未来を託す子供たちのフォローは十分にできているだろうか?
震災で多くの子供たちの心は傷ついているはずだ。親を両親を亡くした子供たちもたくさんいるに違いない。
そうした子供たちを、僕たち大人は、どう向き合っていくか、大いに考えなくてはならないと思うのだ。
大人になって忘れてしまっているが、幼い頃、ちょっとでも母親や父親が居なくなると、無性に不安になった事はありませんか?
母親の暖かい手の温もり。
父親の広い背中と、優しい言葉。
もちろん、世の中には、そんな愛情に恵まれない子供たちもたくさん居る事は重々承知だ。
でも、どんな境遇の大人だって、子供に親の愛情や温もりが必要な事は分かっている。
毎日新聞のwebサイトで、一日一回の配給に並ぶ為に走る子供の写真があった。
東日本大震災=3月22日
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110322/4.html
きっと、避難所では、これまでに経験した事のない状況や我慢する事がたくさんあるだろうが、こうして親と一緒に居るだけでも、これだけの満身の笑顔を見せてくれる。
津波により、行方不明の母親に向け 「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」 という手紙を書いている記事を 読売新聞 で見つけた。
こうした震災児たちへ、僕たちは何ができるのだろうか。
震災に遭った、大人たちは、日々の生活、そしてこれからの生活をどうするかで精一杯だ。
そんな時、震災に直接被害を受けなかった僕たちは、大人たちへ手を差し伸べるだけでなく、これからの日本を造ってゆく、支えて行く子供たちにも、被災者の大人たちに代わって、暖かい手を気持を、そうした子供たちにも差し伸べるべきだと思うのだ。
どんな状況にあっても、どんな境遇にあっても、子供は日本の宝だと思うからだ。
震災児たちが大人になって、辛い思いをした、悲しい思いをした、でも、周りの大人たち、たくさんの人たちの、暖かい手があったから、こうして生きてこれたと、思えるように僕たちは、そうした子供への支援を真剣に考えなくてはいけないと思う。
今、復興という形のある未来と共に、ケアという形の無い大事な事がある事を、忘れない様にしたい、そう思うのだ。
Posted at 2011/04/01 05:16:52 | |
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