
日産の歴史は、思い込みと挫折の繰り返しだったのかもしれない。新しい価値観やデザインを大胆に取り入れて、それが市場に受け入れられないと、あっという間に姿形を替えてしまうのだ。
その歴史の始まりは、1963年にリリースされた「ダットサン・ブルーバード410」だろう。当時、ピニンファリーナにデザインを依頼し、国産車初の「モノコックボディ」を採用した日産痩身の作だ。
しかし、このプロジェクトを進めるに当たり、
「これからは海外にも通じるクルマ造りをしなければならない。デザインで欧州を驚愕させる」
という意気込みとは裏腹に、何かあったらと開発時には、ピニンファリーナの作とは言わず、伊太利は西の方だからという事で 「九州デザイン」 という暗号で開発が進められた。
そして発売。欧州では流石 ピニンファリーナ のデザインと言う事もあって、そこそこ売れたし、日産も後発メーカーと言う事もあって、過激な宣伝で欧州に基盤を作っていったのだが・・・
未知の国へ荒業で乗り込む!
空を飛んだ戦士 410 ブルーバード
⇒ http://u14sss22ltd.fc2web.com/combat/410/cmb410fin.html
今から見ても味わいのあるデザインなんだが、サイドパネルに刻まれたプレスラインが後方に行くにつれて下がって行くのが、ライヴァルの格好の攻撃材料になり、「尻下がり」と言われて、販売にも影響が出て来た。
実は、この尻下がりのプレスラインは、生産の直前に、アルファロメオから似たようなデザインのクルマが出た為に、急遽変更されたものだった。
「他所と似ている」
と言われる事を、絶対に「良し」としない、ピニンファリーナは、頑としてこのデザイン変更を譲らなかった。
流石に売れ行きにも影響が出てくると、日産はマイナーチェンジの度に、微妙にプレスラインを上げてゆき、最終型に至っては殆ど水平までになっていた。
こうしたデザインの変更は、これ以降当たり前の様に行われる様になって、有名なところでは、710ヴァイオレットでも、ファーストバックのセダンが、やはり市場からセダンらしくないという声に押されて、最終型になると、立派なノッチの付いたセダンに化けたのは驚いたもんだ。
さらに、近世紀ではT11ヴィオレト系で、マイナーでフロントやリヤのスタイルを
劇的 に変えてしまった事も記憶に新しい。
スタンザ(T11)編
(そう、これはもう未来!)
⇒ http://u14sss22ltd.fc2web.com/t11/t11.html
これら以外にも、初代・二代目「セドリック」、「プレーリー」や「アヴェニール」なんていうクルマたちも初心貫徹できなかった日産の作品たちだろう。
同じモデルナンバーで激変するパターンも酷いが、モデルチェンジ事にコロコロと変わって行くデザインとコンセプトで、日産の販売戦略の一貫性の無さが販売の激減に繋がって行ったとも言えなくはないだろう。
省みて今の日産は・・・しっかりと海外に目を据えて、国内には目もくれずクルマを作り続けている姿は実に清いモンなんだがねぇ。。
そんな頑固な姿を見ていると、なんだか人間とは不思議なモンで、「優柔不断」な日産が懐かしくも・・・今宵は懐かしい日産の揺り動きの歴史を顧みる事にしてみることにした次第だ。
Posted at 2012/11/03 22:11:19 | |
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