
さてさて、ここのところ徳小寺にしては古いクルマのネタが少なかったので、とびっきりのネタと言うか、僕も実車を一度しか見た事が無いクルマを紹介したと思う。
皆さんは、かつて「日野」が乗用車も作っていた事をご存知だと思うのだが、そう有名なコンテッサシリーズはリヤエンヂンの実にエレガンスなクルマだった。
日野の乗用車の戦後のルーツは、1953年にルノーの4CVをノックダウン生産し、これが大ヒットし、一時はタクシーとしても多く使われていた。
リヤエンヂンのルノー4CVが戦後日野のルーツになった。丈夫で性能の良かった日野ルノーは大ヒットした。
そのリヤエンヂンのルノー4CVのノウハウを駆使して誕生したのが、純国産の「日野コンテッサ900」で、コンテッサの二代目が、ジョバンニ・ミケロッティがデザインして、伊太利のコンクール・デレガンスで入賞した事はツトに有名である。
グリルレスの美しいデザインはミケロッティのデザインによるもの。欧州にも輸出していた。
その日野としては乗用車以外にも、当時売れセンだった商用車の開発も急務となり、ルノー4CVやコンテッサのリヤエンヂンのシャーシをベースに当初は企画されたが、リヤエンヂンによるリヤスペースの積載性の悪化から、噂によると当時ルノーで発売されていた、ルノー・エスタフェットを模範として、FWDのワンボックス商用車 「コンマース」を開発した。
乗用車のヒットで気を良くしていた日野は、「コンマース」にも惜しみなく技術の粋を集めて、リヤダブルウェッシュボーンを採用した四輪独立懸架の凝った足回りも与えた。
FWDに四輪独立懸架!!先進的な設計の日野コンマースだったが・・・・
しかし、コンテッサ900のエンヂンをチューンナップしてパワーアップしたとはいえ、水冷4気筒OHV836cc・最高出力28ps/4600rpmのエンヂンでは一トンを超えた車重には十分なパワーと言えず、さらに、FWDなのに、当時は等速ジョイントの開発ができず、サスペンションが搖動するたびの激しい振動、そしてFWD故の積載時のトラクション不足と言った問題から、全く売れず三年弱の期間で、二千台を少し超える生産台数で消えて行ってしまった。
企画は良かったが、技術がそれに追いつていなく、さらに市場の本当のニーズを掴みきれていなかったという、まさに「失敗のお手本」の様な生涯だった。
ただコケッティシュなエクステリアデザインに、現代の主流を行くFWDのミニヴァンというコンセプトは、先を行きすぎた感も無きにしも非ずなんだが。。。
乗用車の生産からトヨタとの提携で撤退してしまった日野だが、その技術力は侮る事の出来ないものがあった、そのことは皆さんにも是非知っておいてほしいと思う次第なのだ。
Posted at 2015/01/02 12:52:16 | |
トラックバック(0) |
クルマ | クルマ