
A long time ago in a galaxy far, far away . . .
昔話をすると嫌われる?と言いますが、これからクルマをチューニングする人への参考となる事を期待して過去の出来事を書いていきますね。
まず登場人物の紹介です。
主人公は、M君。 年齢は30歳くらいかな。
仕事が超多忙だった事もあり、そのストレス解消にクルマで走る事に目覚めてました。
M君は、2代目MR2(SW20 Ⅱ型)を購入し、毎週末は芦ノ湖スカイラインに通っておりました。
そんなM君がサーキットに嵌るのは、必然だったのかも知れません。
M君のサーキットデビューは、1993年5月 エビス東サーキット
JAF Aライセンス講習会。
そして、M君の主戦場となる、筑波サーキット(2000)のデビューは、1993年8月
ブリジストン主催のポテンザ・ドライビング・レッスンでした。
この時のSW20は、タイヤも含めてほぼノーマル状態です。
変更点は、ブレーキフルード(DOT4)のみ
M君は、この2回のサーキット走行で、すっかりこの道に嵌ってしまったのでした。
その後、ブレーキフェードに悩んだM君は、純正パッドを諦めてスポーツ走行用のブレーキパッドを装着します。フロント:マーベルType-D,リア:マーベルType-B
会わせて前後のロータ4枚(純正品)も交換しました。
ブレーキを弄れば、やはり走りたくなりますよね。
そして2度目の筑波サーキット走行にいくわけです。
しかも、やめりゃいいのにタイム計測付きの走行会でした。
その結果が、上の写真です。 ベストタイム 1分13秒63
このタイムだと参加者の中位くらいでした。当時は走行会レベルだと筑波10秒を切れば、ほぼトップグループに入る時代でしたね。
そうなると、M君がなんとか10秒切りたいと考えるのは、自然の流れだったのかも知れません。
私ならノーマルで走りこむべきと思いますが、M君はそうは考えずに愛車をチューニングする事にしたのでした。 そしてそのチューニングも間違った方向に...
つづく
Posted at 2011/06/18 22:10:12 | |
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MR2(SW20) | 日記