
SNSが私たちの生活に深く浸透して、いったい何年が経つでしょうか?
もはや、SNSはただのツールではなく...
ひとつの“コミュニティ”として日常に組み込まれているように感じます。
このブログを長く読んでくださっている方なら覚えていらっしゃるかもしれませんが、
私は2008年頃、通信制の大学に編入したことがあります。
その頃、提出したレポートの中に「SNS」という言葉を使ったところ、教授からこんなコメントを受けました。
「SNSとは何ですか? 一般的でない用語をレポートに使わないように」
いま思えば、信じられないような話ですね(笑)
それほどまでにSNSが当たり前の存在になった現在。
ここ数年、私はふとしたことで気持ちが沈む瞬間を経験するようになりました。
それは、SNSが届けてくれる...
「今日は〇〇さんの誕生日です。お祝いのメッセージを送りましょう」
という通知です。
若い頃であれば、何も考えずに素直に「おめでとう!」とメッセージを送っていたことでしょう。
けれど今では、その通知がときに胸を締めつけるのです。
なぜなら...
通知の相手が、すでにこの世を去った人であることがあるからです。
もちろん、忘れたくない人の存在を思い出させてくれるという意味では、SNSのこうした機能がありがたく感じられることもあります。
しかし、突然の通知に、不意打ちのように切なさがこみあげてくる日もあるのです。
こんな風に感じるようになった自分自身も、あと何年生きられるのか...
と、ふと考えてしまうことが増えました。
SNS上のデータ
生きているうちは思い出の宝庫ですが、亡くなった後はどうなるのでしょう?
自動的に「この人はもういない」と認識して、通知などを止める方法はないものか、と考えたりします。
たとえばマイナンバーとSNSを紐づければ、死後に自動的に通知が止まる仕組みは技術的に可能でしょう。
けれど、プライバシーの問題や拒否感もあって、実現は難しいかもしれません。
何が正解かは分かりません。
けれど、テクノロジーと人の感情がもっとやさしく寄り添える未来が来てくれたらそう願わずにはいられません。
Posted at 2025/07/31 06:46:09 | |
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