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2017年10月19日

興味深い日佛自動車販売社のリーフレット~やんぢさんpresents~ その3

みん友さんのやんぢさんから先日いただいた、日佛自動車販売株式会社の「シトロエン 四つの謎」というリーフレット。

まるで詩人が書いたかのような文学的な表現が見られ、気付けばシトロエンの魅力に惹きこまれ、魅力にすっかり憑りつかれてしまうよう。

シトロエンの魅力を余すことなく伝え、ファンになったという方がきっと多かったのではないかと思います。

さて、日佛自動車販売株式会社とはいったいどんな会社だったのか。その1でも取り上げていますが、他にも追記すべきことを含めて引用します。

日仏自動車(にちふつじどうしゃ)は1950年代後半から1969年まで存在した輸入車ディーラー。その名の通りフランス製自動車のシトロエン、パナールを取り扱った。1969年6月より、西武百貨店グループ(後のセゾングループ)の西欧自動車(後に西武自動車販売に統合)にシトロエンの輸入販売権を譲渡し、会社は消滅した。本社・ショールームは東京都港区青山南町1-27(当時)にあった。

外貨規制が一時的に緩和された1952年頃に2CV、11CVを輸入したのを皮切りに、日本人への輸入車販売が厳しく規制された。1950年代後半には駐留アメリカ軍人や自動車メーカーの研究車としてDS/IDシリーズを積極的に販売した(当時数百台が輸入されたと言われる)。1960年代に入るとシトロエンと資本関係にあったパナールの販売にも進出、ディナや24なども輸入販売した。1964年には輸入業務を行う「日仏貿易」と販売を行う「日仏自動車販売」に分社化された。

(引用終了)

ここで、一旦、日佛自動車販売社の歴史について判明したことを簡単に整理しておきましょう。

・1950年代後半  シトロエンの輸入販売を開始。DS/IDを販売(数百台を輸入)
・1960年代      パナールの輸入販売を開始。ディナ、24などを取扱う。
・1964年        販売業務と輸入業務を分社化。輸入業務は日仏貿易社が担う。
・1969年        シトロエン・パナールの販売業務を終了する。


昭和30年代から44年までの10年余りに亘って、実在したインポーターだったのですね。当時としても重要な役割を担っていたわけです。

実はこのリーフレットの最後のページには次のような記載がありました。

『シトロエン・パナール 日本総代理店』 

取扱い車種や所在地は、wiki・リーフレットとも見事に一致します。日本の主要都市には販売網が存在したようですが、これではほんの一部の人しかシトロエンやパナールに触れることができませんね。

見開きページ最後には、当時のラインナップの記載がありました。

シトロエンDS21 ・ AMI6 ・ 2CV AZAM ・ パナール24BT

豪華フルラインナップ! スペックは当時としては必要にして十分だったのでしょう。ここではスペックについては割愛します。興味ある方はどうぞご覧ください。

さて、当時のラインナップでもあるDSについてwikiで調べていたら興味深いことがわかりました。引用します。

DSの日本における輸入はデビュー当初から当時の富裕層のために数社のディーラーによって行われたが、その複雑なメカニズムのため整備が出来る熟練メカニックは数名でありハイドロ関係の修理は困難をきわめた。日本全国に数台しか存在しないDSにトラブルがおこるたびにそれらのメカニックがチームを組み出張旅費や修理終了するまでの滞在費をディーラーが支払い、修理費用の他にそれらの費用もオーナーに請求されたという逸話も存在する。
(引用終了)

  ≪DS21 画像は拝借しました。≫
DSは多数のトラブルやウィークポイントを抱える、たいへん繊細なクルマという勝手なイメージを抱いています。それが事実とすれば、当時の販売網が日本全国数社では、故障のたびに出張修理が当然のことでしょう。

それにしても、記載の逸話が凄すぎます! 当時、シトロエンは許された者(選ばれた者?)しか所有することはできなかったのでしょうね。

AMI6についてwikiには次のような記載がありました。引用します。

日本へも代理店の日仏自動車・西欧自動車によって少数ながら輸入されたが、保安基準に適合できなくなり、1970年頃を最後に輸入は途絶した。
(引用終了)

  ≪アミ6 画像は拝借しました。≫
記載によれば、決して多くはないが少数は輸入されたとのこと。実はアミが正規で輸入販売されていたことは、このリーフレットを見るまでまったく知らなかったことです。

2CV AZAMについて調べていたら次のような記載を見つけました。引用します。

1948年の発表以来はじめて大きな変化を見せた。と言ってもシルエットは全く変わらず変ったのはボンネットカバーが5本の補強ラインを持ったプラスチック製となり、ブリキ細工を連想させる細いラインの波板からは、見た目大きく近代化した。そしてグリルの開口部が半分に縮小され、角が取れたモダンなデザインに変った。特徴的なダブルシェブロンのマークはグリル・デザインに組み込まれた。

しかし外観の変化だけなので型式の「AZ」は変らなかった。「AZ AM」は、1963年発表されたAZのバリエーションで、デラックス・バージョンとしての位置づけだが、本来「AM」はamelioreeの略で、フランス語で改良を意味する。

(引用終了)

  ≪2CV AZAM 画像は拝借しました。≫
西武自販草創期にも2CVは取扱っていましたが、それよりずっと以前の日佛自動車販売社時代にも取扱いがあったことは知りませんでした。なお、AZAMの生産期間について調べてみたら、1963年から1967年までとのこと。

意外な取扱いのパナール24BTについてwikiで調べてみました。引用します(一部改変)。

パナール24は1964年から1967年まで生産した小型乗用車。当時提携関係にあったシトロエンの影響が感じられ、特にフロントエンドには1968年以降のシトロエンDSとの共通性が強いボディを持つ。2ドアクーペは24C、1965年に追加された2ドアセダンは24Bとそれぞれ呼ばれた。エンジンは1946年以来の850ccの空冷水平対向2気筒。

1965年にはパナールの乗用車部門はシトロエンに完全に吸収され、1967年には一般向け乗用車の生産を終了、24は消滅した。

日本にもシトロエンを扱っていた日仏自動車が代理店となって少数輸入された。

(引用終了)

  ≪パナール24BT 画像は拝借しました。≫
パナールについてはメーカー自体がすでに存在しないこともあり、また、販売期間が長くはなかったので、今となっては謎が多いブランドです。このリーフレットはかつてパナールが正規で輸入販売していたことを物語る貴重な資料なのかもしれません。

パナールについて、2015年3月に名古屋のアウトガレリア・ルーチェにて企画展を見学に訪れました。そのときのことをブログやフォトギャラリーに取り上げているので、興味ある方はご参照ください。
(参照: パナールを知りたくて「忘れられたフランスの叡智、パナール」展見学【2015.3】

ということで、以上のことをまとめてみましょう。

 ・2CV AZAM・・・1963年から1967年まで生産販売
 ・パナール24BT・・・1965年から1967年まで生産販売


これらがこのリーフレットの発行年月を探る大ヒントとなっているようです。

生産終了と販売はあくまでも本国のものなので、多少のタイムラグはあるとして、日本でこれらのモデルが販売を終了したのは、1968年から1969年にかけての頃と推測されます。

つまり、このリーフレットは日佛自動車販売株式会社が会社として存在した最晩年にあたる頃のモノではないかというのが私の見立て。

当時「ガイシャ」はまだまだ高嶺の花の存在。販売網も限られていて、さらに機械の信頼度も現代ほど高くはなかった時代のこと。当時シトロエンを所有することができたのはおそらく極々限られた人だけだったのでしょう。

このリーフレットは、当時シトロエンを購入することが叶う顧客にとっては、シトロエンをより身近に感じ取ることのできる貴重なバイブルだったのかもしれません。

  おわり
ブログ一覧 | 日佛自動車販売社関連 | 日記
Posted at 2017/10/19 20:38:01

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この記事へのコメント

2017年10月19日 21:17
いや~♪面白かったです。
ありがとうございました~

赤坂青山南町とは今の南青山らしいですね。

この貴重はパンフレットから当時が知れてました!
コメントへの返答
2017年10月19日 22:04
こんにちは^^; シリーズご覧いただきありがとうございます。

南青山って一等地なのだと思いますが、立地条件が素晴らしいですね。顧客層が何となくわかります。

見開き2ページと量は大したことがないのですが、見応えがあって3部作になってしまいました。時代背景が読み取れて興味深いですよね。
2017年10月19日 22:41
素敵なデザインのリーフレットですね (^^)

DSは当時としては先進的な技術とデザインだったのでしょうが、一方で145万台以上も生産されたクルマですから、それは大衆車とも言える台数かと。故障の多さはクルマの繊細さというよりは、やはり当時の日本の受け入れ態勢やメカニックの技術レベルの差によるものが大きい気がします。本国ではフツーに使われていたわけですから。

ラインナップに記載されている、AMIと2CVの解説に、4速フルシンクロとありますが、1stギアはシンクロ無しのはずです (^^;;
コメントへの返答
2017年10月20日 20:18
こんにちは^^;

DSはシトロエンのテーマに則った前衛と革新を具現化したモデルとも言えます。生産台数は多いため、おっしゃるように大衆車レベルかもしれません。

>当時の日本の受け入れ態勢やメカニックの技術レベルの差によるものが大きい

販売網は日本に数ヶ所だったので、アフターフォローは脆弱だったでしょうね。個体数が少ないことはトラブルに関する情報も比例して少ないでしょうから、技術レベルはなかなか向上しづらかったでしょうね。

>1stギアはシンクロ無しのはずです (^^;;

2CVについてあまり詳しくはなかったので、調べてみました。おっしゃるように2・3・4段はシンクロで、1段とRはシンクロなしでした。何かの間違いでミスプリントとなったのでしょうかね(^_^;)
2017年10月20日 6:58
こんにちわ
丁寧に取り上げていただいてありがとうございました。

私も発行年次については分かっていなかったのですが、そこまで詳しく調べませんでした。
経年の割には物質的な「紙」としてのコンディションがかなりいいですよね。

さて販売ネットワークですが、当時も今も屋号も住所も業務内容も同じで、名古屋では別の大手ディーラーが参入してきた今でも「シトロエンといえば渡辺」といわれる渡辺自動車は日本における企業としても稀有な存在なのだと思います。
コメントへの返答
2017年10月20日 20:29
こんにちは。このたびは貴重なリーフレットをいただき、ありがとうございました。嬉しい限りです^^;

発行年月の記載が一切見当たらず、とても気になってしまいました。ラインナップから割り出して、おおよその年月が算出されましたが、大きく外れてはいないと思います。

50年近く前のリーフレットとしては、コンディションが望外に素晴らしいですね。大切に保存して、後世に伝えていきます。

渡辺自動車社は、中部地区にシトロエンを根付かせた偉大な功績を築いた会社ですね。全国的にみても、シトロエンの代名詞にもなり得る会社はたしかに稀有な存在でしょうね。

プロフィール

「@こまじろう さん、つまるところ、OEMによるモデルなんですよね^^」
何シテル?   03/09 10:57
クルマ大好きです。日本車、ドイツ車、イギリス車、イタリア車、フランス車、スウェーデン車などなど。ブログではいろいろなことを記していて、時には違った切り口で記して...
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