
ピニンファリーナが手掛けたデザインが美しい往年の名車プジョー504。
生産販売が開始されたのは今から53年前の1968年9月。1989年9月までの21年間のロングセラーモデルでした。
その後はアフリカを中心に2006年までノックダウン生産されたというのは驚かされますが、何より504の素性の良さによるものでしょう。
さて、冒頭にも記載のとおり504はピニンファリーナがデザインを担当していますが、当時のプジョーはピニンファリーナにデザインを委託するのが当たり前でした。
この尻すぼみのデザインは504ベルリーヌ(セダン)を特徴づける最大のポイント。

≪画像は拝借しました。≫
404のクラシカルかつスクエアなデザインからの脱却を狙ったのか、ピニンファリーナとしては新たなる挑戦だったのかもしれませんね。
ところで、本日はみどりの日ですが、504の日でもあります(^^;
実はプジョー504はかつて日本にも正規で輸入販売された経緯があります。本ブログではその辺りを自ら調べまとめてみましたので取り上げてみることにします。
1968年の生産販売から数年の時を経て日本に導入されました。当時の輸入販売元は新東洋企業株式会社という企業。
新東洋企業株式会社と聞いてわかる方も多いかと思うのですが、英国車を中心に取り扱いのあった会社。ジャガー、ローバー、トライアンフ、MG、ミニなどのBLMC社の輸入総代理権を1957年に取得しています。
アストンマーティン、ランドローバー レンジローバーのディーラーとなったこともありますが、2020年までには権利を返上しているようです。
英国車のイメージが強い企業ですが、プジョー504や304を正規で輸入販売していた時期がありました。
このカタログは新東洋企業が取り扱っていた1972年頃当時の504&304カタログ。(カタログ裏表紙)

品川区旗の台にあった「新東洋企業株式会社」のゴム印が押されています。おそらく史料的価値があると思われる貴重なカタログと言えるでしょう。(ちなみに購入したものです。)
このカタログには左下隅に ”Printed in U.S.A.” という記載があります。また、イラストの504セダンのフロントマスクを見ておわかりと思いますが、実は当時の日本仕様の504は元々北米仕様なのです。
このことについて、ネコパブリッシング社発行「ワールドカーガイド10 プジョー」に興味深いことが記載されていました。以下引用します。(一部改)
(引用開始)
日本に輸入されていた504に関して述べておく。(~中略~)
’70年代初期にわずかではあったがガソリン・エンジンのモデルも輸入されている。これはアメリカ仕様をベースにしたモデルで、エンジンは1796ccキャブレター仕様であり、4段M/Tが組み合わされていた。なお、この他サンプル輸入としてブレークが1~2台という単位で入っている。
(引用終了)
当時、プジョーは対北米輸出していたというのは驚かされます。新東洋企業社の504はおそらくフランスから北米へ輸出し、北米から日本へ輸出した仕様が販売されていたということなのでしょう。
それじゃぁなぜ始めっから欧州仕様を輸出しなかったの?というのが最大の疑問です。その仕様の方にでもメリットがあったのでしょうか。残念ながらこれは調べが尽きません。
新東洋企業社の504輸入販売は1977年まで続いたとされます。取り扱い期間は5年から7年程度というところでしょうか。
販売の中心はセダンのようですが、ステーションワゴン(ブレーク)もサンプルで1~2台は輸入されていたのですね。実際に販売されたのでしょうか。北米仕様の504は日本で販売された台数はどのくらいなのかは興味あるところです。
さて、新東洋企業社による504の輸入販売が中止となり、1979年には西武自動車販売(株)によって504の輸入販売が開始となりました。
これは西武自販社の504カタログ。

フロントグリルのライオンエンブレムをカタログ中央に配した表紙。西武自販社の504は表紙に記載あるとおり、ディーゼルです。
カタログ中の記述です。
「504ディーゼル」は、フランス生まれの ”完全日本仕様車”です。
カタログ記述中に・・・
「日本の方々への最大の贈り物は、右ハンドルで、54年規制をパスした「5ナンバー」で乗れる完全日本仕様の車だということでしょう。」
と最大のアピールをしていることに西武自販社の自信が窺えますね。
当時のガイシャ(あえて)は左ハンドルが当たり前の時代だったでしょうから、右ハンドルをたとえる「完全日本仕様車」という表記は何だか微笑ましいですよね(^^;
こちらはカタログ中の写真。

「完全日本仕様車」ですね(笑
ちなみに西武自販社の日本仕様は、英国仕様ベースだそうです。そのことについて、先のワールドカーガイド10 プジョーには次の記載があります。以下引用します。
(引用開始)
最も多く輸入されたディーゼル・エンジン・タイプだが、日本へは当時では排気量の大きいほうのディーゼル、つまり2304cc版が導入されていた。
(~中略~)
また、英国仕様がベースであった為、当時の輸入車としては珍しく右ハンドルである。トランスミッションは4段M/T 、3段A/Tの選択が可能であったのだが、日本では主に後者のほうが売れていた。
価格は4段M/Tで250万円を切っており、当時の輸入車としては比較的安いものであった。ちなみに504ディーゼルの日本での販売台数は366台である。
(引用終了)
カタログでは写真にあるとおりA/T(ちなみにZF製)を積極的に販売していたことがわかります。輸入台数もA/Tの比率が高かったのでしょうね。
英国仕様がベースということなので、マイル表示のメーターを日本仕様に変更し、クーラーを多少強化したものを日本仕様として仕立て上げたのでしょう。
1980年代初頭の輸入車として販価が250万円を切っていたとは言っても、当時としてはガイシャはまだまだ高根の花であり、敷居はかなりの高さだったに違いありません。
現代のプジョーとは比較にならないくらい、おそろしく知名度が低くマイナーだったプジョーのこと。むしろ、同じ西武自販が取り扱っていたシトロエンの方が知名度は高かったはず。当時504を購入の選択肢に挙げる顧客はかなりの通というか好事家と言えるでしょうね。
さて、今回504の当時の事情を研究していて改めて気付いたのですが、現代プジョーの508Ⅱから採用が始まり、208Ⅱや2008Ⅱなどのフロントボンネット先端に配されるモデル名を示すエンブレム。
これは504や404、604ですでに採用していたものを復活させたものですね。

当時のプジョーに対するオマージュと言えるでしょう。往年のモデルが存在したからこそ現代のプジョーが存在するわけです。
現代プジョーにBlueHDiのディーゼルモデルがラインナップに揃い圧倒的シェアを占めていますが、今にして思えば、西武自販が正規輸入販売した504ディーゼルが先鞭をつけたのではないかとすら思えます。
今回調べてみて、新東洋企業社と西武自販社がプジョー504を日本に広く知らしめようと正規で輸入販売したことに対して、当時は現代の輸入車事情とは大きく異なり、大きな苦労があったことと推察されます。その経緯で妥協することもあったことでしょう。

≪画像は拝借しました。(左;504クーペ 右;504ベルリーヌ)≫
最後にまとめとして。504の日を機に、504は当然のことながら、104や304、404、604などの04世代プジョーの良さを再認識した次第です。
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プジョー | 日記
Posted at
2021/05/04 10:49:14