
1967年(昭和42年)日産は初の女性デザイナーを採用した。おそらく日本で初めての女性カーデザイナーであろう、後にも名を残す島田京子と、望月迥子の二名だ。
この頃、日本は「イサナギ」景気の真っ最中で、GNPで世界第三位になり、自動車生産台数でついに亜米利加に続いて世界第二位に躍り出た。
クルマに対する要求も、単純な移動手段だけでなく、趣味性の高さ、意匠のセンスも求められるようになっていた。
そんな中、国内販売では、七つの新機構と、シャープでシンプルな造形で世界各地で名声を得ていたブルーバード510がコロナに対しては抜きつ抜かれつのデットヒートを繰り返していた。
「良いモノを作ったのに日本では売れないんだ!?」
510をまとめた 大田昇 や、デザインした 四本 にも、その原因が分からないでいた。そんな時、新たに戦力に加わった女性二名から、510ブルーバードに対してこんな印象が語られて、それがその後の日産車の方向性にも影響を及ぼした。
「理知的だけど線も面も冷たく、色気が足りない・・・・」
さらに追い打ちをかけたのが、コロナばかりではなく コロナ・マークⅡ にも苦戦していた販売サイドからも510ブルーバードに対して否定的な声が聞こえて来るようになって来たことだ。
世間は豊かになった、クルマの見た目にも豪華さが無ければダメだ、510はコロナマークⅡに比べたら 「豊かさ」 と 「豪華さ」 にかけている。
シンプルで飽きの来ないデザインも当時は豪華さ華やかさがない冷たいデザインだと酷評されていた。
中には「ブリキの箱」の様だと言い放つ販売店まで出ていた。
そんな声に押されて、デザイナーたちは苦悩し「豊かさ」や「豪華さ」をキーワードにしたデザインの模索が始まった。
さらに北米では曲面を生かし、クウぺの様な流線形のデザインが流行り始めていて、窓面積を小さくしてクルマの室内を「プライヴェート・ルーム」とする思想「マクルーハン・インボルブ」にも影響され、流線形と窓面積の縮小でデザインが進められた。
フロントからリヤに流れる様なポップラインが、造形的な優しさ、優雅さを、コーダ・トロンカ調のノッチを避けたなめらかなラインが710のハイライトだ。そこには論理的な線と面が展開され無駄な線や面は存在しない。
果せるかな 710ヴァイオレット が発売されると、販売店サイドからは歓喜の声が上がり 「これならコロナに勝てる!こんな良いデザインが日産にもできるんだ」という声が多く寄せられた。
流れる様なサイドライン。ノッチを無しくしたCピラーは如何にも流線形と言う雰囲気だ。
僕が 710ヴァイオレット を大いに評価するのは、日産自動車のカーデザイナーの大御所であった「前澤義雄」氏曰く
「白鳥になることのない”醜いアヒルの子”みたいなクルマ」 と言わしめた 710ヴァイオレット だが、そのデザインに隙はない。
確かに当時の日本車に多かった、不要なプラスチックによる「過飾」はご容赦なんだが、一本一本の線や、そこに流れ込む面構成に無駄や、今のトヨタ車に見られる思い付きのプレスラインは一本もない。
そのことを端的に表す驚異的な数字がある。
「空気抵抗係数 CD値 だ。」
単純に曲面と曲線をデザインしたクルマではない。ツゥドアハードトップでCD0.39を誇る!
ノッチや不要な断面変化を避けたなめらかな造形は、空気抵抗にも良い影響を与え、1970年代にあってすでにセダン CD0.40 、ツゥドアハードトップ CD0.39 を誇っていた。
時代や、売り手の最前線である販売店の声でデザインされた 710ヴァイオレット であったが、結構な出足で販売台数を伸ばしていた矢先に不幸に見舞われることになる。
オイルショックの到来であった。
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Posted at
2015/10/04 23:06:22