
いよいよ来週末は鈴鹿GPです。もう今年も終盤に差し掛かってきました。
F1ブログを書き始めたきっかけは、欧州のF1会場へのアクセス情報が全然Netで探せなくて困った経験からでした(苦笑)。こんなブログでも検索に引っ掛かって今後の誰かの参考になればとの・・
でも鈴鹿へのアクセスについてはここに書く必要もないので、ここでは個人的な思い出にお付き合い下さい(笑)
私にとって鈴鹿F1でもっとも印象に残っているシーンの1つは表題の写真です。
87年日本に久しぶりにF1GPが復帰しました。それまで車雑誌などでWilliams Honda F1の快進撃を目にしていましたが、ついにそれが日本にやってくるのです。日本の工業技術力や経済力が歴史上のピークにさしかかっていた時期、ホンダターボエンジン搭載のWilliamsは加速力と信頼性では圧倒的な強さを誇っていました。日本でF1が開催されるのも当然の雰囲気でした。
当時バブル時期で超多忙な生活を送っていた私は(考えてみれば、いまも同じだ・・・orz)、職場の先輩たちに誘われて初めてのサーキット観戦に出かけました。もちろん車好きの私ですからTV中継でF2やグラチャンなんかを見ておりましたが、初めてのサーキット、初めてのF1観戦、、、
鈴鹿はシリーズの後半に配置されているので87-91年まで5年連続でワールドチャンピオンが決定されたサーキットでした。87年はエンジンだけでなくシャシマッチングにも徐々に戦闘力を上げてきたWilliams FW12が他を引き離し、チャンピオン争いはチームメイトのナイジェル・マンセルとネルソン・ピケに絞られていました。ここ鈴鹿で決定するということで、ピケ、マンセルのバトル、怒涛のホンダパワー大爆発を期待して、朝5時に起きてやってきました。
金曜日、朝のプラクティスではマンセルがトップタイムをたたき出し、いよいよ怒涛の予選が、、、、
金曜日にチャンピオンが決まってしまいました・・・orz
張り切りすぎたマンセルちゃん、ホンダパワーを自分のチームスポンサー看板に向かって大爆発させてしまいました。。。(苦笑)
当時は金曜日に第1回目の予選を行っていたんですね。
サーキットウィークエンドの金曜日にワールドチャンピオンを決めたのは歴代チャンピオンのうち、おそらくネルソン・ピケだけではないでしょうか?
決勝では、上位陣が珍しくトラブルで脱落する中、珍しく故障しなかったフェラーリF187を駆るベルガーが優勝。2位はロータスホンダ99Tのセナでした。3位はヨハンソンのマクラーレンTAG(ポルシェ)、4位にフェラーリのアルボレート、5位に津川さんの所属するベネトンのブーツェン、ロータスの中嶋さんは6位でした。この6人の中で2人も事故で故人になっているのですね。合掌・・・
フェラーリは当時から独自のエンジン音を響かせて速かったのですが、ターボエンジンの信頼性が低かったですね。後にホンダの後藤監督が移籍してからはエンジントラブルでのリタイヤが極端に減った気がします。自然吸気に戻ったこともあるでしょうけど、やはり日本式生産管理品質管理がフェラーリに根付いたのではないでしょうか?
そう考えると、その後のフェラーリの隆盛もホンダF1の伝統が息づいているとも言えるかもしれません。
私にとってのF1の原風景は、やっぱりこれですね! 火花サイコー!(笑)
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Posted at
2011/10/01 11:47:59