
公害対策で、もう速いクルマには乗れないんだ。。。と暗雲立ち込めていた国産車の世界に彗星の如く現れた初代RX-7。
シンプルでありながら、ウエッヂの効いたスタイリングは見るからにスポーツカーだったし、実際にも速くて、ソリッドな操縦性はリアルスポーツと言っても間違いの無い存在だった。
しかし、いくらスポーツカーとは言え、劣悪な燃費に、質感の低い内外装や、性能的には問題ないとは言え、商品性的には問題ありのリヤ「アルフィンドラム・ブレーキ」に批判の声が高まった。
昭和53年に登場して以来、初代SA型RX-7は改良の道を邁進する事となった。
まずは劣悪な燃費の改善に翌54年10月29日、それまでの後燃焼方式、つまりサーマルリアクターによる公害対策をようやく捨て、触媒と希薄燃焼による公害対策が為され、それまでの10モード「7.0Km/L」から
「8.4Km/L」へと向上した。
昭和55年11月4日には、
・ボディの大幅な軽量化と意匠の変更、ボディ一体化の樹脂大型フロントバンパーによる空力改善で CD0.36 から 0.34 への向上。
・ロータリーの肝である「アスペック・シール」の改善に、ファイナルレシオの見直しで「8.4Km/L」から
「9.2Km/L」 。
そして昭和57年3月23日には、
エンヂンの
「6PI化」 によって、念願の「10Km/L超え」、
「10.2Km/L」 を果たした。
宇宙 コスモは再び舞い降りたか?
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/5855039/
内装だって、
本皮シートまで登場し、
インパネも、デザインや材質の見直しでエラク質感が向上した。
そして、その頃にはようやく他の国産車の公害対策も一段落して、パワー競争が始まっていた。
RX-7の、その回答が
ターボ化で対抗した!
コーナリング中に不注意にガスペダルを緩めようモンなら、ダァ~と流れる操縦性も年を追う毎にマイルドになり、ドラムブレーキも不必要だと分かっていても世間はそれを許さず、最後にはディスク化へ・・・
外装を見れば「フェンダーミラー」から「ドアミラー」へ変わり、タイアも「70扁平」から「60扁平」へ。
エンヂンも、「カブレーション」から「フェールインジェクション」、「触媒採用」と、まさに初代RX-7の歩みは、国産車の技術革新の波と一致していた。
そんな初代RX-7もよいよ7年の歳月を経て、新世代のRX-7へと飛翔するのであった。
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Posted at
2009/03/29 01:26:39