
富士重工、今の「スバル」の源流は言わずもがな、名車の誉れ高き「スバル1000」と「スバル360」である事はだれも否定できないだろう。
それまでの海外のクルマ達の模倣をベースにした、野暮ったい国産車の群れの中で、まろやかな線と面で形作られたそれらは、今見ても色あせる事のない存在感を醸し出している。
そして飛行機屋を源流とする理詰めのメカニズムも、国産車の範疇を超えていた。
モノコックボディや、水平対向エンヂン、トーションバーを活用したシンプルな構造の独立懸架は、高度な操縦性を持ちながら(クセも強かったが)、広大な室内スペースも実現していた。
空気力も意識したデザインは、滑らかでコンパクトなモノだったが、剛性が高く軽量で室内も「広大」だった。
それが後の子孫、「レオーネ」を苦しめる事になった事も事実で、シンプルなデザインはアメ車の豪華絢爛なデザインを「ヨシ」とする風潮に合わず、反動で、現代のトヨタ車と同様の、過度なプレスラインや面構成のデザインに陥り、水平対向エンヂンも独自のメカのサスも、メンテナンス性も含めて操縦性も手なずけると面白のだが、FF車は癖が強いので、免許を取ったばかりのビギナーや女性には危ないという誤解も生んでしまった。
シンプルで個性的なデザインは受け入れられず、過度で華美なデザインを目指したが消化不足でカッコ悪いモノに。
初代の名車たちの反動で、その子孫たる「レオーネ」も「レックス」も、デザインに迷いが生じ、製造技術の問題もあってなかなか市場に受け入れられなかった。
そうした迷いが販売台数にも反映され決して売れているクルマにはならなかった。初代「レオーネ」はマイナーを続け、車型も増やしていったが、最後まで販売は上向かなかった。
マイナーを続けた初代「レオーネ」も、元が元なので変化できなかった。
そんなレオーネが大きく変わったのが三代目だ。
バブル経済の到来に合わせたような198年代中盤に表れた、三代目のレオーネは、それまでのよく言えば個性的なデザインだったモノが、少々過剰であったが、直線と平面を駆使したデザインは、当時の国産車の流れに乗り、操縦性もマイルドになった事もあってある程度の販売台数を稼ぐようになった。
数は少ないが、FWDやAWDの走破性の高さ、安全性の高さから北米ではある程度の人気を得ていた「レオーネ」から富士重工には、実用本位のクルマではなく、スペシャルティカーの要請が高まり、「アルシオーネ」が登場した。
その頃から、デザインとメカニズムの両立に目覚め、高度なメカだけではなくデザイン性にも個性を持ちながら売れるクルマ造りに開眼したのが、三代目「レオーネ」と「アルシオーネ」だったと思うのだ。
その三代目「レオーネ」と、初代「アルシオーネ」を徳小寺の目線で語ったブログをまとめてみた。
直線番長 レオーネとアルシオーネ
→ https://minkara.carview.co.jp/summary/13030/
ブログ一覧 |
クルマ | クルマ
Posted at
2020/11/11 08:44:23