
弥生月を迎えようかという如月の月末、やはりというか、やっぱりねぇというニュースが静かに流れた。
NV200TAXI の生産中止のニュースだ。
日産NV200タクシーが生産終了
→ https://www.webcartop.jp/2021/02/662510/
デヴューした時は、先行逃げ切りで、タクシー専用というアドヴァンテージがあるように日産は言っていたが、多くの認識は、「残念ながらヅッコケル」だろうというのが大方の予想だった。
憂鬱 タクシー未来予想図
→ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/40077669/
去年の年末に、北米や墨西哥で NV200 が生産中止になるというハナシを聞いてからは、何時かはと思い、それが残念ながら現実になっただけなんだが、これで日産は、タクシーにパトカーに教習車にと専用車が国内で絶滅してしまった。
数が出ないし、儲けないし、だいたい今の日産の懐事情ではは分かるのだが、これらの社会インフラに関わる車種の放棄は、「社会貢献」という意味合いもある事を日産はお忘れなんだろうかねぇ。
以前から何度かご紹介したが、何年か前のモーターショウで、BMWの本国の方が居て、僕は通訳さんを介してこんな質問をした。
「なぜ、BMWは数の出ない、コンバーチブルやクウペも作り続けるのか」と。
すると、彼は僕の目を見ながら、
「BMWは独逸を代表するカーメーカーとして、独逸のクルマ文化を継承する義務がある。それは、メルチェデスもVWも同じです。
例え数が出なくとも、それらの車型は、独逸のクルマ文化のひとつのカタチとして作り続ける義務が我々にはあるからです。」
これがクルマが文化として根付いた欧州と日本の差かとエラク衝撃を受けたのだが、さらに彼は商用車も同じだとも言っていたのが印象的だった。
これが「儲け」と「数」だけでやった、やった、やめたという日本のメーカー、特に日産の現実を突きつけられる度に、この言葉が胸に突き刺さるのだ。
顧みて、NV200の失敗は、毎度のことながら日産の思い込みがもたらした、いつもの結果であり、いい加減、まともな判断力を持ってもらいたいと感じてしまう。
JPN TAXI も脅威と思っていたが、実際には、これも酷いもんで、考えに考えた色々なギミックが、実は机の上だけの空論で、鈍足のスライドドア、使い勝手の悪いクルマ椅子用のスロープと、一見するとよくよく考えられたと見える装備も実は酷いもんだった。
(それでも、やっぱりNV200にしようとならなかったのは何故か?そこを考えない当事者には、ほとほと呆れてしまうのだが・・閑話休題)
クルマ椅子利用者としては、あのスロープの使い勝手の悪さは、思わずドライヴァーさんにも同情してしまうモノだった。意外に、横からだと乗り降りのできる場所って少ないんだよなぁ。しかも、スロープの取り出しと収納は気の毒になるくらい最悪だしねぇ。
それを考えると、NV200のリヤからと言うのは、道路に出る方法さえクリアすれば理に適っているし、さすが福祉車両を長く作ってきた日産だけあって、スロープの使い勝手も良好だった。
日産の今の財務状況は分かるが、もっと国内に向けて「儲け」だけでなく、国産の古くからの、日本のメーカーとしての自覚を是非とも持って欲しいと願って止まないのだ。
今は非難ごうごうの ゴーン の、日産を表した言葉に、
機能間、地域間の連携の欠如
危機感の欠如
ビジョン、中期計画共有の欠如
と言うのがある。
黒船 日産は 潰れない と思っている日産社員様へ。
→ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/43816438/
多くの人は、今の日産の惨状の 元基 は お前 だろう!という声が聞こえてくるのだが、この三点の認識はゴーンだろうが誰だろうが間違っていない日産の現実だ。
ここで「社員」という言葉に多くの疑問や、日産という企業と「同意」に見るのはおかしいという声がある事が分かっているが、確かに、そこに勤める一人一人と、その企業との姿とは切り離すべく問題なのかもしれないが、残念ながら社会は、そうは思ってはいない。
僕も日産には足元にも及ばないが、年間1,800~1,200憶の売り上げと、系列も含めると5,000人の従業員が居た一部上場の企業に身を置いていたが、一晩にして銀行の意向で「倒産」してしまい、「更生会社」の社員として2年を過ごした。
その日の前から状態が悪かったのだが、そうなった原因は、そこにいた、一人一人の従業員では無かったのだが、社会はそうは見ていなかった。
「会社が厳しい時に社員は」という言葉を何度も見聞きした。
某AやM新聞のパターンで、
「外注先の声だが、仕事量が減っているにも拘らず、経営が厳しくなると、ますます値下げの圧力が強まり、我々の生活も厳しくなった。
それにもかかわらず、こんな状況なのに、社員には危機感の欠片も無く」
な~んて書かれるのだ・・・
倒産してからは、当然だが、生きてゆくだけのサラリーとボーナス無しで、資産の流出の防止と、連鎖倒産の防止などなどで毎日を過ごしたが、「社員は」という言葉は益々多く、強く言われるようになった。
本当に会社が潰れるとは、こんなにも惨めなモノか と骨身に沁みたモノだ。
正直、今の日産は、どうひいき目に見ても、日本の企業、日本の製造業としての立ち位置に居るとは多くの人が思ってはいない。
そうなると、会社は会社、人は人と世間様は残念ながら見ていないのが現実だ。
しかし、そんな事を言ってしまった後に言うのも何だが、日産は幸せな会社だ。
日本向けに、感性に訴える車種が無くなり、歴史やブランドという財産を放ってしまっているのに、多くの昔からのファンが、「頑張れ頑張れ」といい、「そうじゃない」、「ダメだ」と言いながらも、日産の一挙手一投足に声を出してくれるではないか。
その声を、声なき声を、企業もそうだが、そこに存在する一人ひとりにも大いに励みとして、真摯に受け止めて欲しいと願って止まないのだ。
今の国産車が面白くなくなったのは、トヨタの独走を許した日産にも大いに責任がある。それは国産車全体にも波及して、半島などのメーカーにグローバルでも苦戦してしまっている現実の遠因でもある。
今は苦しいだろう。でも、日本の企業、日本の自動車メーカーとしての責務を何としても果たして欲しいと思うから、こうした声を上げる事を少しでも理解して欲しいとも思うのだ。
無くなるという事は、本当に惨めだし、もう経験したくはないモノだ。
そんな惨めな思いを、応援する企業にも、そこに勤める人にも味わって欲しくは無い、そう僕は思い続けるのだ。
日産 NV200 タクシー
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Posted at
2021/03/01 00:12:57