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徳小寺 無恒のブログ一覧

2006年12月22日 イイね!

根気 240Zレストア真っ最中!!

根気 240Zレストア真っ最中!!








調布にあるセントラルへLIMITED号の進捗を確認するために行ってみた。

実は・・・それ以外にも、セントラルへ行くと、見て面白い!聞いて面白いZなどの日産車が平日限定で見れる・・・というオマケも期待してなのだが・・・

国道20号線を八王子方面に進むと、調布で中央高速の高架が見える。

高架を過ぎるか過ぎないかを曲がると、そこがセントラルだ。

LIMITED号用のブロックは、まだボーリング屋から帰って来ていなかった。ブロックが帰って来なければ作業が進まない・・という事で、旧LIMITED号のブロックがPITの脇に申し訳なさそうに置いてあるのが印象的だった。

一応、年始一番にはブロックの加工が上がって、1月20日をメドに組み立てとかECUの仮セッティングを行う予定・・

そんな中僕が今日一番目を惹いたのが、レフトハンダーの、今やMr.Kカラーと言われる鮮やかなイエローをまとった240Zがピットに鎮座していたのだ。

一見するとノーマルの様に見える。しかしこのZもなかなかツボを押さえたチューニング・パーツで彩られていた。

国内で販売されているS30・・・240Zって微妙な違いがあるのだが。。。コイツは輸出仕様なんで、初期型のS30Zの特徴を醸し出して見ているだけで飽きない!!

伝承 240Zの系譜をたどる
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/200393/

まずはバックランプ、ストップランプ、ウインカーが一体となっており、テールゲイトの熱線(コイツがプリントでなく、グラスに鋳込んだ本物の熱線だ!)も横でなく縦に走っている。
(さらに、実はこのテールゲイトは、オーナーの趣味でFRP化されているのだ!!)
フロントのグリル(S30の場合そう言うのが正確なのか?)は、もちろん横桟タイプ。

エンヂンの方は、オーナー曰く排気量は、弄らず、キャブレーションだけソレックスに換装され、まさに、L型の王道 「ソレ・タコ・デュアル」 (今の若人には分からないかなぁ・・・きっと)となっていた。

ただ、ここでツゥなのは、マフラーが純正OPの俗に言う「432マフラー」と呼ばれる縦型デュアルと言うのが、外観はノーマル然、でも中身は・・・という風情が僕のハートを捕らえて離さない。

このレフトハンダーのS30は、なんとセントラルで二年越しのレストレーションを受けているというのだ!!!!!

まずは部品が無い!その確保も時間を費やすし、さらに30年近い年月がボディも相当痛め付けており、リヤパネルは結局板金で作り出したという聞くも涙の作品なのだ。

僕が行った時には、ちょうどL24エンヂンのご機嫌を伺っている最中で、これが の音なのか!?という官能的なサウンドを辺りに響かせていた。。

程度ウンヌンのハナシは別にして、こうして現代に生を受けて手塩にかけられているZは何と幸せなんだろうか。

それなのに、中途半端な古い年式だとか言って税金を上げたりする、今の日本のクルマに対する貧しい発想は如何なものだろうか。。。

このZを初めとして、そろそろ50年代60年代の国産車を文化的な財産としてみる気風が生まれないものかと願って止まないのだが・・・

豪快なエクゾーストに後ろ髪を引かれながら、時間が迫って来たのでセントラルを後にした。。。いつかレストレーションが終わったこのZを見てみたいものだ・・・・


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Posted at 2006/12/22 15:20:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2006年07月15日 イイね!

判別 フェアレデーSR311の見分け方!

判別 フェアレデーSR311の見分け方!






私とした事が窓を開けるのを忘れてしまい、不鮮明な画像になってしまったのだが。。。

土曜日の早朝、気温が低いうちに・・・と、横浜市内にある某所へクルマを走らせた。

さすがに10年選手のLIMITED号。。。

新潟に長らく居たせいもあって、ボディの下部に錆も出てきたので、補修をしようかと思ったのだが、シロウトの僕には上手にする勇気も自信もなく、プロにコツを伝授してもらおう・・・という目論みで出撃したのだった。

子供が10:30までに、プレ幼稚園に行く予定なので、遅くとも10:15までに帰宅しないといけない・・・という家族への配慮もあった。

その道すがら、いつも僕の目を和ませてくれる「絶版車」を扱うお店の前を通ると・・・
ピカピカのフェアレデーSR311がこれから店内に入ろうとしている最中だった。。。

このモデルを見て「フェアレディ」といってはいけない・・・当時のメーカーの広告に従って「フェアレデー」というのが「ツウ」なのである。。

しかし、S30としかも色が「レッド」の揃い踏みなんていうのが僕のハートを直撃してしまった!!

う~ん・・・スクリーンとバックミラーの位置から最後期のモデルだな・・なんて思いつつ携帯で撮った。

フェアレデーSR311には大きく3タイプが存在する。

実は一番目にするのが、TOP画像のこの最終モデルなのだ。。


それでは簡単に移り変わりを見てみよう。。



デヴューが1967年三月で、コイツが幻の初期モデルだ。

なんたって、67年の10月までしか作られていないから希少なのだ。
見分け方は、短いフロントスクリーンにヘッドレストの無いシート。。。ワイパーが俗に言う「けんかワイパー」で左右に中央から動くタイプだ。

ウインドスクリーンが短く、一番ブリティッシュオープンの文法に法っていて、マニアの間では最良のSRだなんて言われている。

これが11月になると・・・



北米の保安基準に合わせて急遽マイナー!!
フロントスクリーンが高くなり、ワイパーが今風の配置になった。
そうそう、ヘッドレストがついたのもこのマイナーからで、このモデルは翌68年11月まで作られた。。。

そして最終型となるモデルが登場!!



コイツの見分け方は・・・バックミラーが後方に移され、リヤのライセンスプレート・ランプが、バンパーから上方へ照らされていたのが、プレートの左右から二灯に変更された。

内装が一番変わって、初期の面影がまったくなくなり、インパネの全面がソフトパッドに覆われ、縦型のAMラヂオが装着されたのが大きな特色になる。。。

こんなことをツラツラと思いながら、もう一度あの野蛮で馬鹿っ早いSRに乗ってみたいもんだ・・・と、ひとりニヤニヤしながら信号待ちの一瞬を楽しんだのであった。。。
Posted at 2006/07/17 02:11:18 | コメント(5) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2006年07月05日 イイね!

恩人 ラウノ・アルトーネンからみた240Z

恩人 ラウノ・アルトーネンからみた240Z





神業 240Zを華麗に操った男
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=201397

それでは、当の ラウノ・アルトーネン は240Zをどう思っていただろうか?
やはり、企画室ネコに ラウノ・アルトーネン が寄稿した文章があったので引用してみたいと思う。。。
(途中要約して掲載)

240Z讃
THOUGHTS OF THE DATSUN 240Z

1970年、日産自動車は、国際ラリーのために240Zを準備しつつあった。この1月私は始めて240Zと出会う事になった。

日産モンテカルロ・ラリー・テストチームは、今フレンチ・シー・アルプスにあり、我々はこれから240Zで、ラリーが終わったほんの数時間後の実際のコースをフル・スピードで走行するテストを行おうとしていた。

240Zは見るからにスピード感があり、ノーズが長く伸び、フロントアクスルより前のオーヴァーハングの長いものであったが、それがサーキットでは有効でも、片側は岩壁で、もう一方には1000フィートの深さがあろう崖の曲がりくねった急で狭い、デコボコなアルプスの道を走るにはどうであろうか??と
私の様な職業のモノは誰しも疑いたくなる。果して、このクルマにどのくらい期待が持てるのか、格好だけよいのではどうしようもない・・・という思いが心を過ぎった。



私はシートに腰を降ろし、イグニッショションキーを回した。わずかにブルーの煙を出して6気筒エンヂンから確かな、力強いエグゾーストノートが響いた。
240Zが動き出した最初は大柄で重い・・という印象だったが、数時間の後には、私はその赤いクルマにすっかり惚れ込んでしまっていた。

一年後、私は12月から練習に入った。ラリーは1月開催なのだが、その頃には240Zは、私の身体の一部になっていて、右に曲がる時は、ただそう考えるだけでもう右に曲がっていた。

71年は結果として我々は5位に入賞した。

翌72年のモンテは更に順調に進んだ。大きな問題は何も無く、クルマは前の年よりも改良されていたが、パワーウエィトレシオが我々の競争相手と戦うには十分ではなかった。
それでも3位という栄誉を勝ち得たのは、日本人メカニックとドライヴァー達の万全な準備とチームワーク良さ、そして信頼のおけるクルマのおかげであった。

これらの全てが揃っていれば、クルマは無駄な停止をしなくてすむのだ!




ラウノ・アルトーネンは、73年になるとモンテでサファリで、実は我々DATSUNフリークに最高のショウもやってくれている。

モンテでは、トレーニング中に、ワークスポルシェと遭遇して、スタンディング競争をして何と勝ってしまった。
その時のポルシェの落胆は相当のものだったという。

さらにサファリでは、ポルシェと一騎打ちを演じ、最高速近くでポルシェを追い抜き、一端はタイヤのダメージを避けるために、ポルシェとも185Km/hまでに速度を落として走っていたが、コントロール手前でポルシェが、240Zを抜き返そうと猛然と加速すると、ラウノもさらに加速して、とうとうポルシェを突き放してしまったのだ!!

それはそうだろう・・・
当時としては、大きく重いと言われ続けていた240Zラリーだったが、73年からはさらに改良が進み、現代のマツダ・ロードスター並みのボディサイズで250PSを搾り出すようになり、重量だって1000Kgちょっと・・・と熟成がすすみ、最高のパフォーマンスを発揮する様になっていた。

実は240Zは当時最強のラリーマシンだったのかもしれないのだ。

ラウノとDATSUN、とりわけこの両者を巡りあわせた240Zとは如何に偉大であったか、僕はこのことをこれからも伝えてゆきたい。。。そう思うのだ。
Posted at 2006/07/05 02:38:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2006年07月04日 イイね!

神業 240Zを華麗に操った男

神業 240Zを華麗に操った男








以前、流麗で美しいツゥーシーター・クウペの240Zがラリーでも活躍した事をブログしたが・・・

氷雪 240Zモンテで闘う
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=201397

その大きな立役者が ラウノ・アルトーネン だ。

その前に日産のモンテでの戦績だが、まず最初に参加したのがブルーバード410であった。
この頃はまったく手探りの状態で、ドライヴァーも南アフリカ出身で大した結果は残す事は出来なかった。
次にトライしたのがフェアレデーSR311で、オープンでFRというまったくモンテでは不利な条件を克服して総合9位という輝かしい成績を残したが・・・



そこで起用されたのが、なんと当時無名の新人だったハンヌ・ミッコラだったのだ!
彼はウインターラリーの装備や闘い方をDATSUNに伝授し、さらに自らもDATSUNでの実績を糧に、一流トップドライヴァーの道をばく進するのであった。

そのDATSUNが次に開発したマシーンが240Zであった。

次に問題となったのがドライヴァーで、よりによってDATSUNはクーパーSで優勝経験のある超一流のラリードライヴァー ラウノ・アルトーネン に白羽の矢を立てたのでった。

初めて彼と会った時、当時のDATSUNのボスであった難波はラウノに冷たく言い放たれてしまった。

勝てるマシーンでなければ乗りたくない。それでも乗れというならそれ相当の報酬をもらいたい・・・

難波は、モンテが終わったばかりの山岳コースで、ラウノに全開テストを行う事を申し入れた。

白銀のモンテのコースに、真紅の美しいツゥーシーター・クウペが名手の手によって放たれた・・・
そこにはライヴァルは居なかった、ただ一台の美しいクウペとL型エンヂンのメカニカルサウンドがアルプスの山々に咆哮し続けていた。

240Zから降りたラウノは難波に言った。

このマシンなら優勝は無理だが、良いところまで必ずゆける・・・

そう言うと彼は、今度はDATSUNの提示した契約金より遥かに安いマネーで契約してくれたのだ。

果たせるかな、彼の言うとおり240Zはアルプスの難コースを果敢に攻め71年には、モンテ史上初めて重いプロペラシャフトの付いたFRで 総合5位 に入賞し、さらに翌72年には、なんと総合3位 にまで昇り詰めたのだ。

しかし、ラウノはDATSUNにとって大変な男でもあった事は間違いの無い事実だったようだ。

以前企画室ネコに、難波が寄せた寄稿にラウノ・アルトーネンの事が書かれていた。

彼は我々サーヴィスクルー泣かせの男でもある。マシン・セッティングは5mm刻みで注文を付けて来る。例えば、シートをもう25mmオフセットしてくれなど、まるでコンピュータで計算した様な事を言い出す。そしてそれは間違った事は無い。
またある時は、ステアリング・ホイールの皮巻きの縫い糸が指に引っ掛かるから縫い直せと・・・
(中略)
240Zはモンテでの高速ラリーに備えて、Gノーズ付きを持ち込んだが、アルトーネンはそれが気に入らず150mmカットしてくれと言い出す。それでGノーズ無しにしたのだが、まったく小うるさい男だと正直思ったものだ。
ところが彼の走りっぷりを見て、私はグウの音も出なかった。コーナーをノーズの先端で雪を削る様に、まさにギリギリのラインを取って抜けて行くのである・・・


基本的にアンダーステアの240Zを、アルトーネンはステアリングとサイドブレーキを駆使して、常にブレーキング・オーヴァーステアに持って行き、そのためにステアリングのフィーリングが大事で、さらにそうして真横になりながらコーナーを駈けるには、長いノーズがジャマだった事が後から分かった・・という事だったのだ。

アルトーネンとDATSUNとの出合い・・・

それから随分と長い二人三脚となるのだが、彼がDATSUNに与えた財産は図り知る事が出来ないモノだ。

現在も彼は欧州で、BMWなどのインストラクターとして第一線で活躍中である。。。

あっ!そうそう・・・モンテでのDATSUNの活躍の陰には、もうひとつ驚くべき事実が隠されている。。。

72年のモンテでのラウノ・アルトーネンのコドライヴァーを勤めたのは・・・ ジャン・トッド であった。。。

この名を聞いてピンっときたら・・・貴方はかなりのカーマニアを自負してよいだろう。。。



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Posted at 2006/07/05 02:33:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ
2006年03月15日 イイね!

爽快 Z33今朝の全国紙の全面広告を見たか!本当にZはカッコいい。

爽快 Z33今朝の全国紙の全面広告を見たか!本当にZはカッコいい。眠気まなこの僕に強烈な衝撃が走った!

僕のウチには朝の三時から三時半の間に新聞が来るのだが、今朝は5時前に新聞をポストから取り出した。

まだエアコンをつけたばかりの部屋は、冷たくて手をさすりながら新聞に入っている広告を抜き、新聞を読み始めたのだが、ちょうどまん中に来た時、その画像が僕の目に飛び込んできた!

見開き2ページに究極を表す「Z」の文字とマルーンのZ33が、これでもか!という存在感で僕の目を奪ってしまった・・

その瞬間、僕がかつて乗っていた240Zの雄雄しい姿が蘇った。



「スポーツカーに乗ろうと思う」
「Soul synchro machine」

そして次々と歴代「Z」のキャッチが頭をよぎり、身体が熱くなった。

確かに「Z」はスポーツカーだ。

しかし、かつては、新しいジャンルに挑むが如く「ワゴン」を画策したり、生き残りをかけて、いかに「安く」と「スポーティなエクステリア」を両立させるかを心血注いで工夫したもした「努力」のクルマでもあった。

真実 フェアレディ・ワゴン発掘:
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=701173

一時期は大きくなり過ぎ、それが瞬間であったにしろ、その脈略を絶ってしまった不幸の時期もあった。



それが、また新しい姿で蘇って、拍手を持って受け入れられた事は記憶に新しい。

「欲しい」と思わせるクルマがだんだんと少なくなって来ている昨今、乗ってみたい、所有してみたい・・と思わせることの出来る数少ないクルマであるといえよう。。



最近の日産には、正直へきえきしているのだが、「Z」はかつてからの日産の息吹が感じられる唯一のクルマだ。

無知 自分の会社の事も知らんでなにが開発だ。:
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=1279816

以前の日産には、そのブランドごとの成り立ちや歴史に基づいたクルマ造りがされていた。
それが、単純に売れなくなった・・いや、売る努力もしないで次々に自らが築いたブランドという文化を切り捨ててしまった事には、大いに怒りを感じるし、何とかして欲しい・・と常々思っていた。

歴代 スカイラインGTエンブレムに歴史を見た!:
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=143324

血統 ブルーバードの伝統の証「SSS」の秘密に迫る。。:
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=246030

そんなもやもやとした気持ちを、今朝の広告が吹き飛ばしてくれたような気がした。。。
もちろん、今の日産というメーカーの姿勢は変わらないだろうが・・・

そんな「ブルータス」の全面広告をみて、さっそくWEBであるが、内容を覗いて見た。

HIT THE ROAD Z :
http://www.brutusonline.com/features/z2006/index.html

そこには印象的なZ33の姿があった。

今日は会社の帰りに、ぜひ本屋へ寄って、これを買おうと思う。

久々に「ココロトキメク」何かに出会った朝であった。

ブルータス ↓
Posted at 2006/03/15 10:36:36 | コメント(8) | トラックバック(0) | フェアレディ | クルマ

プロフィール

「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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