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徳小寺 無恒のブログ一覧

2025年06月05日 イイね!

復刻 CARAVAN Classic

復刻 CARAVAN Classic 50系ハイエース顔の「リノカ ハイエース」に対抗して、

CARAVAN Classic

で出したら意外に売れる!?かも。

(^-^;
Posted at 2025/06/06 05:27:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ | クルマ
2025年04月14日 イイね!

歴車 パッと見フツウの整備工場ですが。。。

歴車 パッと見フツウの整備工場ですが。。。 こちらの話題で申し訳ないが、国道16号線って混むんですよ。

で、あの手この手で裏道を探して渋滞を回避するのですが、そのうちの一つの県道沿いにある 整備工場 がいつもスゴイ。

 なんたって、懐かしいクルマたちが、毎度毎度置かれているんだから、徳小寺的には、わざわざここを通ったりする訳で。

 この日も、ダットサン ブルーバード 310 に、これまたレアな マツダ K360 が何気な~く置かれていたりしている。




マツダK360。ミゼットと壮絶な販売合戦を演じる。エンジンがシート下では無くシートの後ろと荷台に間にあって、れっきとした ミッドシップ ヴィークルであった。


昔々、この K360 に乗った事があるが、シート下では無く、エンヂンがシートと荷台の間に置かれた ミドマウント で、意外に静かなクルマだなぁと思ったのが懐かしい。

 次に通り過ぎた時は何か置かれているか!?

 渋滞回避のひそかな楽しみでもあるのだ。

Posted at 2025/04/15 00:13:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ | クルマ
2025年03月09日 イイね!

手動 マニュアルをミッションっていうのは地域性とか年代性

手動 マニュアルをミッションっていうのは地域性とか年代性 最近は、どうしてなんだろうかっていう疑問を解こうとする思考より、

「正しい」
「間違っている」


っていう、「白」か「黒」かの論理と、少しでもスタンダードを外れると、とことん

「たたく」

っていう風潮が強くて、色々な場面で、そうした「正しい・正しくない」で話題になっている場面をよく見る気がする。


 最近、クルマ関係でよく目にするのが、

「ミッション車って言うのおかしくねぇ」

っていうハナシ。

 直近では、あの 「カーポートマルゼン」の社長の SNS で、600件 越えのレスが来る状態になったり。


マニュアルのことミッションって言う人はコメント欄で教えて‼️
            
 https://www.instagram.com/reel/DGslz0gT9NA/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==


まぁ、この人も、良くも悪くも 色々と話題になるんだが、


マニュアル車をミッションと呼ぶ真理はこれでしょうか
            



 
「ミッション車」っていうハナシを熱弁していたり。

 実は何を隠そう自分も広島出身なんだが、地元に居る頃は
「ミッション」、「ミッション」って言ってた口で。

 色々な SNS とか拝見すると、「ミッション」って呼ぶのは、関西から西が多い様で、西の方の中古車のチラシを見ると、


西の方の中古車のチラシでは、しっかり 「ミッション」の文字が。


「ミッション車」の文字が、当たり前と言うか 普通 に使われている。

 こうしてみると、「ミッション車」という表現は、正しい、正しくないは置いておいて、地域性が多くなファクターを占める事が分かる。

 僕の年代だと、台所用洗剤をひとくくりにして

「ママレモン」

って言ってたり、親しみを込めて本来の意味とは違った表現とか言い方をするんだなぁって改めて思った次第だ。

 昭和の初めには、小型乗用車を 「ダットサン」 なんて言ってたし、クレーン付きトラックを「ユニック車」なんて言う感じなんだろうか。

 正しい、正しくないも大事なんだが、そうした「固有名詞」があたかも、その製品やサービスを表す言い方になったのは、営業努力の賜物で、それは誰にも責められないだろう。

 顧みて「ミッション車」の言い方なんだが、昔は、マニュアル車の割合が殆どで、普通に市中にあるクルマは、マニュアル車が当たり前だったので、それを総称して「ミッション車」って言っていたような気がする。

 なんで関西以西にこの表現が多いのかは謎なんだが・・・

ちなみに、A/T車 はと言うと、

ノークラ車
トルコン車


って言っていたような気がする。

 当時は、日本でA/T と言えば、トヨタ系の アイシンワーナー と、日産系の 日本自動変速機 しかなく、ホンダがこれらの特許を、あの手この手で回避した「スターマチック」を出したい時は、エラク驚いたモンだ。


日本では アイシンワーナー と日本自動変速機 の特許でガチガチの中、それをくぐって登場したのが ホンダマチック。まぁ性能は今一つでしたが・・・


 そうした地域性とか、表現になった事を探してみるのも楽しいと思うんだが如何だろうか。

 確かに 真理 はあるけど、そうじゃない何かも、実は、壮大な歴史と人の思いがあるって思えば楽しいとおもうのだ。

 ミッション車の話題に触れるにつれ僕はそう感じている。

Posted at 2025/03/09 14:06:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ | クルマ
2025年02月25日 イイね!

理想 日産ヘリテージコレクション MID4 Ⅱ は何を語る

理想 日産ヘリテージコレクション MID4 Ⅱ は何を語る 日産車フェア in 座間 で一番見たかったのが ヘリテージコレクション だったのだが、その中でも外せなかった1台 が MID4 TYPEⅡ だ。

 MID4 については、方々で語り尽くされた感もあるが、もう一度、窮地に陥っている今の日産の状況を鑑み、かつては 日産 を、いや事と次第によっては 日本車 の未来を変えるかもしれない エポックメイキング なクルマを作り上げていた事を再確認するためにも MID4 の歴史は大事だと思う、だから、今一度顧みたいと思った次第なのだ。

 1985年、フランクフルト・モーター・ショウ で、これまでの日本車には無い、流麗で、しかも フルタイムヨンク 、後輪操舵 、ツゥインキャム V6 を登載したツゥシータコンセプトモデルが日産から公表された。

その名は MID4

Mid-Ship・WD から 名付けられた日産瘦身の スポーツコンセプト・モデルだった。

 MID4 をリリースした日産の目論見は、日本車が苦手としていた 「超」高速域でも安定して走行できる 走行性能 と 操縦安定性 への試験的な試作車としての位置付けと、ラリー、WRCで新たに追加されると言われていた Gr.S への参戦を想定したスタディングモデルとしての役割として開発された。


時代にIFは禁物だが、Gr.S が実現され日産が MID4 で参戦していたら・・・


 開発の主幹は、あの 櫻井眞一郎 、デザインは 前澤義雄 であった。
考えて見れば、櫻井は以前から
「究極のクルマのあるべき姿は、4輪駆動 で 4輪操舵 だ。」
と言っていたので、MID4の基本レイアウトは、まさに氏の理想そのものであったと言えよう。


MID4 の構想は、櫻井眞一郎 の理想とするクルマに一致する。


 重心が中央になる ミッドシップ・レイアウト に、シュタイヤー プフ の 四輪駆動システム に、後輪操舵システムを備え、セドグロでデヴューしたV型6シリンダー エンヂンのヘッド を ツゥインキャム 化 した VG30DE を 横 にマウントしたスーパーカーが生まれた。

 それが最初の MID4 であった。


余計な臓物が無いので低くできるフロント部に、ミド・エンヂンを冷やすサイドインテークとスポーツカーの基本的なプロポーションを持つ。


 ツゥインキャム化された VG30DE は、最大出力 169kW (230PS)/6,000rpm と、最大トルク 279N-m (28.5kgm)/4,000rpm を発揮して、ボディは軽量化とデザインの自由度を増すために FRP で造られていたので、数々のハイメカを飲み込んだボディでも車重は 1,230kg しか無かった。


ツゥインキャム・ヘッド化された VG30DE 。キャムカヴァーのデザインは後の市販された VG30DE そのものだ。


この事は、単純に比較される ホンダNSX で、NSX は軽量アルミボディで性能操縦性を担保して、MID4 は、ヨンクと四輪操舵 を駆使して重量ボディを引っ張ったという論調があるが、それは間違いで、MID4 も絞りに絞った軽量ボディを備えて、強心臓と柔軟な脚でスポーツカーしていたのだ。


内装も、とてもプロトタイプとは思えない造り込みがなされていた。

 最初の MID4 は、1985年9月の フランクフルトモーターショー で デヴュー を果たし、同じ年に開催された 東京モーターショウ でも大いに注目され、


見た目重視の、スタディモデルばかりのモーターショウの中で、その完成度で、これはすぐに市販化か!?と大いに世間を騒がせた。


見た目や、奇抜なアイディアのデザインばかりのモーターショウの中にあって、実現性の高い、機構とデザインに造り込みから、

これは市販化前提のモデルなのか!?
とてもプロトタイプとは思えなない造り込みだ。

と大いに世間を騒がして、日産が望むも望まないも、MID4は大きな注目を浴びる事となり、ついには 本当に「市販化」 に向けてブラッシュアップ が図られることになった。

 そして2年の歳月が流れて、1987年の第27回東京モーターショーで、よいよ
MID4-II が公表された。


1987年の第27回東京モーターショーで、ついに MID4 の超進化型 MID4-II が登場した。


市販化を目指して MID4 は進化して、
・エンヂン:冷却器付き二重過給機付加化 VG30DETT に換装し、さらに「縦置化」。
・脚周り:フロント ダブルウィッシュボーン、リア マルチリンク化。

を大きな柱として、Gr.S のラリーへの参戦が無くなったので、より空力性能を上げ、平滑化され、空気の表面剥離をも考慮したボディメイキングで、幅広く長くなったボディは、


全高は MID4 と同じながら、空力向上の為に、幅広く長くなり、丸みが増したボディはよりスポーツカーとして進化した。


丸みも増して、よりスポーツカーとしての魅力が増した。その個体が座間にある MID4改 とも言える MID4 Ⅱ なのだ。


空力を極めた様子が手に取るように分かる 座間ヘリテージコレクションの MID4 Ⅱ 。


 改めて見ると、フロントの造形は、如何に空気をリヤに流すかで、フェンダーの形状も複雑になり、リヤリフトや剥離による抵抗をなくすためにリヤは幅広く、長く伸びた事が分かる。

 これは後年登場した ホンダ NSX のボディメイキングを見ても同様で、


MID4 Ⅱ に比べて、より抑揚のあるデザインだが、リヤ周りの空力を極めると同じような造形になる事が良く分かる。


MID4 Ⅱ に比べて、より抑揚のあるデザインだが、空気で押さえつけて、スムーズに後方に流すという事を極めると、似たような造形になる事が NSX によって証明されたと言えるだろう。

 内装も、MID4 より洗練度が増して、造り込みもさらに進化して、


単純なショウカーではなく、スイッチひとつひとつも考えられ、全体の造形も無駄の無い市販車の様相を呈している。


市販化 に向けて、スイッチひとつひとつの位置や操作性、全体のデザインも、無駄の無い造り勝手も考えられた造形になった。

 まさに正常進化とも言える、日産のやる気と技術力の正常進化の姿がそこにはあったが、MID4 で指揮を執った 櫻井 の姿はそこには無かった。

 氏は、MID4 開発中の 1984年(昭和59年)に病に倒れて入院し、翌年退院したが、MID4の開発に復職することなく、他部署に配属され、1986年には オーテックジャパン の社長に就任して日産を後にしていたからであった。

 MID4 Ⅱ についても、大きな反響を得て、日産もほとんど市販化に前向きだったが、最終段階で想定された価格が 2,000万円を超えてしまい、さらに当時の販売店等のネットワークでは、十分なフォローも難しい、バブル絶好調の生産の忙しい生産設備の中で、少量で手間のかかる MID4 Ⅱ の市販化は見送られることになってしまった。

 そして、これは開発にかかわった関係者の話なんだが、どうも、ツゥインターボ化された VG30DETT をミドにマントした事で、その熱対策に手間取っていた事も早急に市販化できなかった要因だったらしいのだ。

 しかし、MID4 、MID4 Ⅱ の技術は、それからの日産車の技術の底上げと、進化に大いに貢献した。

・四輪駆動:ATTESA
・四輪操舵:SUPER HICAS
・VG30DE、VG30DETT はデチューンされて、Z等に搭載

MID4 、 MID4 Ⅱ への日産の熱意は、それ以降の日産車の技術や商品力の向上に大いに貢献したと言っても過言では無いだろう。

 顧みて今の日産に、MID4 や MID4 Ⅱ 時代の熱意はあるのだろうか。

 単純に儲かる儲からない、と言った経営判断で、売れる売れているという前提はあるが、大事なブランドを切り捨て、特徴のある車種もほとんど見られなくなってしまった。

 金をかければ、間違いなく良いモノや、良い商品は出来るだろう。ただ、その前に、クルマを作るという熱意や創意工夫と言った根本的な何かが、今の日産に欠けているような気がしてならないのだ。

 開発費や宣伝費をかけなくとも、きっと日産ならではの個性や、デザイン、クルマに乗る人に寄り添った商品開発をすれば、していたら今の日産は変わっていたかもしれない。

 その戒めとして、僕は、座間のコレクションの中に眠る MID4 Ⅱ の姿を探しに行ったのかもしれない。

 せっかく、座間には、日産の良い悪い、成功した、失敗したクルマたちが、自分たちの声を伝えるために、もちろん一般の人たちにも向けてなんだが、実は、それらを作って来た日産や、今の日産に身を置く人たちに見て欲しい、そして、そこからクルマ造りの本当の姿勢を感じて欲しいと、語りかけているような気がしているのだ。
 
 その声の代表が MID4 Ⅱ だと僕は思っているのだ。





Posted at 2025/02/25 04:12:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ | クルマ
2025年02月22日 イイね!

遺産 日産ヘリテージコレクション 激レア 編

遺産 日産ヘリテージコレクション 激レア 編 自分的に、ここには 「記念車庫」 と呼ばれる時代から何度も足を運んでいたんだが、何度ここに来ても飽きないモノだし、それぞれのクルマの生い立ちを考えながら眺めると、より一層楽しんで見られるものだ。

 まずは、「レア度」 の高いクルマを眺めてみる事にした。

 総生産台数 53台 で、当時の販売価格 クウペ が 185万円 と言えば 「スカイラインスポーツ」 がそうだ。

185万円なんてと思うかもしれないが、1962年の大卒の平均初任給が ¥18,800- だったことを考えると、

 ちょっと乱暴だけど、去年の 大卒の平均初任給が ¥225,457- だったので、現代のレートで買えば 約2200万円 と考えても良いのかもしれない。

そんな 超高額車 で、さらに 少生産車 が二台も並んでいるって、それはそれはスゴイ事なのだ。


スカイラインスポーツ。実は 青い 方は、半端ないくらいレア度が高いのだが・・・


 みんな気付いていなんだが、この二台は、全く違った運命を背負ったクルマなのだ。具体的には、ブルーのクウペは、ミラーが付いていないし、エンブレムなどが微妙に違っている。実は、このブルーの個体は、1960年の ミラノ モーターショウ に出展された、アレマーノ製プロトタイプなのだ。

 ミケロッティ は デザインは出来ても、クルマは作れなかったので、ミケロッティが懇意にしていた、コーチビルダー の アレマーノ で、日本から送られてきた グロリアのシャーシをベースに、完全にハンドメイドで造られたので、量産型とは細部が微妙に異なっているという次第なのだ。

 という事で、生粋の伊太利生まれ、アレマーノ で造られた スカイラインスポーツは、これを含めて 2台 しかないので、そのうちの 1台という、この ブルー の スカイラインスポーツ のレア度は半端ない訳なのだ。

余りに貴重過ぎて 値段 すら付けられない という個体なのです。


本場 アレマーレ で手作りで造られた 2台 の内の 1台 がこれだ!同じスカイラインスポーツでも レア度 は半端ではない!!


 こんなことを知って、こうした ヘリテージコレクション を眺めると実に面白いのだが、残念なんだが、どうも日産も並べるだけで、こうした うんちく を公表しないので、本当にもったいないと思うのだ。

 まぁ、ヘリテージコレクション関係者、日産関係者だって知らない んだもんなぁ。

 当時のミラノのモーターショウの様子を撮影した画像、特に動画はほとんどないのだが、よくよく探すと、モーターショウを紹介した英国の動画に少しだけ アレマーレ 生まれの スカイラインスポーツ が写っていた。


海外の動画を丁寧に探すと、ほんの少しだけど スカイラインスポーツ が写っていた。


その動画を観ると、当時の雑誌の記事で、着物を着た日本女性が スカイラインスポーツ を紹介していたという事が間違いない事が分かった。

 次に紹介するのは、初代 シルビア こと CSP311型 だ。


CSP311 という型式から分かる様に、ベースは フェアレディSP311 だ。

 こいつも総生産台数 544台 という台数で、それが 2台 も並んでいる姿は、スカイラインスポーツには劣るものの、十二分に レア度 が高いクルマと言えよう。

 当時のシルビアの新車価格は 120万円 。こちらも価格を現代的に換算すると、登場が 1965年 なので、当時の大卒の初任給は 23,000円 という事で、現代の価格に換算すると、約1100万円 と言う感じだろうか。

 CSP311 という型式から分かる様に、ベースは フェアレディSP311 だ。


第一回日本GP でクラス優勝を飾った SP310 が、1.5L から 1.6L にスープアップして登場したのが SP311 だ。


 1963年第1回日本GPでブッチギリのクラス優勝を飾った、フェアレディSP310 が、1965年にマイナーチェンジを敢行!
1.5L から R型 1.6L・90馬力 に スープアップ を果たし SP311型 へ。

 その SP311 をベースに、流麗なボディをまとったのが、CSP311 初代シルビア だ。

 ボディ開口部以外の継目は、鉛、パテで埋められ、手仕上げで鏡面に仕上げられた。そんなボディメイキングだったので、価格は高額に、さらに流麗なボディとは裏腹に、フェアレデー SP311 ベースのシャーシは、乗り心地がハードで 音振 の制御も十分ではなかった。

 実用が重視される当時の社会状況が、パーソナルクウペ の 初代シルビア の未来も閉ざしてしまった訳だ。

 そんな 日産 の意気込みと「実」が伴っていなかった、ある意味、一番日産らしいクルマが CSP311 こと 初代シルビア だったのかもしれない。








Posted at 2025/02/22 00:04:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ | クルマ

プロフィール

「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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