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徳小寺 無恒のブログ一覧

2024年06月01日 イイね!

蒼鳥 銭ブルに乗ってみた

蒼鳥 銭ブルに乗ってみた 久々に見てるだけで笑顔になった。

車選びドットコム で、「銭ブル」こと ブルーバード411が登場。

 シートベルト の 無いシート 、ベンコラ 、ケンカワイパー・・・
まぁ、なんて懐かしいアイテムばかりだ。

 ちょっと怪しい解説も多々あるが、最近の上辺だけの内容の無い旧車ブログや、旧車を扱った雑誌より、正直に「怪しいですけど」と前置きして言う姿は何百倍も「好感」が持てるモンだ。

 スティアリングで言えば、410は R&B を採用して、動画では「ダル」って言っていたけど、当時としては何百倍も「ダル」じゃない。

 土屋氏が言っていた、ラックアンドピニオンだが、昭和45年ごろって言っていたが、初代ローレル(C30)1968年(昭和43年)がすでに採用していた。
 ただ、シミーが対策できず、ラックアンドピニオンなのに、色々とブッシュやらを機構の間に噛ませたので、フニャフニャして、ポールフレール先生が、こんなラックアンドピニオンは初めてだと驚かした。
 まともな、ラックアンドピニオンは、翌年の初代Z (S30) からだろう。(閑話休題)


S30系の Z はメカニズムでも先見の明があった。

 僕は、510の最後期「幸せの1400」に乗っていたが、この 410 や、411、510 の初期型もエラク 縁 があって当時を思い出さずにはいられなかった。

 コラム3速も、慣れるとスティアリングからの移動距離が短いので、素早いシフトチェンジも可能!力は無かったが、オープンレシオの3速は、タコメータなんてないから音を聞いて限界まで回して、スパッとシフトアップ、意外に信号GPでは無敵を誇ったモンだ。


「銭ブル」のナンバーは 埼玉5 た ・110 だ。この他にも所属などなどが・・・

青鳥 ルパン三世 PART5 出ました!410ブル。
         クリック
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/41453472/

 あれだけ「タレ尻」とか言われて 販売台数 も散々だった 410系  なんだが、一見すると単純そうな面と線の構成に見えるエクステリアも、フロントボンネットの峰、ショルダーラインの抑揚のある面構成は、さすが ピニンファリーナ のデザインで、エンブレムひとつ (これは日産社内のデザインだが) とっても、しっかりデザインが行き届いている。

 ルーフ後端の「ひさし形状」は、この頃の ピニンファリーナ の特徴をよく表す一端だ。


とことん嫌われた「タレ尻」もマイナーの度に上げられて、最後期ではほぼ水平にまでなった。


 ただ発売直前に、アルファロメオ から似たようなデザインのクルマが出て、 ピニンファリーナ がリヤ周りを リデザイン して、あの 尻下がり デザインになった事が、410 の命運を分けた事は残念で仕方がないモノだ。

 日産の 長男坊 として、九州デザインと呼ばれた「イタルデザイン」を取入れ、日産初の モノコックボディを採用した410は、おおむね海外では好感を持って迎え入れられた。

 特に、北欧では絶大なる安全なクルマとして人気があった。

跳躍 空を飛んだ戦士 410 ブルーバード
     クリック
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/45487071/


そんな 410 だが、今乗れば、まったくユルイ、暖かいデザインが、乗る人を笑顔にしてくれる。

 今回も、車内に、溢れんばかりの 笑顔 が咲き誇っている。

 そんな「幸福」を呼ぶ青い鳥と、その優れたエクステリア・デザインを動画からぜひ感じ取って欲しいと思うのだ。


















Posted at 2024/06/01 18:07:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ブルーバード | クルマ
2024年02月25日 イイね!

枠無 U12SSS ATTESA-X

枠無 U12SSS ATTESA-X ブルーバードが消滅して、U14を最終とすれば 20年以上 が経過。

 今の若い人たちには、もはや知らないクルマになっているようで、最近、YouTube などなどの動画で、「こんなクルマがあったんだ」みたいな動画が溢れている。

 僕的には、そうした動画を観ると、まぁ間違った認識も多いけど、こんな解釈できるんだって逆に新鮮で面白いモノだ。

 U12 についても面白い動画があって、意外な発見があったりして。





動画の中で、ボディ剛性の件があったけど、U12の名誉の為に言っておくと、この個体はかなりくたびれている個体で、新車、もしくは、ハードな乗り方さえしなければ5~6年は、ビリビリ振動するくらいなんだけどねぇ。




 ただ、酷使されたり、走行距離が延びると、自分も新潟時代に、U13に乗っている頃、車検で代車が 4D H/T U12 SSS ATTESA だったのだが、これも代車で酷使されていたので、新潟バイパスの「紫竹山IC」のコーナーで、普通ぅに走っているのにルームランプが点灯したりはあったけど(笑)

 まぁ今の子たちの、U12への注目点は、ある意味で勉強に。

 それより、もっと気になる事が・・・・



Posted at 2024/02/25 22:43:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | ブルーバード | クルマ
2023年09月21日 イイね!

外製 ブルーバードがオーストラリアで製造していたのを知ってますか。

外製 ブルーバードがオーストラリアで製造していたのを知ってますか。 かつては日産の「長男坊」とか、「日産を代表する」なんて形容されていた「ブルーバード」。

 モノコックボディの採用、四輪独立懸架、電子式燃料噴射などなど、日産の新しい技術は、ブルーバードからという雰囲気も持っていた。

 しかしねぇ、日産の ド下手 なマネジメント等によって、貴重な日産の DNA のひとつである「ブルーバード」も現代では脈略を絶たれてしまった。

 そんな中で、日産本人も「忘れて下さい」というモデルがあった。


ブルーバードは1500~2000クラスで激しい販売台数争いを戦って来た! クリックで拡大


大きく肥満体になってしまった ブルーバードU こと 「610」と、公害対策などなどで、満足にデザインも企画も出来なかった 「810系」 が代表格だろう。

 ただ僕的には、610 も併せて 710 もデザイン的には、線の一本一本、面構成などは、本当に考えられて作られており、610 も 710 も、直線パキパキなデザインの好きな日本人に合わなかっただけで、非常に見ていて惚れ惚れするデザインだったと思っている。

 さらに時代も悪かった。

暗転 豊かさが足を引っ張ったバイオレット、ブルUの悲劇
     
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/36594612/



 その次の 810系 は、公害対策で開発費用も無く、下手をしたら「モデルチェンジなんてやっている場合か」と、国内外でクルマに対する非難ごうごうのなか、やっとできましたというモデルで、何時ぞやか、「自動車の定常円旋回特性に関する理論的考察」というクルマ関係なら誰もが知っている論文 でも有名な、810 の開発主幹であった「石川康雄」さんと話した時に、「あれもしたかった、これもしたかった・・けど形を変えるのと、ほんの一部のメカのリファインが精いっぱいだった」と言っていたのが印象的だった。

 そんな 810 なんだが、これが豪州に行くと非常にエポックメイキングなモデルとなって、実は、日産は豪州の 「85%の現地生産」 という目標に合わせて、豪州VWの工場を買い取り、最初に生産されたモデルが 200B こと 810 だった。


豪州日産初の現地生産モデルが 200B こと 810 ブルーバードだった。


 それが面白いのが、単純に日本仕様の焼き直しではなく、セダンに 「SX」 なんていうスポーティモデルを加えた事だ。




「SX」は、専用のアルミにファットなタイア、グリルのデザインも異なっていた。


 専用のアルミやタイア、外観も少し変えられており、これが、あの 810 か!?と思えるくらいスポーティな外観になっていた。

 もともと、フロントグリル周りは、意識して 510 に似せられていたが、


僕が乗っていた、510最後期の、俗にいう「幸せの1400」と呼ばれた 1400DX。


「SX」のブラックアウトされたグリルのデザインが、ますます 510 ぽい雰囲気を醸し出している。

 まぁ設備の関係で、リヤはリヂットだったが、それはそれでチューニングしやすく、結構、あちらのジムカーナ等で活躍していた。


リヂットならではのコントロール性の良さからジムカーナには最適だった。


 そんな不人気の 810 も、国内販売では、たまにライヴァルの「コロナ」に勝つ事があって、ある時、810 に「コロナ」が月間売台数を抜かれたことを、日経の記者がトヨタ広報に告げると、


「犬が人を噛むとニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになるんですね・・」


と皮肉たっぷりに返されて事は有名なハナシである。

苦難 人が犬を噛むとニュースに・・・
     
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/137433/




 そんな、開発者も認める「熟成不足」の 810 も、当時の国産車に流行っていた「病」、「角目斜め鼻 症候群」に感染してしまい、


スカイラインでさえ、角型ライト、スラントノーズ 症候群 に感染してしまったのだ。


ヘッドライトを角型に変更してマイナーを敢行した!


もちろん 810 も感染してしまい 角目 の 811 へとマイナーされた。






マイナーで 酷使に耐える 「HEAVY DUTY CAR 」のキャッチでスポーティさをアッピイルしていた。


 公害対策で、さんざん低公害や低燃費を謳っていたが、やっぱり ブル はスポーツ だという事で、激しいイメージ戦略になった。

 たしかに、角目になって精悍さが増してカッコよくなったが、それでもコロナには勝つことはできなかった。

 そんな中で誕生したのが、ブルーバード生誕20周年を記念して発売された SPIRIT20 だ。


専用のボディカラーに、ミシュランタイヤ、シビィのフォグなんて当時の若者が欲しがるアイテムが満載されていた。



専用の装備にカッコいいボディカラー。金があったら買っていた(笑)


 専用の「トーオントーン」と呼ばれるツゥートンカラーに、ミシュランXVS、シビィの沃素(ハロゲン)フォグなどなど、正直、当時、「金」があったら買っていたに違いない一台だ。

 この後に、スーパーヒットになる 910 が出たのだが、その時、日産から「610と810系は下取り等で、販売店に入庫されたら スクラップ にするように」と中古車市場での不人気や、610、710、そして810系のイメージの悪さが、新しいブルーバードに影響を与えない様にという指示が、現代において、これらの個体が殆ど残っていないという不幸な歴史になってしまっている。

 810系の日本や、海外での様子を見ると、その時代の日産の様子が垣間見れると思うのだが如何だろうか。



Posted at 2023/09/21 14:30:19 | コメント(4) | トラックバック(0) | ブルーバード | クルマ
2021年09月24日 イイね!

跳躍 空を飛んだ戦士 410 ブルーバード

跳躍 空を飛んだ戦士 410 ブルーバードどうしてフィンランドなのか!??

ここにブルーバード410の広告がある。

今となっては、世界中に輸出されている日本車だが、昭和30年代では、まだまだ少数派であったし、当の日本人でさえクルマが、多くの国に輸出されている事さえ知らない人が多く居たくらいなのだ。

そんな中で日産は、いち早くグローバルに輸出を始めていた「先駆け」の自負と「実績」がこの広告に表れていたのだ・・・・。

しかし、この広告を見ていて皆さんはひとつ疑問を感じなかっただろうか?
それは輸出先として最初に「フィンランド」が挙げられている事が不自然に感じなかっただろうか?

実は、広告で「フィンランド」がトップに挙げられた大きな理由があったのだ。

国産車がまだ見知らぬ国々で受け入れられる為に、いまの私達が想像できないくらいの血の滲むような努力をしていた事を、私は伝えたいと思うのだ。

「レース」や「ラリー」と言ったフィールド以外でも、かつて国産車は果敢に海外で闘っていた事を今日は皆さんにお伝えしたいと思うのだ。

ジャンプ台を登ったクルマがあれば飛んだクルマもあった!


AUDI は、そのクワトロシステム(AWD)の優秀性をアッピールするためにスキージャンプ台を AUDI100 で駆け上らせた。

 もう何年前になるのだろうか、AUDI は、クワトロシステム(フルタイムAWD) の優位性をアッピールするために、AUDI100クワトロ で、スキージャンプ台を駆け登らせた。


傾斜37.5度、フィンランド カイポラのスキージャンプ台をAudi 100CS quattroが昇って行く。当時、結構な衝撃を持って話題になった。

 ところが、逆にジャンプ台からクルマをジャンプさせたメーカーがあったのだ。そのメーカーとは、我らが日産であった。

 なぜ、日産はクルマを飛ばしたのか!?

 昭和30年代から40年代の初頭、日本車はそのフィールドを、北米やアジアのみならず欧州などにも進出を図ろうとしていた。


DATSUN210 からの不断の努力で、専用の輸出船まで造って北米に輸出できるようになっていたが・・・。

 しかし、当時の日本は発展途上の敗戦国という認識でしかなく、特にこれからの輸出先として期待される欧州では、老舗のメーカーも多く進出に苦心していた。

 特に知名度の低い北欧では、進出のキッカケも掴み辛く苦心していた。

「普通の売り込み方ではダメだ!」

そう判断した日産は、無謀とも思える公開実験を行って、まずは一般のユーザーへのアピールを行う事にしたのだ。

 それが、スキーのジャンプ台から 「ブルーバード」 を滑降させるという無謀とも思えるチャレンジであった。

 1965年、フィンランドの「アローンヒル」と呼ばれるジャンプ台に一台の 410 が居た。

 トランクには、前後のバランスを取る為に「150Kg」のセメントが敷き詰められていた。

ドライヴァーは「ペタージア・ニエミー」氏。

 頂上の高さは50mで最大斜度66度という、スキーやスノーボードを経験した事のある人ならお分りだろうと思うが、その斜面から下を見れば、感覚的にほぼ垂直に思えるくらいの急な傾斜である。


頂上の高さは 約50m 。最大傾斜角 66 度 の大ジャンプ台だ。

 410はサミットを駆け降り出した!!

最初はゆっくりと、そして30mのジャンプポイントに差し掛かると、猛然とドライヴァーはガスペダルに力を込めた。

「ブルーバード」は叫びにも似たエンジンの雄たけびを上げ地面を離れた!!


ブルーバードは一気に斜面から離陸した。

 数秒の無音の「時」が過ぎ、「ブルーバード」は地面に叩きつけられるかの如く、轟音と共に着地した。

 猛然を立ち上がる土ぼこりと、飛び散る地上の土と小石混じりの噴煙が立ち上った。


新開発モノコックボディに、想像を絶するストレスが一瞬に加えられた。

 その瞬間に「ブルーバード」には、想像を絶するストレスが入力され、さらにバランスを取る為に積まれたセメントが、サスペンションとシャーシに「荷重」という恐怖を与えた。

 もうこれでいい・・・誰しもがそう思ったに違いない。

しかし、テストは終わる事無く続けられたのだ。

着地した瞬間から、素早く「ブルーバード」の体勢を立て直し、ドライヴァーはさらに低いギアからエンジンに鞭を打ち続けた!!

時速130Km。

そこから急なステアリング操作によって、激しくクルマを向きを変え続けた。

「突発事故とDATSUNの安全性」・・それがこのテストのタイトルであった。

 さすがに、このテストのインパクトは強烈で、そこから一気に、フィンランドでの DATSUN の人気が高まった事は言うまでも無かった。

 それまで苦心していた販売も急激に上向きになった。

 フィンランドでの日本車・・いや DATSUN の人気は不動のモノになった瞬間でもあった。

 軟弱になった今の日産に、これほどまでの熱意と気迫が存在するのだろうか?

 無名・・・先人たちは、まさに身を挺してDATSUNの普及に躍起になったのだった。

 それはラリーやレースと言った華々しい闘いではなかったが、大きくその後のDATSUNの輸出の礎となったのだった。

 その熱意と努力で勝ち得た実績が、先の広告で「フィンランド」が最初に来た内幕であった。

ちなみに・・・

 テストに使われた「ブルーバード 410」は、社外の検査機関によって精密にチェックされ驚くべき結果が公表された。

 フロントのバンパー下のエプロン部にヘコミは見られたものの、その他のボディは勿論の事、フレームにもダメージは認められず、さらにサスペンション、エンジン等にはまったく 異常が認められなかった というのだ。


410 ブルーバードは、北米とメキシコを中心に世界に挑戦し続けた。

 国産初のモノコック・ボディをまとった「ブルーバード 410」は、華麗なピニンファリーナのエクステリに似合わず、生まれつき「タフ」で「快速」の戦士でもあったのだった。


Posted at 2021/09/24 04:39:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | ブルーバード | クルマ
2021年04月19日 イイね!

再会 AUTOMOBILE COUNCIL BANZAI SAFARI

再会  AUTOMOBILE COUNCIL BANZAI SAFARI まぁこんなご時世なので行かない予定だったのだが、久々に、無性に彼女に会いたくなって、居ても立ってもいられなくなって C26 を幕張に向かわせていた。

 朝9時の開場と同時に僕は再会を果たした。

彼女の名前は DATSUN 1600 SSS だ。

 本当に久々の再会なんだが、こうして長い長い時間を経て、現代の日本車の高速耐久性の有形無形のノウハウを教えてくれた文化遺産を間近で見られることは本当に意義深いモノだ。

 特に、この 1970年 の DATSUN 1600SSS は、サファリラリーで 総合、クラス、チーム の三冠を達成させた、さらに意義を持つ ブルーバード なのだ。


510サファリ仕様の総仕上げともいえる70年仕様。

1966年 ブルーバード410SS 総合5位
1967年 セドリックH130    総合17位
1968年 セドリックH130    総合5位
1969年 ブルーバード510   総合3位・チーム優勝

と実力をつけて来た DATSUN に欧州各社は危機感を覚え、サファリラリーのオーガナイザーに圧力をかけ、欧州車に有利なように平均速度を大幅に上げて来た。

もちろん DATASUNチーム も、そうした動きに対抗して、510ブルーバードの L16 をチューンナップした。

ノーマル1600SSS
100PS/6000min-1、13.5m-kg/4000min-1、日立Φ38SUツィンカブ
最高速160Km(カタログ値) 

1969年サファリ仕様 1600SSS
120PS/6800min-1、14.0m-kg/4800min-1、日立Φ46SUツィンカブ
最高速170Km

1970年サファリ仕様 1600SSS
130PS/6800min-1、15.5m-kg/4800min-1、ソレックスΦ44
最高速175Km

それでも、大排気量の欧州車との性能差は如何ともしがたかったが、そこは並外れた耐久性と頭脳プレーで他を圧倒した。


ブルーバード 1600 SSS とポルシェ の死闘!絶対にポルシェには負けない!

蛸足 足りないサーヴィスカーどうするDATSUN!
 https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/13597190/


平地での最高速は 170 を超えたところだったが、総合2位につけた ジョギンダシン によれば、ところによっては 200Km/h に迫る速度でライバルを引き離したとも言っていた。ゴール後の彼の言葉が、

「サファリ、サーキットと化した」

で、欧州でも大きく取り上げられた。


室内は一見するとノーマルに近い。細身の純正ウッドシフトノブが懐かしい。 

 その50年も前の、欧州ライヴァルメーカーに伍して勝利をつかんだ国産車と、時空を超えて再会できる事は何と幸せな事か。

 翌年は、さらに指示速度があげられる事、そして、ブルーバードもモデルチェンジが行われることが決まっており、510ブルーバードでのサファリラリーは終焉を迎えたのだが、この最終仕様の 510 のおかげで DATSUN チームの戦闘力は格段に向上し、翌年の240Zでの快進撃へと続くのであった。


1969年の宿命のライバル フォード20Mとの市街地戦での一騎打ちのワンシーン。フォードのナンバープレートが 510 というのが皮肉だ。



Posted at 2021/04/19 09:39:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | ブルーバード | クルマ

プロフィール

「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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