
あまり触れたくないと思いこれまで触れてこなかったが。。。
今日は思うところがあり、気が重いが毎年の様に繰返されるニュースを取り上げたい。
昨日、また幼い子供たちがクルマの中で命を落としてしまった。
一歳の女の子と、まだ十一ヶ月の男の子が、7時間もクルマの中に置き去りにされて熱中症によって絶命したのだ。
旅行から帰り、子供たちが熟睡していた為に、自宅前の屋外の駐車場に子供を乗せたまま家に戻った・・・というのだ。
幾ら熟睡していたとは言え、屋外のクルマに鍵をかけ様が、まずは子供だけをクルマに残す無用心さを疑う。
さらに帰宅が午前五時とはいえ、そこから7時間と言えば午前中とは言えかなり車内が暑くなることは容易に想像出来た筈。エンヂンを掛けてエアコンをかけても、直射日光の厳しさは、普通の人間ならば当たり前に分る筈だ。
平気で親の目の届かない場所に子供を置き去りにした事、車内という狭い空間でしかも気温が上がるだろうという状況に子供を残した無責任さは、どんな言い訳をしても許される事は絶対に無いだろう。
一児の親として、僕が神経質なのかもしれないが、子供と外出する時、例え家の庭に居る時でも自分の目の届かない場所に子供が行くだけで不安だし、買物に行った時でも子供を間違ってもひとりで残そうなんて、何をしでかすかも知れないし、事故に巻き込まれるんでは?と不安で不安で絶対に出来ない。
よく寝ていたので・・・なんて、都合の良い言い訳以外の何ものでもない。
チャイルドシートの上より、両親の間近のフカフカのベッド、フトンの上のほうが快適で、もっと気持ちよく寝れるって思うのが、本当の親心じゃあないだろうか。。。起した瞬間に泣こうが、家に入って最初は愚図っても、その後でスヤスヤと眠ってくれる我が子の寝顔を見る方がどれだけ幸せか。
この二人の兄弟は、もっと生きたかっただろうに・・・生きたくとも、親がそれを望みながらそう行かない悲しみを知っているだけに無念でならない。
今から15年前。僕の知人に女の子が生を受けた。
しかし、生まれた瞬間から生きる闘いが始まっていた。泣かない・・・・その異常に、本当なら喜びに湧く部屋が凍りついた。
脈拍が弱い。急いで色々な検査が行われ、程なく心臓に問題がある事が分かった。
一日目。
何とか持ちこたえ、初めての授乳を受けたが辛うじて口に含んだだけだった。それでも母親は子供を授かった幸せを味わえた。
数時間後、医者から「直に手術をしなければ生命に関わるだろう・・」という悲壮な一言が両親に告げられた。そしてその夕方、まだ生まれて十数時間しか経過していない女の子のにメスが入れられた。
手術は数時間に渡り行われたが、心臓の問題は完全に治せなかった。
二日目の夜。短いその子の一生が終わってしまった。
母親に不思議なくらい涙は無かった。
ただ一言。
「母親として、この子を抱いて家へ帰らせて下さい。」
かわいいベビー服に包まれ、息の無い我が子を抱いたまま母親はリアシートに座った。
時折、母親が女の子に語りかける様子が僕の胸を突いた。
生きたかっただろう。
それが確か6月だか7月の出来事だったのだ。
今は仮にも父親となった僕だが、今回の事件・・・事故にしても、その親を攻める事は容易かもしれない。確かに僕も、その無責任さには正直腹が立ったが、考えてみると、本当に毎年の様に、同じ事が繰返されている事実に「どうして?」という思いばかりが頭を過ぎるのだ。
無論、そうさせた親の責任の追及も大事だろうが、もう二度と同じ過ちを繰返させない何かが出来ないのだろうか?と思って止まない。
優しいはずのマーチの顔が、悲しげに見えて仕方ないのは僕だけだろうか。つい一日前には子供の笑顔や笑い声が絶えなかった車内が、子供たちの終の場所になった事が辛くて仕方ない。
もう、終わりにしようよ。
クルマが家族に、幸せを運ぶものであって欲しい。クルマを愛する者のひとりとしてそう言いたいと思うのだ。
やすらかに。
Posted at 2009/06/22 01:10:02 | |
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