
昭和58年10月17日。
U11ブルーバードは、大ヒットとなった910ブルーバードの後を受けて「生」を受けた。
ブルーバード初の「FF車」だけでなく、車名型式が 「ダットサン」 から 「ニッサン」 へと変わった最初のモデルでもあった。
つまりU11ブルは、駆動方式の大転換という大見出し以外にも、ある意味で「日産」の新しいクルマ造りの意思表示の代弁者でもあったのだ。
しかし・・・10月17日の発表会や、10月25日の報道関係者への試乗会でも「FF」という言葉は大きくアナウンスされなかった。。。それは、U11ブルに先立って「FF化」され、さらに日産の「世界戦略車」としても、大々的に宣伝していたT11ヴァイオレット系が、日産の思惑通り売れず不人気車街道を突き進んでいた・・・という事情があった。
スタンザ(T11)編
http://u14sss22ltd.fc2web.com/t11/t11.html
さらに、U11ブルより1週間前にモデルチェンジした 「コロナ」 が、「FF」と「FR」の二本立てで販売を開始した事も暗に影を落としていたからである。。
この頃は、まだまだ「FF」に対して、一種のアレルギーがあり、歴史と伝統を持ち、日産の屋台骨とも言える「ブルーバード」が余りにも変化したと捉えられる事が怖かった・・・のだ。
エクステリアを見て、誰もがまさに「キープコンセプト」だと思った事は間違いない。
確かに大きく見れば、910の要素が多く見られるが、実際にはさらに面と線が整理され、直線基調でありながらエッヂの「まろみ」や、面の張りも表情が豊かになって、さらにクリーンなイメージに磨きが掛かった。
特に「色物」系のカラーリングを施されたU11はキュっと引き締まった感じがして、改めて見るとなかなか魅力的に見える。
セダンの端整さも、ここに極まるという感じだが、さらに進化したのは「4DrHT」であったと僕は思う。
910の途中からリリースされたブルーバードの「4DrHT」だが、確かにルーフが低められ、見た目スポーティだったが、Aピラー、Cピラーの傾斜がキツク、やや上下方向のヴァランスが取れていなかった様に思う。
さらに室内は上下方向に圧迫感があり、910の開放感が損なわれていたのは事実だ。
それがU11では、確かにルーフが低められているが、「FF化」による実用スペースの拡大や、実質的なグラスエリアの拡大によって、910で見られたような「閉塞感」が無くなり、エクステリアとのヴァランスが取れたと言えよう。
4ドアセダンの「端整」さと、4DrHTの「伸びやかさ」がU11のディテールを引き立てていると僕は思うのだ。
その「4DrHT」の「スポーティさ」、「伸びやかなイメージ」を端的に表しているのが、もはや伝説となった・・・
この「イエローツゥートン(#366)」だろう!
それまでのブルのスポーティなカラーは「赤」だ、というイメージとは別に新しいブルのスポーティさを演出するかの如く現われた「イエローツゥートン」。
「赤」よりさらに軽快な感じがして、まさに新しい時代のブルの出現を感じさせたのだが、実際にはあまり数がでなかった。
しかし、「FF化」もそうだが、外観的に「保守」だと言われ続けてきたU11は、実はそうでない新しい日産の提案型のクルマであった事が、今省みてみるとそう思えるのである。
新しい技術や思想を包み込みながら、外観的にはそれを感じさせない。当時、日産はU11ブルを
「レヴォリューション:revolution(革命)」でもなく、「イノヴェーション:innovation(革新)」でもない、「エヴォリューション:evolution(進化)」
だと言っていた。
形が変わる事が「モデルチェンジ」だと信じて疑わなかった日本人に、日産は一石を投じたかったのだが。。。まだ、それは時期早々だったのかもしれない。。。
次は、果してU11のどこが「エヴォリュション」だったのかを探ってみたい。
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Posted at 2007/11/21 02:08:27 | |
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